歴史

川崎縦貫鉄道の歴史年表

年月日 出来事 備考
1876年6月 川崎軌道設立
1880年10月 川崎~丸子(現・中原)間工事の起工式
1885年 川崎~丸子(現・中原)間開業
1923年 宮前駅まで開業
1930年10月 開業50周年
1933年10月 羽田空港線開業 開業日から本線直通
1942年 急行が出来る
1944年 戦争の激化により、全線運休
1945年 川鉄の鉄道設備が次々に空爆される
1948年 運行再開
1957年 麻生駅まで開業
1958年 自社製造ができるように、川崎・中原・高津・麻生製造所を新設
1960年2月 王禅寺駅まで開業
1960年 1000系製造開始
1960年9月10日 関東新高速鉄道主体の関東鉄道同盟の発足を受け、川鉄も参入
1963年 1000系を改造した1100系が誕生
1969年 大部分を並走する南武線に快速が誕生。競争力増のため、朝夕ラッシュ時の優等種別を増発
1970年 全線電化
1973年 川崎電車区周辺に、社宅が建設される
1973年5月 13年に及んだ1000系の製造が終了
1975年 4000系製造開始
1976年4月 ダイヤ改正で特急列車が登場
1976年 特急列車用に2000系を製造
1976年 4000系製造終了
1979年6月 成田空港線開業 開業日から本線直通
1980年 国鉄・周辺の私鉄に対抗するため、通勤時間帯は速達列車を大量増発
1980年 川崎縦貫鉄道開業100周年を記念して、1500系が製造される
1980年1月 川崎縦貫鉄道開業100周年記念ラッピング車両が走行する ~87年まで運行
1980年8月 開業100周年を記念して、中原総合車両所が一般に公開される
1982年5月 川崎臨海鉄道を買収。臨海部の支線にする 横浜の路線も含めて
1985年 1100系の連結先頭車の運転台を撤去。完全に中間車化される
1987年4月 近辺の国鉄が民営化。競争力を強めるため、新車を大量投入
1988年12月31日 関東鉄道同盟崩壊により、それを脱退
1989年1月1日 関東新高速鉄道主体の関東トレインネットワーク(通称:KTN)発足に伴い、川鉄も参入
1992年 8000系製造開始
1992年 横浜臨海鉄道を買収。臨海部の支線にする 一部路線は未開業
1993年 速達列車の更なる増発と、車両性能の向上を目的に、3000系1次車製造開始
1993年 5000系製造・投入に伴い、4000系5編成20両が廃車
1995年 1次車の性能をそのままにデザインを一新した2次車が登場
1995年 7000系製造開始
1997年 3000系1次車の製造が終了
1998年 3000系2次車の製造が終了
1998年 7000系の製造が終了
1999年 8000系の製造が終了
1999年12月30日 経営環境の変化による意見の相違から、KTNを脱退
2000年4月 9000系投入、600系全車引退・廃車
2002年 M1000系の製造開始
2003年 9000系の製造が終了
2004年1月 M1000系の製造が終了
2004年4月 ロンチキ(気動車)の登場で、チキ5000が廃車
2004年4月 学園都市設立に伴い、学園都市線に着工。同時に循環線も建設開始
2004年12月 学園都市線・循環線開業
2005年 M2000系の製造開始
2006年 川鉄設立130周年を記念して、川鉄総合博物館開館
2007年 M2000系の製造終了
2008年 4000系の予備5編成が廃車。4000系は残り20両に
2011年3月1日 南武線に快速が復活予定。速達種別の更なる増発に踏み切るため、白紙ダイヤ改正を決行

続きは後日
最終更新:2010年10月30日 12:12
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