神乃木×千尋?

例え身体で理解しても、頭で理解出来ない時が在るように。
頭で理解出来たとしても、身体が理解出来ない者が、確かに在る。

ただ、残された記憶だけが、鮮やかに息付いている。

-追悼恋慕-

木槌が法廷内に響いた。その音を聞き、ゴドーは一人、「クッ……」と、誰にも気付かれないような小さな声で笑った。
「被告人に、判決を言い渡します」
お馴染みサイバンチョこと裁判長が、甘杉 優作に無罪を言い渡した。
それを聞き届けてから、ゴドーはちらりと今回の相手弁護士、成歩堂 龍一の方を見た。その成歩堂は先程ゴドーからコーヒーをおごられたため、頭に、スーツにコーヒーが滴り落ちていた。
隣から伸びた手が持っているハンカチが成歩堂の顔を拭いているのが分かる。
「では、本日はこれにて閉廷!」
裁判長がそう締めくくり、木槌を鳴らした。
それを合図に、傍聴人などもどやどやと法廷を出て行く。
「……」
しばらくゴドーは立ち尽くしていた。
-よろしいですね、検事さん-
あの時…綾里 真宵の姿ではない真宵が放った言葉が、今でもゴドーの何処かに残っていた。
まぎれもない、服装は真宵の物では在るが……やはり、あれは。
数年前まで、敏腕弁護士ともうたわれた、綾里 千尋その人だった。
彼女は死んでいるはずだ、とゴドーは思った。千尋が死んだ後に、あの成歩堂が後を引き継いだ、と。
だが、成歩堂の隣には、千尋が居る。
「…………」
若手にして敏腕。
女性にして常勝。
それが綾里 千尋。
法曹界でもその名を知らぬ者は居ない。
例にも漏れず、ゴドーも千尋の事を知っていた。
死んだ、と報じられた世に反し、千尋は格好を違えて存在している。
しばらくゴドーは黙っていたが、やがてくるりと後ろを向き、法廷を後にした。
成歩堂達も、法廷を後にし、控え室に居た。
真宵の中にまだ居る千尋はしきりに成歩堂の頬にハンカチを当てる。
滴り落ちる液体が熱い。
「まあ、随分な格好になったわね、なるほどくん」
「ううう……まさかいきなりコーヒーカップを投げ付けられるとは思いませんでしたよ、しかも中身入りで」
「そうね。わたしも思わなかったわ。あの人がコーヒーカップを投げるなんて」
その言い方が、あまりに含みを感じられたので、成歩堂は怪訝な顔をした。
「……」
「千尋さん?」
「……え。あ、ああ。どうしたの、なるほどくん」
弾かれたように千尋は目を見開き、慌てて目を伏せた。
「いえ……何でも無いです」
その表情があまりにも全てを拒絶していたので、成歩堂はそれ以上何も言えず、口を閉ざした。
「なるほどくん………真宵は今、悩んでいるわ」
「え……」
千尋の言葉に、成歩堂は顔を上げた。
千尋は伝える。
真宵が今、霊媒師としての自分を見詰め、悩んでいると。
迷っていると。
そして、傍に居てやって欲しいと言った。
成歩堂はそれに対し、肯定した。
それを見届けると、千尋は去って行った。
そして、真宵が帰って来る。
倉院流霊媒術とは、そうしたものなのだ。
真宵はその事について悩んでいると千尋は言った。
それについて、成歩堂は何とも言えずに、自分の依頼人と大切な仲間と会話をした。

成歩堂は視線を感じ、その視線の持ち主へと目をやった。
そこには、真宵が居た。
「うわ。なるほどくん……随分と酷い格好になったね」
「ううう…ゴドー検事のコーヒー……苦い上に熱いし…散々な目に遭ったよ」
スーツの染みに指先を遊ばせる真宵に、苦笑しながら成歩堂は言った。
「クリーニング代、幾らくらいかなあ……」
「コーヒーの染みだもんね、結構掛かると思うよ」
そう言って他人事のように笑う真宵に、成歩堂は「笑い事じゃないよ、全く」と口をこぼした。
(今度から、ああ言う感じになるのか? 法廷…)
そう考えると、これから先の裁判ではクリーニング代が例年に比べて掛かるであろう。
「あ」
真宵が声を上げる。成歩堂は何事かと思った。
「ゴドー検事にコーヒーカップ、返してないね」
成歩堂の頭に在った白いカップを指差しながら、真宵が言った。
そう……あれからゴドーに返すタイミングを逸していて、成歩堂の手元にまだゴドーの愛用しているコーヒーカップが残っていたのだ。
「あちゃあ……返さないとなー」
成歩堂は頭を掻きながら言う。
返さなければとは思っていたものの、何故か成歩堂はゴドーに憎まれていた。その理由が分からずに居たし、そんな状況で成歩堂がゴドーに話し掛けても、はたして相手にしてくれるかどうか……
「今度の審理の時に返す…じゃあ、駄目かな?」
「駄目だよ。だってゴドー検事、大切そうに飲んでたじゃない!」
力みながら言う真宵に、(大切なら何でカップを投げ付けるんだよ…)と成歩堂は思った。
「きっと、今頃ゴドー検事の指先が寂しくて、震えてるかもしれないし!」
「微妙にワケの分からない例え方だね真宵ちゃん」
苦笑しながら、成歩堂はコーヒーカップを見た。
「でもまあ、このままなし崩しって訳にも行かないか」
「そうだよ! このままだと窃盗犯だよ!」
「いや、好きで持ってるわけじゃないんだけど…」
成歩堂は苦笑しながらカップをまじまじと見詰めた。
何の変哲も無い、少し大きめの無地のカップ。ただ。そこにはコーヒーの液体の跡だけが残っていた。
「なるほどくん、あたしに貸して」
「え…別に、ぼくが行っても良いんだけど」
「だって、なるほどくんって何だか嫌われてるみたいだし。返しに行って話がこじれちゃったら、大変でしょ?」
「……何が条件?」
成歩堂の言葉に、真宵は「そんな!」と言う。
「あたしそんなに腹黒くないよ! ただみそらーめんおごってくれないかな、なんて思ってるだけで」
「メチャクチャ下心在るじゃないか! そう言うのを腹黒いって言うんだよ!」
その腹黒さに成歩堂が異議を申し立てるが、真宵は「じゃあ、なるほどくんが行ってこじれず話は着く?」と行って来る。その言葉に、成歩堂は言葉に詰まった。
心当たりは無いが、何故か成歩堂はゴドーに憎まれている。それで話がこじれないとは言えない。
「……分かったよ。お願い出来るかな」
「みそらーめん大盛り、お代わり自由でね!」
(なな、何て事を言うんだこの子は!)
思わず成歩堂は真宵の事を引き止めようとしたが、真宵は既に成歩堂の手からカップを奪取、そのまま控え室を出て行ってしまっていた。残された成歩堂は、はあ…と溜息を吐く。
「なるほどくん…真宵さまは大丈夫でしょうか?」
春美が心配して尋ねて来る。成歩堂は「多分大丈夫だよ」と言ってやった。

真宵は半ば強引にカップを奪った後、鼻歌を歌いながら控え室から出て、検察側がいつもどやどやしている所へと足を向けていた。
(コーヒーカップ一つでみそらーめんお代わり自由なんて約束して貰っちゃった)
真宵が上機嫌なのもうなずける。
こちらは『行動』と言う労力一つで『食料』と言う報酬が貰えるのだから。
「すみませーん、ゴドー検事は居ますかー?」
「ゴドー検事なら向こうの部屋で休んでいますよ」
警官に声を掛けて聞いた所、そう返事が帰って来て、真宵はその警官に「ありがとうございます」と言ってから、指し示された部屋の方へと向かった。
真宵は扉の前まで来ると、二回ほどノックをする。
「ゴドー検事、お届け物でーす」
しばらく待ってみたが、返事は無い。
「ゴドー検事ぃー?」
「………………」
名を呼んでみても、やはり反応が無かった。
真宵は首を傾げながら、重い扉を押し開けた。
そこには、くたびれた革のソファに身体を預け、じっとしているゴドーが居た。
「あ、ゴドー検事! 居るんだったら返事して下さいよ!」
そう言って真宵はゴドーの元に近付いた。
「………………」
「………ゴドー検事?」
「・・……………」
真宵の言葉に、ゴドーは答えなかった。
黙ってゴドーの返事を待っていた真宵は、うんともすんとも言わないゴドーの姿に膨れ面になった。
「ゴドー検事!」
「………………」
「……」
「………………」
「…うぇーん…そんな、無視しなくても良いじゃないですかぁー」
泣き顔になって、真宵はゴドーの事を見詰めた。
ソファに身を預けているゴドーの表情は法廷の時に付けていた仮面に、疲れた雰囲気を漂わせている口元であった。
(……)
口元だけしか表情が分からないのは、何処かエロティックに感じられる。

どきりとしながら、真宵はゴドーの事を見続けていた。
相変わらず返事も無く、ゴドーは黙ったままであった。
「……」
真宵はゴドーの口元に、そっと手を持って行った。
もしかしたら、死んでいるかもしれない。
そんな有り得ない事を思っていたからだ。
「………」
しばらく手を近付けていた真宵は、正確なリズムの呼吸に、ゴドーは死んではいないと言う事が分かった。まあ、それは考えれば分かる事なのだが。
大体、外には警察が居たし、こんな部屋に刃物が在るはずも無い。
殺害、と言う事は無いだろう。
自殺するとしても、せいぜい毒薬を服用する事くらいしか手は無い。
だが、この部屋に水道も無い上に、ゴドー愛用のカップは真宵の手に在る。
「…ゴドー検事、眠ってるんですか?」
真宵が尋ねるが、ゴドーはそれに一定のリズムの息で答えた。
そっと、真宵は指先でゴドーの頬骨にそって頬を撫でた。
途中、ヒゲに指先が当たり、背筋がぞくりとするような、何処か異形の快楽を感じた。
そうされても、なおその呼吸を乱さないゴドーの姿に、真宵は彼が眠っている事を確信した。
「こんな所で寝てると、風邪引きますよー?」
そっとゴドーの耳元まで唇を持って行き、忠告する真宵。
「………………」
相変わらず、ゴドーは眠ったままなので、いささか真宵は不満を感じた。
(こんな所で無防備に眠ってるなんて…)
真宵はそっと指先をゴドーのメガネに触れた。
無機物である金属の冷たさが、真宵の指先に広がる。
そのメガネの輪郭を、真宵の指がそっと撫でる。
「…………ヘンなメガネ…」
呟いてから、真宵はそっとゴドーのメガネに手を掛けた。
(眠ってるし、少しくらい外しても良いよね。それ以前に、眠る時くらいメガネは外すもんね。そうだよね、あたし、悪い事何一つしようとしてないんだよ、うん!)
自分の行動に言い訳をしながら、真宵はそのメガネを持ち上げるべく、力を入れた。
指の腹全体に、その金属の冷たさが伝わる。

「…何をしてる?」
「きゃわああああっ!」
いきなり声を掛けられ、真宵は弾かれたようにゴドーから離れた。
一方のゴドーは「クッ…」と喉の奥で笑ってから、真宵の方を見た。
「よく来たな、迷えるコネコちゃんよぉ」
「……」
正直、寒いシャレに思えて仕方が無かったが、真宵は突っ込むのを止めておいた。
成歩堂が幾度と無くゴドーに突っ込んで、成果が在った試しがない。
「え、ええと……」
真宵は持っていたカップをゴドーに差し出した。
「これ…ゴドー検事のですよね?」
「クッ……わざわざ届けに来てくれたのかい。健気だねぇ」
笑ってから、差し出されたコーヒーカップを受け取るゴドー。
「……悪魔のように黒く、地獄のように熱く、接吻のように甘い」
「…へ?」
急にゴドーが訳の分からない言葉を言い始め、真宵は目を白黒させた。
「タレーランの言葉、だ」
「たれ…? 焼肉のですか?」
真宵の言葉に、ゴドーは「クッ……」と笑った。
「いや、タレーランは人の名前だ。フランスの元首相で1814年頃フランスで政党主義を唱えたヤツだ」
「はあ」
「…オレとタレーランとは気が合いそうだな」
「へ? 『たれらんと』さんと、ですか?」
「ああ」
真宵のボケに、もはやツッコミさえも入れずに、ゴドーは真宵から手渡されたカップを一口あおった。
何故かコーヒーを呑み下す音が聞こえる。
(な、何で!? あの中、すっかり空っぽだったのに!!)
まさに、謎はミステリー、である。

「ところで……さっきの、法廷での姿は何だ?」
ゴドーが急に真宵へ尋ねる。
「え…さっきの、って?」
「審理中に、急に姿が変わっただろう。アレはどんな魔法だい?」
その言葉に、「ああ、アレですか」と真宵が答える。
「あれは、霊媒なんです」
「…霊媒?」
「はい。死んだ人の霊を降ろして、身に宿らせるんです」
その言葉に、ゴドーの身体中に戦慄が走った。
「死んだ者の…霊、か」
心無しか、ゴドーの指先が震えているように真宵には思えた。それだけではない。何処と無くぎこちなく、そしてせわしなく辺りを見回し、晴れない気を紛らわせようとしているようにさえ見える。
「じゃあ、当然さっきのネエちゃんも……死者、って訳か」
「……」
真宵は胸にちくりと来る物を感じた。
成歩堂や真宵にとっては、千尋は『居る』ような者に思えていて、死者と考えた事すら最近は無くなっていたからだ。
そう。綾里 千尋は死んでいるのだ。
「そう……ですね」
心の動揺を隠せずに、真宵はゴドーの言葉に答えた。
その様子を見て、ゴドーは軽く首を横に振った。
「クッ……オレとした事が、コネコちゃんに余計なねこじゃらしを与えちまったみたいだな」
カップをゆらゆらと揺らし、ゴドーは乾いた己の唇をそっと舌で拭った。
「……オレの目がイカれてなければ…あのネエちゃんは……この法曹界の、女弁護士、だな」
「! す、凄い! どうして分かったんですか!?」
目を丸くして尋ねる真宵に、ゴドーは「クッ……」と笑い、カップを真宵に向けた。
「結構有名になっていたからな。この世界であの女弁護士を知らないヤツは…コーヒーを飲んだ事の無いタレーランのように愚かなヤツ、さ」
「それって凄いレベルなんですか?」
「ああ。そうだな。コネコちゃんにとって見ればこれは……この世にみそラーメンが無くなるのと同じくらい、愚かで絶望的な事、だな」
ゴドーの言葉に「ひゃああああっ!」と叫び、真宵は愕然とした表情になる。
「み、み、み、みそラーメンの無い世の中……お終いだぁ」
「おいおい。これはちょっとした言葉の文であってだな」
その真宵の落胆ぶりに、思わずゴドーはたじろいだ。そしてぽんぽんとゴドーは真宵の背中を叩いてやる。
とても小さな背中だった。

「……」
ゴドーはしげしげと真宵の後ろ姿を眺めた。
カラスの濡れ羽色をした、漆黒の髪。
つややかな髪は、その毛先付近で結わえられている。
七分丈の上着から出た白い腕は細く、上品で美しい指先を持つ。
服の裾から伸びるしなやかな足は、むしろ心地よさを感じさせる脚線美だ。
ついつい、爪先まで自然と目が向いてしまうほど、真宵の四肢はくどくない魅惑を持っていた。
だが恐らく、その魅力は普段は何気ない物として見落とされがちだろう。現に、ゴドー自身もこうして近くによって見詰めるまで、真宵の魅力をここまで意識はしなかった。
「クッ…そんなに落ち込んじまうと、コーヒーが渋くなっちゃうぜ」
「渋く……それはお茶ですよ」
はふう、と溜息を吐いてから、急にぱっと持ち前の明るい表情に戻る真宵。
「とにかくっ、カップ返しましたから。それじゃ……」
「っ! ちょっと、待て…」
言いながら、ゴドーは真宵の腕を掴み、引き寄せていた。
「え……?」
真宵はすっとんきょうな声を上げながら、そのたくましい胸板に背中を付けていた。
(う、うわ…うわわわーっ)
一気に血液が頭部に噴き上がるのが分かる。
その、あまりにも力強い指先の動きと、心地よさを何処かで感じられる胸板に居て、真宵は目を白黒させている。
一方のゴドーは、何かとんでもない事をしてしまったかのように(実際しているのだが)、表情を凍り付かせていた。

「………あー。その、何だ…」
気まずい雰囲気の中、重々しくではあるがゴドーが言葉を発する。
「…コネコちゃんの、その、魔法みたいなアレを……」
「え?」
「いや…その、何だ……」
ぽりぽりとゴドーは高頭部を困ったように掻いて、もごもごと言う。
「霊媒を…見せてくれねえか?」
「!」
真宵はゴドーの腕の中でもぞもぞと動き、顔をゴドーの方に向けた。
「霊媒…ですか?」
「ああ……ダメかい?」
「……」
真宵は困惑した表情になった。
正直、迷っているのだ。
霊媒と言う物を、そもそも最近は恐ろしいと思う事件も在った。まあ、それは一年前の事なのだが。
それは肉親に裏切られた、しかも自分が逃れる事の出来ない、運命(さだめ)にも似た、代々受け継がれて来た『霊媒術』を利用した事件。
そうでなくとも、霊媒によって真宵は二人の人物と逢えなくなった。
霊媒に失敗したとされ、失脚した母。
そしてそれを追いながらも、母を追いやった者を突き止めようとした姉。
真宵の中では、霊媒とはどうしようもなくなった時の切り札でしかなかった。
逆に言えば、それ以外には触れたくなかったのだ。
「………」
「コネコちゃん?」
「…あ、の……あたし…」
おどおどと真宵は言葉を発する。
その様子を見て、ゴドーはそっぽを向き、「クッ……」と笑って真宵を解放した。
「…冗談だ。こんな得体の知れねえ検事に、ほいほいと秘術を見せる訳にもいかねえよな」
そう言って、ゴドーは真宵の身体から離れた。
…どうしようもない、高揚するような感情を残しながら。
「……ゴドー検事」
真宵が、ゴドーの事を呼ぶ。
「…どうして、あたしが……みそラーメン好きだって、分かったんです?」
「どう言う事だ?」
ゴドーが真宵の目を見る。
「あたし、ゴドー検事の目の前で、みそラーメンが好きだなんて、言った事無いですよ?」
「!」
「それに……霊媒を素直に信じるし……秘術だって、分かってるみたいだし」
ちらり、と真宵はゴドーの方を見る。
(ゴドー検事、悪い人じゃないみたい。何だかあたしの事知ってるみたいだし。それに……優しい感じがする)
真宵は目を細めた。
「……誰を、霊媒して欲しいんですか?」
その言葉に、ゴドーは驚いた。
この少女は、たったその二つを根拠に、この見なれない検事に霊媒を見せてくれると言う。
ゴドーは微かに唾を飲み下した。
「……そう、だな」
肩をすくめ、ゴドーはカップを見詰めた。なるべく真宵の事を見たくなかった。
自分はどうしようもなく卑怯で臆病だ、と心の何処かでゴドーは思った。
ふっ切れない想いが、彼を駆り立てる。
「千尋……」
「え!?」
「…綾里弁護士を、霊媒でもして貰おうか」
ゴドーの言葉に、真宵は思わずゴドーにすがった。

「お、おねえちゃんの事、知ってるんですか!?」
「クッ……言ったはずだぜ、コネコちゃん?」
空のはずのカップをあおり、ゴドーは真宵の方を見る。
「この世界であの女弁護士を知らねえヤツは、コーヒー豆を買いあさって満足している愚かなヤツと同じ、とな」
「さっきとセリフが違いますけど」
「クッ……さっきも末期もねえぜ。アンタは捨てたゴミをまたあさるクセでも在るのかい?」
「在りません!」
「それと同じ、さ。セリフ? そんな物、捨てるために在るのさ」
「それって捨てゼリフじゃあ…」
「早すぎるツッコミ…カッコつかねえぜ」
「突っ込まないとゴドー検事、止まりそうに無いですから」
「クッ……違えねえ」
そう言って、ゴドーはカップをあおった。
「……分かりました」
「ぶっふおおおおおおッ!」
「きゃわああああっ! き、汚いッ!」
真宵が顔をしかめてコーヒーしぶきから避ける。幸いな事に、彼女に掛かる事は無かった。
「本気で、良いのか?」
「良くないですよっ! コーヒーのシミって、落ちないんですよ!!」
「そうじゃなくてだな…本当にアンタ、千……綾里弁護士を霊媒してくれるってのか?」
ゴドーの言葉に、「ああ、それですか」と真宵が言う。
「はい! 良いですよ」
「……良いのかい?」
「む、ゴドー検事。ここまで来て怖じ気付いちゃったんですかー?」
「いや、そう言う訳じゃねえが」
そう言って、ゴドーはカップの中を見る。カップの中は虚空だった。
「けど……アンタはオレを良く知らない」
「まあ、そうですね」
「オレとアンタには、何の関わりも無い」
「なるほどくんとなら在りそうですけどね」
「更に、オレとアンタとは価値観が合いそうにもねえ」
「合う人が居たら見てみたいです」
「そんなヤツの言う事を聞くのかい、コネコちゃん」
「……一つ、聞いて良いですか?」
ゴドーの言葉に答える前に、真宵は尋ねた。
「…言ってみな。聞いてやるぜ」
「どうして、おねえちゃんに逢いたいって、思ったんですか?」
その言葉に、ゴドーは言葉に詰まった。
彼女のその言葉に答える事は、難しくは無い。
逢って、話をしたい。ただそれだけである。
たったそれだけを言う事は、容易な事だ。
以前の、『彼』であったら。
「……クッ」
唇の端を持ち上げ、ゴドーは真宵から目を逸らす。
「オレは新人だからな。法曹界でも有名だった女弁護士サンから色々聞きたいんだよ」
嘘混じりの証言をするゴドー。

その姿をじっと見てから、真宵はうなずいた。
「分かりました。じゃあ、ちょっと待ってて下さいね!」
真宵はそう言ってから、ソファの影に隠れた。一応、秘術と言う事で隠れているらしい。その姿の滑稽さに吹き出しそうになりながら、ゴドーは黙って目を逸らしていた。
元々、直視する事さえ禁忌のような気がしてならないのだ。
いや、もしかすると、逢う事さえ禁忌なのかも知れない。

「……」
何だか、懐かしい感覚がした。ゴドーは思わずソファの影に目を向ける。
そこには呆然と立ち尽くす女性の姿が在った。
先程の法廷と同じだ。
服装、髪型こそ綾里 真宵の物であるのに。
けれど、そこに居るのは真宵ではなく。
真宵よりもっと大人びた顔つき、妖艶さを感じさせるような肢体がそこにある。
常勝の女弁護士。
成歩堂の師匠。
そして……
「…千尋」
「!」
そして、彼がまだ『彼』だった頃の……後輩。
綾里 千尋がそこに居た。
「……数分ぶりですね、検事さん」
「……」
始めは驚いた表情をしていたが、やがて自分の置かれた状況を理解したのか、にこやかに、でも何処か寂しそうな笑顔で、千尋がゴドーに声を掛けた。
その言葉に対し、何も言う事が出来ないゴドー。
話したい事は沢山在った。
けれど、彼女を目の前にした時、ゴドーは言いたかった事全てを頭の中から消し去ってしまった。
「何か、わたしに用事ですか?」
「……! あ、ああ…」
やっとここまで来て、ゴドーは我に返った。
こんな所で呆然としていては意味が無い。

最終更新:2006年12月13日 08:35