御剣×真宵②(未完)

「真宵くんじゃないか」
「え? あ、御剣検事!」
 特徴的な飾りをつけた髪を揺らせて振り返る。その小さな顔の中には、活発な光を宿す大きな瞳と、まあよく回転する口が笑いの形を描いていた。
「一体どうしたのだね。――ああ、成歩堂の手伝いか」
 尋ねて、自分で解答を引き出した。この少女が法廷に現れるなど、それ以外の理由があるはずも無い。
「ええ! ナルホドくん。今日の裁判に必要な資料を忘れちゃって。私が急いで持ってきたんですよ」
 ニッコリと笑って、舌を出す。そんな子供っぽい仕草も、この少女には相応しく思えた。
 18歳。少女から、少しずつ成熟していく体。
 初めて出会った時は、本当にただの子供だったというのに。今は時折、こちらがハッとするほど大人びた表情をするようになった。
「……相変わらず、ズボラな男だな」
「そーなんですよ。でも、それがナルホドくんだから」
 ショウガナイ、と口で言う。けれど、その表情は語っている。そんな彼が愛しくてしょうがない、と。
「そうだな」
 頷いて、時計を見る。
「ところで、時間は大丈夫なのかね?」
「あ、はい。もう渡したから」
「そうか。では、喫茶店でお茶でもいかがかな。外は暑かったろう?」
 額に浮かんだ汗を見つめ、そう提案する。少女は大きな瞳をさらに大きく広げ、こちらを窺うように見上げてくる。
「いいんですか?」
「ああ、かまわんよ。それに、カードの集まり具合も聞いておきたかったのでな」
 トノサマンを愛する同好の士としても、彼女の知識は侮れない。私はそう考えて、彼女を誘った。

 ……ずっと、彼女が成歩堂の特別だと思っていた。
 それが違うのではないか、と思い始めたのは、いつからだろうか。
「どうしたんだ。真宵くん」
 ずぶ濡れになって涙を流す、不意に自宅にあらわれた少女を前に、私は正直困惑していた。
 どんな犯罪者にも怯んだことはない。だが、こんな風にいつも陽気な少女が音も無く涙を流す様というのは、胸を痛める以外に無い。そして、どう対処して良いのかも、分からない。
 何も言えず、ただタオルを手渡してバスルームへと連れて行った。
 温まりなさい、と言ってバスルームのドアを閉めると、彼女のために暖かいホットココアを用意する。ココアは以前、冥が置いていった物がまだあったのを憶えていた。
 湯が沸いた頃、バスルームのドアが開いた音がした。
 ココアを入れたマグカップを手に、振り返る。
 そして、凍った。
「……ま、真宵、くん?」
 そこには、バスタオル一枚を身体に巻いた少女がいた。
「な……なんでそんな格好で……」
 そこで思い至る。彼女の服はずぶ濡れだった。他に着る物も無いではないか。
「す、すまない。替えの服を用意するのを忘れていたな。すまないが私の物で我慢してくれ」
 バタバタとクローゼットからシャツとスエットを取り出す。
 彼女に手渡すと、急いでキッチンへと戻った。
 しばらく、ゴソゴソという音がして、それが収まる。
「いいかね?」
 私の問いに「はい」と小さな、本当に小さな声が返ってくる。マグカップを手に、居間へと戻った。
「飲みたまえ。身体が温まる」
 シャツとスエットはやはり彼女には大きすぎたようで、裾をまくっても、ダボダボだった。無言でカップを受け取ると、彼女はソファにチョコンと座り、少しずつ口をつけている。
「……おいし」
「そうか。良かった」
 それだけを答え、彼女の前に座る。
 ――検事としての仕事には、泣いている少女への対処方法など無かった。冥との会話を思い出す。ダメだ。あの娘は同年代の娘と違って、奇妙に大人びた所がある。
 どう切り出したものかと考えていると、彼女の方から口を開いた。
「……ナルホドくんね」
「成歩堂?」
 そうだ。彼女には身寄りは無い。彼女があれほど落ち込むとしたら、成歩堂以外に原因はありえないではないか。だが、しかし。
 あの男がこの少女を、ここまで消沈させられるとは、とてもではないが思えなかった。
「成歩堂が、どうかしたのかね」
「……ずっと、変だと思ってたの。ナルホドくん……いつまでも、お姉ちゃんの写真を飾ってるし」
「?」
 話が見えない。こうなれば、彼女の言葉を黙って聴く以外無いと判断し、私は黙ることにした。
「……浮いた話も一つもないし。そりゃ、ナルホドくんが忙しいってのは知ってたけど……でも」
 カップを持つ手が強く握り締められている。水面に波紋が生まれ、細い指が白くなっている。
「……でも、なんで? なんで、お姉ちゃんと……!」
「……お姉さん?」
 それは、以前殺害された綾里千尋のことだろうか。だが、どういうコトだ。彼女は既に故人だ。葬儀だって済んでいる。遺体も荼毘に付され、今はお骨だけだ。
「私……私だって……! なんで? なんでお姉ちゃんは……!」
 そこまで聞いて、理解した。
 彼女達、綾里の一族の力。霊媒という技術。そして、彼女達は死者をその身に降ろすコトができる。

「……真宵くん」
「お姉ちゃんとセックスしてた! ナルホドくん、私の前ではあんな顔、絶対にしない! お姉ちゃんだって、あんな顔をして……! あんな、あんないやらしいコト……!」
 霊媒で降霊した綾里千尋と、セックスをしていた、という事だろうか。
 彼女は、その様子を見てしまった、というコトか。
「どうして? どうして、お姉ちゃんはもういないのに! 本当はもう、お姉ちゃんはいないのに! どうして? ねえ、御剣さん!」
「……落ち着きたまえ、真宵くん」
「答えて! どうして? どうして、私は……! ねえ、私が子供だからダメなの!?」
「真宵くん!」
「だったら、いらない! 子供だっていう証拠なんか、いらない!」
 突然立ち上がると、彼女は身に着けていたシャツを乱暴に脱ぎ捨てた。
 大きな服の下からは、少女と大人の中間にある、なんとも言えない不可思議な魅力を持った裸体があった。膨らんだ乳房にくびれたウエスト。いつもと違う髪型のせいか、なおさらに彼女の雰囲気は違っていた。
 だが、その涙に濡れた顔が、その全てを痛々しい物に変えていた。
「真宵くん! は、早く服を着たまえ!」
「抱いてください! 子供だからダメだっていうんなら、御剣さんが、私を抱いてください!」
「自分が何を言っているのか、分かっているのかね! そんな、一時の激情で、自分の一生に関わるかも知れないことを決めるものじゃない!」
「どうして!? わたし、おかしい事なんか言っていないもの!」
 白い肢体が抱きついてくる。乱暴に引き離すこともできず、彼女の身体を抱きとめた。
 柔らかい体は、震えていた。
 寒さではないだろう。
「……真宵くん」
「お姉ちゃんに勝てるハズないもん! 私、ずっと思ってた。お姉ちゃんには勝てないって! だったら、こうするしかないじゃない!」
「私は君が綾里さんに負けているとは思わない。だから……」
「だったら! だったら、抱いてください! 私がお姉ちゃんに負けてないんだって、そう思うなら!」
 見上げる彼女の強い視線に、私は言葉を失う。なんと峻烈な美貌だろう。
 子供だと、私も思っていた。だが、違う。
 彼女はこんなにも、大人になろうとしていたのだ。
「……後悔はしないかね?」
 だからだろう。そう答えていたのは。
 ビクリと震えた体。だが、見上げる彼女の瞳は一歩も退かずに、私を見る。
「後悔なんかしません。……ううん。もう、後悔なんか、した後だから」
「……分かった」
 頷き、彼女の頬に手を当てる。
「目を閉じたまえ」
 言われるままに目を閉じた彼女の唇に、私は自分の唇を重ねた。
最終更新:2006年12月13日 08:31