時計の針が三本とも重なり、何事もなくまた次の動きへと移る。
二人はその場所からそれを眺めていた。

「着替えるよ」

長針がほんの少し角度を変えた頃、オドロキが言って、ベッドから出ようとした。
その動きはすぐさま、胸にしがみついてきた少女に遮られた。
オドロキは驚かない。その人が涙を流していても。

「やだっ、オドロキさんと別れるのなんてやだよぉっ!
みんなのことなんて、お仕事だって、どうでもいいから、一緒にいてよっ。
もっとキスして、もっとHして、なんでもするんだからっ!
お化粧だってするし、おっぱいだって大きくするから、オドロキさん、イヤだよ!」

オドロキは何も言わない。

「なんで、なんで、みんないなくなっちゃうのっ!
みぬきは一緒にいたいのに、何でみんないないのおっ!
みんな、みぬきのこと嫌いなんだ!
ママのばかああぁっ、パパのばかあああぁっ、
オドロキさんの、ばかあああっ!!」

幼少で両親から別れ、彼女を育てた成歩堂でさえほとんど見たことのない姿。
年相応といっては憚られるほどの幼い感情が、自分を押し込める殻から破れて
オドロキへと押し寄せる。

「うああああああああんんっっ!」

いつものように口や表情に蓋をすることなく、恋人でなくなってしまったその瞬間から
やっとオドロキへと隠していた姿を見せる。
いつかきっと帰ってくるはずだった父親。その後、自分を育んでくれたもう一人の父親。
パパをよろしくお願いしますと伝えた、はじめての姿から今まで色々なことがあった。
オドロキはみぬきをより強く抱きしめる。

みぬきは計算も何もなく、ぐいぐいと体を押し付ける。
互いの体はまだ裸のままで、オドロキの体はすぐにそれに反応しようとした。

オドロキの舌は、柔らかくおしつぶれ、突起とゆるやかな稜線を感じるその乳首を思い出す。
オドロキの指先は、他の部位よりもあたたかく、ふわりともりあがりどこまでも沈んでゆく
臀部の感触を思い出す。
そして彼の性器は、何度となく隙間を全てを埋め尽くしたその谷間を記憶している。

そのどこかに触れ、やさしく微笑みでも浮かべれば、みぬきは喜び、
狂乱のような性と二人だけの生活へと進むだろう。それはとても蟲惑的なものだ。

それはすぐそばにある。手を伸ばせばすぐに届く。5分前までそこにあった。
けれど今はもうそこにはない。
もう手をのばしてはならないものだ。
オドロキの性器はもう勃えてはいない。自らが選んだ道を破ることはせずに、
ただ妹の背中に手を回し、涙を胸に受ける。

オドロキは涙を流さない。妹をなぐさめる兄が泣くことは、今はきっとしてはいけないことなのだ。

「オレはみぬきちゃんのそばからいなくなったりしないよ」

みぬきは胸の中で頭を振って否定する。

「それならみぬきと別れるなんていわないもん!
だいいち、みぬきは別れるなんていってないもん!
パパが、勝手にオドロキさんに全部任せただけだもんっ!」

言葉遣いも幼い。自分自身で認めますといったことをないことにしたい。
オドロキは子どもにするように髪をなでながら、言葉を続けた。

「みぬきちゃんだって、わかってるはずだよ。
最初にオレ達が結ばれた日だって、みぬきちゃんが仕事を忘れることはなかった。
キスマークだって、仕事の妨げになるから、つけちゃいけないことを理解してた。
オレも、まことさんの勉強や、弁護士の仕事をおろそかにしちゃいない。
オレ達にはオレ達以外にも大事なものがあるし、大事な人たちもいる。
恋人じゃなくなっても、俺たちが愛し合えるなら、それでいいと判断したはずだ」

昨日からのたった一日で、この選択にいたり、ふたりともが理解したのは、
なんとなくわかっていたからだ。
自分達の夢や進む道を捨て去ることができないことを。
そのために、二人の愛し合う形が変わることを許容した。
それは感情ではとても選択できないことでも、理性がそれを選び、何度となくありえた
感情の爆発を押さえ込んだからだ。

「みぬき、言ってないです!!」
「いや、言ったはずだよ。オレとの電話で、
これからも、みぬきのことをよろしく頼む、って」

みぬきがぴくんと肩をゆらす。

「さすがに、年季が入ってるからだろうけど、真似がうまいね。さっきまでわからなかったよ。
なんで非通知なんだろうとは思ってたんだけど」
「うっ、うぐううっ、うぐっ」

みぬきの泣き声はまだやまない。

「みぬきちゃん、キミの事を心から愛してる。
みぬきちゃんのそばから離れないよ。
キスもしない。Hもできないけど、一緒にいる。
恋人でも連れてくれば相手の男に意地悪はするし、
結婚式では成歩堂さんと二人で涙にくれるよ。
ずっと、みぬきちゃん、キミの同僚として、友達として、兄として」

「うわああああああんっ! うあああああああんっ!」

みぬきの泣き声はそれでもやまない。オドロキはいつまでも胸を貸し続けた。

翌朝、ドアの音とともにオドロキは目覚めた。
よほど慌てていたのだろう。申し訳のように簡単に片付けられた部屋と、
昨日の残りの食材を朝食風にありあわせた食卓と、コーヒーがあった。

『学校に行ってきます。今日はステージがあるので、事務所に行くのは
少し遅くなります。 みぬき』

走り書きのメモを見ながら、下着だけを身に着けてオドロキは食事を取る。
今日は仕事の約束もなく、ゆっくりと事務所に向かうことができる。
せっかくだから部屋を掃除することにしようと思いたった。

しばらくの後、掃除を終えたオドロキは少しだけ違和感を覚えた。
コンドームやウェットティッシュなども片付けたが、何かが一つだけ足りない。
別にどうであってもいいものではあったけれど、昨日そこにおかれたはずのものが
なくなっている。

「ああ」

オドロキは気がついた。気がついて、すぐに吹き出した。
それを大事そうにもって学校へ向かったみぬきのことを考えると、申し訳ないが、
おかしみが先に立った。

気がつかなかったことにしよう。オドロキはそう思った。
きっといつか、捨てるか、どこかになくしてしまうか、遠い記憶として残るかするだろう。

そんな、つまらない、くだらない、たった一つの証拠品だ。
ただちに捨てられる運命のそれを、いつまでかわからないが、大事にとっておく人が
いるとは思いもしないだろうけど。

茜の持つその機械で判定すれば、きっと結果がでるだろう。
二人の指紋のついた、コンドームの袋に。

遅くに事務所に出向いたオドロキを一人の男が待っていた。

「やあ、オドロキくん」
「成歩堂さん、どうしたんですか」
「みぬきから電話をもらってね。解決したと」
「そうですか」

ちらりと視線を成歩堂に向ける。

「それについては、約束どおりぼくは何も言わないよ」

成歩堂はオドロキに、手を広げ、いつもの表情を浮かべて伝えた。

「一つだけ、成歩堂さんに聞きたいことがあるんですけど」
「いいよ。聞いてごらん」
「オレが電話したときの、あの、ありがとうってのはなんだったんですか」
「キミがみぬきのことを愛しているっていった時の、かい」
「ええ、それです。オレ達のことを知っていたのに」

ふむ‥‥と声を漏らしながら、成歩堂は遠くを見る目をする。
そしてオドロキへと声を出した。

「キミが、告白をしたというその翌日に電話をしてくれたからだよ。
心のつながりを軽視するつもりはないけれど、もしキスでもしたら大変だと思ってね」

成歩堂の台詞にオドロキは混乱する。

「‥‥ちょっと待ってください、だって、オレのところに話をしに来た時に、
結婚とかそんな話をしたじゃないですか」
「そうだよ、だからみぬきみたいなコドモをもてあそぶような
悪いやつじゃなく、キミみたいな男とでよかったし、だからありがとうと」
「そりゃ、オレはみぬきちゃんをもてあそぶなんてことは考えたこともないですけど、
いや、そうじゃなくて、なんでキスでもしたら大変なんですか」

その発言に逆に首を捻ったのは成歩堂のほうだった。
オドロキに対して、言葉をつづけた。

「わからないな、オドロキくん。
結婚まで考えていないと、そんなことをするわけないだろう」

オドロキは口を開けて成歩堂を見た。返す言葉がない。

(な、なんてピュアな人なんだ‥‥)

そしてオドロキは冷や汗をたらしはじめた。
もう思い出してはならないと思っていたはずの、みぬきとの情事のシーンが頭の中を回転する。
もし、普通のHどころか手とか口とか足とかお尻とか、そんなことを
したのがばれたらどうなるんだろう。

(こ、殺される‥‥)

顔中から汗を流すオドロキを見て、いつもどおり茫洋とした表情で成歩堂はひきつづき
頭を傾げる。彼の胸のうちは誰にもわからなかった。

遅くに事務所に出向いたオドロキを一人の男が待っていた。

「やあ、オドロキくん」
「成歩堂さん、どうしたんですか」
「みぬきから電話をもらってね。解決したと」
「そうですか」

ちらりと視線を成歩堂に向ける。

「それについては、約束どおりぼくは何も言わないよ」

成歩堂はオドロキに、手を広げ、いつもの表情を浮かべて伝えた。

「一つだけ、成歩堂さんに聞きたいことがあるんですけど」
「いいよ。聞いてごらん」
「オレが電話したときの、あの、ありがとうってのはなんだったんですか」
「キミがみぬきのことを愛しているっていった時の、かい」
「ええ、それです。オレ達のことを知っていたのに」

ふむ‥‥と声を漏らしながら、成歩堂は遠くを見る目をする。
そしてオドロキへと声を出した。

「キミが、告白をしたというその翌日に電話をしてくれたからだよ。
心のつながりを軽視するつもりはないけれど、もしキスでもしたら大変だと思ってね」

成歩堂の台詞にオドロキは混乱する。

「‥‥ちょっと待ってください、だって、オレのところに話をしに来た時に、
結婚とかそんな話をしたじゃないですか」
「そうだよ、だからみぬきみたいなコドモをもてあそぶような
悪いやつじゃなく、キミみたいな男とでよかったし、だからありがとうと」
「そりゃ、オレはみぬきちゃんをもてあそぶなんてことは考えたこともないですけど、
いや、そうじゃなくて、なんでキスでもしたら大変なんですか」

その発言に逆に首を捻ったのは成歩堂のほうだった。
オドロキに対して、言葉をつづけた。

「わからないな、オドロキくん。
結婚まで考えていないと、そんなことをするわけないだろう」

オドロキは口を開けて成歩堂を見た。返す言葉がない。

(な、なんてピュアな人なんだ‥‥)

そしてオドロキは冷や汗をたらしはじめた。
もう思い出してはならないと思っていたはずの、みぬきとの情事のシーンが頭の中を回転する。
もし、普通のHどころか手とか口とか足とかお尻とか、そんなことを
したのがばれたらどうなるんだろう。

(こ、殺される‥‥)

顔中から汗を流すオドロキを見て、いつもどおり茫洋とした表情で成歩堂はひきつづき
頭を傾げる。彼の胸のうちは誰にもわからなかった。

「オドロキさん、ただいま! あ、パパ、お帰り!」

タイミングよく、大きな声とともに袋を抱えたマジシャン姿のみぬきが帰ってきた。

「お帰り、みぬき。ついでにただいま」
「お帰り、みぬきちゃん。ずいぶん大きい荷物だけど、どうしたの」

成歩堂とオドロキが返事を返す。オドロキの言葉には、成歩堂が聞く限り
いつものものと変わりはなかった。それはみぬきの言葉にも。

「あ、さっそく気づいちゃいました? えーと、これはね」
がさがさと袋をあさりながら、続きを話し出す。

「学校とステージで、失恋したって話をしたんです、みぬき。
振られちゃったんですよって。そしたら、その」
袋の中から小山のようなラブレターと花を出す。
臆面もなく普通の台詞で話すもので、オドロキもへぇ、そうなのというように
言葉を受けた。

机の上にそれを並べ、シルクハットに手をやり、舌を出して続ける。

「みぬき、どうすればいいかな。ねぇ、パパ? お兄ちゃん?」
「‥‥」
「‥‥」

(成歩堂さん、普通の顔で怒るのはやめてくれないかな‥‥)
そう隣で思うオドロキの顔にも気づかれない程度に青筋が浮かんでいる。

娘離れはなかなかできそうにない、もうすぐ弁護士として復活する父親と、
それに輪をかけてできそうにない、弁護士として名前の売れ始めた兄は、
二人で目配せをする。
立ち位置を変え、腕を思う存分伸ばせるようにする。
バランから手ほどきをうけようと決めたみぬきは、その二人の位置に
あわせて自分も動く。

「成歩堂さん」
「ああ、オドロキくん」
「あ、じゃあみぬきも言っちゃおうかな。じゃあ、せーの、で」

相変わらずうるさい成歩堂なんでも事務所から、近所迷惑な3つの声が
初冬の空に大きくこだました。

「異議あり!!」

おわり

最終更新:2020年06月09日 17:35