用語集/メーカー(消滅)(さ行)

メーカー 現在ゲーム事業に関わっている国内ゲームメーカー
 あ行 / い~お / か行 / さ行 / た行 / な行 / は行 / ま行 / や~わ行
メーカー(消滅) かつてゲーム事業に関わっていた国内ゲームメーカー
 あ行 / か行 / さ行 / た行 / な行 / は行 / ま~わ行
メーカー(その他) 海外ゲームメーカー(現存・消滅)
シナリオ制作・周辺機器などのメーカー


株式会社彩京 (合併消滅)

かつて存在したビデオシステムの社員が設立したメーカー。創業時は「彩アート京都」であり、彩京はその名称を短縮したもの。
対戦格闘絶頂期に登場し、当時のシューティングとしては異例のヒットを飛ばす事になる『戦国エース』がデビュー作。
他にも女の子の脱衣だけに留まらず、やたらとガチムチな男どものウホッな絡みで話題となった麻雀ゲーム『対戦ホットギミックシリーズ』をリリースした事でも有名である。
主にシューティング、脱衣麻雀を中心にソフトをリリースしてきたが、アーケード業界及びシューティングの低迷を受けて経営は難航を極め、2002年にかつて関わりのあったクロスノーツに吸収され消滅した。
もっとも末期は、キャラゲーと思わせておいてやたら難易度が高いシューティングゲームばかりリリースしていたため、「高難易度ばかりに走り初心者離れを招いた結果自滅した」とも捉えられる。
クロスノーツと合併後も彩京はブランドとして今も存在しているが、その実績はあまりにも悲惨(詳しくはクロスノーツの項参照)で、旧彩京ファンからは敵対視されているのが現状である。

株式会社サンテックジャパン (倒産)

かつて東京(末期は千葉)に存在したメーカー。社名は「サウンドテクノロジージャパン」から来ている。元はカラオケ音源を製作していた会社らしい。
PS用ソフト『里見の謎』『10101 ”WILL” THE STAR SHIP』でコンシューマーゲーム界に参入するが、他のゲームより劣化した仕様を「新システム」と言い切る世間知らずぶりや、その突っ込み所満載の展開ゆえにクソゲーと認定された。
両作共社長の小澤夢生(おざわ ゆめお)自らがプロデューサーを担当しており、更にその兄が校長を務める沖縄タレントアカデミーの所属者・島紘子を出演させていた。
この2作のみを残してコンシューマーゲーム界からは撤退し、PC用ソフト(主にエロゲー)を世に出していたが、04年に倒産した。
ちなみに下請けメインのゲームメーカー、「サン・テック」(こちらも倒産)とは名前が似てるだけで関係ないと思われる。

株式会社サンライズインタラクティブ (解散)

大手アニメ制作会社・サンライズのゲーム部門として1998年に設立された子会社。代表・プロデューサーにあたっていたのは塚田廷式(たかのり)。
新潟明訓高校の野球部出身で『サンライズラヂオ』の第1回目放送で名前が覚えづらいからと本人から「ザク塚田」と名乗ったために「ザク塚田」と呼ばれる。
その名の通りサンライズ製作アニメのゲーム作品を開発・販売していた。
因みにサンライズインタラクティブが存在した時期は『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のPDから社長になり、福田己津央監督と共に『機動戦士ガンダムSEED』等で一時代を築く権勢を誇った吉井孝幸社長の在任期間(1995-2008)と重なるため、1997年に『銀河漂流バイファム』の神田武幸監督が亡くなった後1998年に2スタがボンズとして独立するなど吉井体制の権勢が強まり、『装甲騎兵ボトムズ』の高橋良輔監督門下のスタッフが冷遇される時期が長期に渡り続いていたことから、そうした防波堤としてのコミューンとして存在したのがサンライズインタラクティブであったとも言える。
設立初期は『サンライズ英雄譚』シリーズや『ハロボッツ』などそこそこ遊べる作品を制作していたが、上記の通りサンライズ自体や広報ラジオ番組の『サンライズラヂオ』のパーソナリティ選定に至るまで全てを「ガラガラポン」するような事態が続いていたため長きに渡る混迷と迷走が続いた。
これらの余震が長期化する中で一時期番組やゲーム開発のレポートなど様々なサポートに孤軍奮闘していたタカラ(当時)の早坂(『ブレイブサーガ』シリーズのハヤバーン)もまた、タカラの親子社長の権力闘争などによる求心力の低下からお家騒動に巻き込まれる形でフェイドアウトする事になり(これで主に勇者シリーズの取り扱いが微妙なものになるなどの多大なる被害が拡大し)、以降のサンライズインタラクティブ作品は当然のようにクソゲー化した(『サンライズ ワールド ウォー』など)。
その後はバンプレスト(当時)の寺田貴信を中心にJAM Projectのヒット作を量産、ランティスメンバーを引き入れて、遂に美郷あきの引き入れに成功。時代の形勢が逆転する。
……などといったゲーム以外の権謀術数を駆使し、本来のアニメ事業に復帰する道筋をつけていく。
その後ザク塚田は高橋氏に進言し「スティーヴ」となりボトムズ関連の仕事に従事しサンライズ復帰の足がかりをつかむ。
2008年に従来の高橋派に近い内田健二氏がサンライズ社長に就任。吉井氏は会長に就任した *1
最終作『バトルオブサンライズ』の発売と共に『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』の企画は順調に進展、2008年8月31日をもってコミューンとしてのサンライズインタラクティブは役割を終えた。
なお当社を退社した開発スタッフはその後「有限会社さざなみ」を設立、『スーパーロボット大戦シリーズ』などにデベロッパーとして参加している。

株式会社ジャレコ(消息不明)

ゲームメーカーの古株の1社。創業時から現在まで社名を3度変更している *2
『忍者じゃじゃ丸くん』といったファミコン時代の名作アクションや、脱衣麻雀界に新風を巻き起こし大きくシリーズ化される事になる『スーチーパイシリーズ』など、良い意味で功績を残したゲームも決して少なくはない。
しかし、あまりゲームの質は良くなく、悪く言えばクソゲーかそれに近いゲームの方が多いとされる。
旧ジャレコ時代は『ミシシッピー殺人事件』、PCCW時代は『ダライアスR』、新ジャレコ時代は2009年を代表するクソゲーの1つ『黄金の絆』など、どの時代にも何かしらのクソゲーが存在し、本サイトにもいくつか該当作が登録されている。
特に『黄金の絆』には相当力を入れていたらしく、なんと開発期間3年で開発費は4億円。大規模な企業ならともかく、中小規模の企業がここまで資金と時間を費やすのは明らかに博打を打っているようなものである。
業績不振に加え同年の『黄金の絆』の大失敗からか多額の負債を抱えたこともあり、2009年に「ゲームヤロウ」に1円で売却された。
しかし近年は、

  • 2012年1月頃に忍者じゃじゃ丸くんなどレトロ系タイトルのライセンスをハムスターに提供(実質版権移行)
  • 社長の加藤貴康氏のブログがいつのまにか削除済み
  • 公式サイトの更新が2011年8月を最後に停止→消滅

と、アナウンスこそないものの実質的に倒産の状態にあり、親会社の「ゲームヤロウ」も破産手続きが開始された。 2017年にシテイコネクションが権利獲得した。2 月8日に任天堂ハードに配信された

株式会社J・ウイング (消息不明)

1994年に設立され、主にゲームボーイなどの携帯機ソフトを発売していたメーカー。プログラムなどの開発は基本的に外注であった。
マイナーメーカーとしては比較的多くのソフトをリリースしていたが、その出来栄えはあまりよろしい出来とはいえず、当時のゲーマーからはあまりいい目で見られていなかった模様。
2000年代初期から本メーカーの存在は不明になっている。
かつてのJ・ウイング公式HPのリンク先は、現在は食品製造事業などを行う同じ名のメーカーのものとなっているが、おそらく無関係だと思われる。
また、下記のJフォースとも一切無関係である。

株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント(事業撤退)

JVCケンウッドの子会社で、旧名「ビクター音楽産業」(1972.4~1993.3)及び「ビクターエンタテインメント」(1993.4~2014.3)。音楽・映像分野の大手だが、かつてはゲーム事業にも参加していた過去がある。
パブリッシャー専門のため製品の質にバラツキは多かったが、PCE初期の名作ACT『魔境伝説』(88年、開発はアトラス)や家庭用ゲーム機で初のムービーを実現したCD-ROM2専用ソフト『シャーロックホームズの探偵講座』(91年)のような意欲作も生み出している。
また日本ファルコムの作品を家庭用ゲーム機に移植したことでも知られており『イース』『イースII』『イースIII』をFCに、『ソーサリアン』をPCEに送り出した。
他にも1990年に米エレクトロニック・アーツ社と提携し、同社の日本進出の架け橋となったこともある(両者の資本提携関係は1998年まで続いた)。
発売されたソフトの対応ハードは、パソコン・ファミコン・PCエンジン・メガCD・ゲームボーイ・同アドバンスなど。
パソコンではアダルトゲームに関わっていた事実があった模様。
1996年に自社のゲーム部門とパック・イン・ビデオを統合し「ビクターインタラクティブソフトウェア」を設立、ゲーム事業から撤退した。
尚、同じビクターの名を冠するレコード会社として「BMGビクター」 *3 が存在しており、ゲーム事業に関わっていたが、こちらとは全く別の会社である。

株式会社Jフォース (倒産)

元ウルフチームの代表を務めた秋篠雅弘氏が1990年に設立したメーカー。
当初から様々なメーカーの開発を請け負うが、異様なまでの開発の大幅遅延によりトラブルが絶えなかったというトンデモ企業であった。
1996年にセガサターンにて『ドラゴンフォース』の開発に関わるも、製作途中で会社は倒産し、秋篠氏は突然の失踪(今も身元不明)を行うという前代未聞な珍事にて幕を閉じた。
なお、開発が放棄された『ドラゴンフォース』はセガ自身が開発を引き継いで完成、発売している。
ここのスタッフだった人物はJフォース倒産の後に、アイディアファクトリーや今は亡きサンテックジャパンに入社している。

シグマ商事株式会社 (事業撤退)

東京に存在したゲーム会社。
ゲームセンターの運営や、良質なメダルゲーム機を開発する事でも知られ、アーケード業界で活躍していた他、ゲームソフトも世に出していた(但し基本的に外注)。
組織変更によりアーケード部門は91年に「株式会社シグマ」へ移管したが、シグマ商事によるゲームソフトの販売は続けられていた。
92年、バカゲーを狙った『摩訶摩訶』を世に出すが、実際はバグゲーだった。第2作も企画していたが売れ行きが悪かった為、コンシューマー業界自体から撤退した。
現在は「ケイエム企業株式会社」と名を変えて創業者の資産管理会社となっており、また株式会社シグマは2000年にアルゼ(現ユニバーサル・エンターテインメント)傘下に入り「アドアーズ株式会社」となった後、アルゼとの資本関係を解消し現在に至っている。

株式会社システムサコム (事業撤退)

かつてパソコン、及び家庭用ゲームのリリースに関わったメーカー。
80~90年代初期のパソコン時代期はノベルゲームを中心とした活動をしていたが、90年代中期になると家庭用ゲーム活動へシフトチェンジし、それなりのソフトをリリースしていた。
90年代後期にゲーム事業から撤退、現在は「システムサコム販売」と社名を変え、ハードウェア販売事業をメインに活動している。
ちなみに元スタッフのマークフリントは日本人。この名も他の有名スタッフのHN同様、本名ではないようである。情報元12
一説によればもう1人の名プログラマーでもあったヤン・トモリこと堀本幸男氏がマーク・フリント氏である、との噂も大きかったとか。
なお、ここの独立組としては上記の堀本氏(インフィニティー株式会社)をはじめ、ルゴシエラと合流して多数のエロゲを生み出している有限会社ムーン(因みにそのあたりを探ると末期の株式会社システムサコムはエスエスビー、と名乗っていたことも知られている。))や、有限会社メディアジャングル→株式会社ジャングルを経て2003年からは株式会社アイビー・アーツとなった『トロと休日』の井上雅晴氏(システムサコム時代は『アストロノーカ』や『ユーラシアエクスプレス殺人事件』を担当)の流れがある。

株式会社シナジー幾何学 (倒産)

コンピューターソフト分野では非常に有名なメーカー。
ここはあくまでもゲームサイトなので詳細は伏せるが、とあるコンピューターソフト開発が大成功を収め、そっちの業界ではかなり有名な存在だった模様。
一方でゲーム事業としては極めて地味でさほど大きな活動は見られない。ゲームメーカーというより映像クリエイター集団に近い。
経営悪化に伴い1998年に倒産している。
当時のメーカーとしては珍しく3DOのソフト開発に力を注いでいた。

  • 項目のあるソフト…鉄人

シャープ株式会社(事業撤退)

大阪市に本社を置く総合家電メーカー。任天堂とは長らくパートナーシップ関係を結んでおり、この会社なくして携帯機は発売できないと言っても過言ではない。
FCの互換機を複数発売しており、FCをテレビに内蔵した「ファミコンテレビC1」やFCとディスクシステムを合体させた「ツインファミコン」、ビデオ編集機能を持たせた「ファミコンタイトラー」が販売されていた。
これらは任天堂純正のものよりも高価ではあったが、ツインファミコンはビデオ出力に、ファミコンタイトラーはS端子出力に対応していたため、画質は本家より優れていた *4
また、SFCをテレビに内蔵した「スーパーファミコンテレビSF1」という互換機も存在する。
ちなみに、HE-SYSTEM(要するにPCエンジンである)を内蔵したパソコン「X1twin」という珍品も発売していた *5
また、ハドソンと共に「ファミリーベーシック」の開発にも加わっている *6 。ハドソンを任天堂に紹介したのはシャープであるが、これはシャープが自社パソコンX1にハドソン製のHu-BASICを採用していたことが一因である。
シャープとテレビゲームの歴史を語る上で忘れるわけにはいかないのは、何と言っても87年に発売された16bitパソコン「X68000」であろう。
当時アーケードの基板で主流だったモトローラのMC68000を搭載した本機は、当時としては考えられなかった「アーケードとほぼ同等のゲームを家庭用ハードで再現する」という難題をやり遂げてしまうモンスターハードであった。
初代の本体には(ほぼ)完全移植の『グラディウス』が同梱され、その後も『スペースハリアー』や『アフターバーナー』、『ドラゴンスピリット』や『源平討魔伝』といった当時のヒット作が続々と移植された。
後年はカプコンやコナミも参入し、質の高い移植作品を発売した。コナミが発売した『悪魔城ドラキュラ*7 は傑作として名高い。
93年に32bit機となったX68030を投入するが、95年にはWindows95が発売されPC互換機の流れが確定的になったこともあり、シャープは独自規格パソコンの続行を完全に断念した。

株式会社ショウエイシステム (倒産)

かつて存在したメーカーで、ゲームの他にパチンコ製品開発の事業も行っていた。
スーパーファミコンにてリリースされた怪作『摩訶摩訶』の開発、『イデアの日』の発売元として知られる。
他にも東映動画販売の『北斗の拳』他、多くのゲームに関わっていた時期があった(『長靴をはいた猫 世界一周80日大冒険』など)。
マイナーメーカーらしく、ほとんど話題になる事も無いまま、ひっそりと1999年に倒産した。

株式会社翔泳社 (事業撤退)

本来は出版やソフトウェア開発等を主業務とする会社だが、PS時代はギャルゲーを主軸にあれこれとソフトを出していた。
しかし青山総一(明日香景介)の「乳絵」に頼るだけのギャルゲーが多く、ギャルゲーユーザーからは、「乳だけが大きい、ありがちな駄ギャルゲー」として見られていた模様。
PSソフト『ルナ・ウィング~時を越えた聖戦』をタカラから発売した後、その後は撤退するまでの間は下請けとして活動していた。
なおギャルゲー制作からの撤退に反感を抱いた開発チームは独立し「プリンセスソフト」を設立したらしい。
PS3/PSPのゲームアーカイブスにて、本メーカー関連のPS時代のソフトの幾つかがが配信中である(配信元は関連会社のSEモバイル・アンド・オンライン)。

有限会社シンキングラビット (倒産)

80年代初期にて、パズルゲームの名作の1つである『倉庫番』を生み出したメーカーとして一部有名だったメーカー。
本サイトでは本メーカー開発の『南方珀堂登場』(アトラス発売)が、お粗末ミステリーとしてクソゲー判定にされているが、主にパソコン向けソフトにて意欲的な作りのミステリーゲームを数作リリースした実績があり、今もコアなファンが少数存在する。

株式会社シング (倒産)

1999年に有限会社シングとして設立、翌年に株式会社となった。
製作ソフトはPS2が1作、DSが4作、Wiiが2作、遺作はマーベラスエンターテイメントから発売され、タウンファクトリーと共同制作の『王様物語』。
全体的に良作が多く小規模ながらも優良メーカーとしての評価を得ていたものの、開発遅れにより納期を守れない状態が恒常化して資金繰りに行き詰まり、王様物語発売の約半年後である2010年4月に倒産した。

株式会社スクウェア (合併消滅)

電友社のソフト開発部門としてスタート。PCゲームの開発を手がける。『ザ・デストラップ』シリーズ、『アルファ』等のADVで、一定の評価を獲得。その後、1986年に電友社から独立。開発対象をPCゲームから、コンシュマーへと移した。そして1987年に出した『ファイナルファンタジー』がヒット。大きく躍進する事となる。
RPGの良作が多く、上で紹介したFFの他『サガ』『ライブ・ア・ライブ』『聖剣伝説』『キングダム ハーツ』など多数の良ゲーを世に送り、一方で『半熟英雄』のようなバカゲーも出していた優良メーカーであった。
また、ATBを始めとしたシステムが個性的であるゲームが多い。そのせいかシリーズ物でも評価はあまり安定していない。『FFVIII』がいい例。
子会社のデジキューブによるコンビニでのソフト販売をはじめ、2001年に公開した映画『ファイナルファンタジー』がずっこけたせいで業績が悪化、そのままズルズルとその問題を引きずることになった(よく勘違いされているが、エニックスと合併したのは映画とは関係ない)。
優良メーカーであるものの、詰めが甘いのかバグは結構見られた。
しかし致命的なものはあまりなかったどころか、アイテム増殖などのプレイヤーに有益な物が多かったため、それすらもゲームの一部として楽しまれていた。
但し『ゲーム批評』において、他社からの大量引き抜きを行なった事 *8 を飯野賢治氏が紙面で激烈に怒っていた。
なお、現在旧スクウェアのURLは同名の不動産会社が持っている。

株式会社スパイク(合併消滅)

『喧嘩番長シリーズ』など男向けの硬派なソフトが多い事で知られるメーカー。1989年に創業した有限会社みずきが前身。1991年に株式会社化し、1997年に現社名に変更した。
良作、佳作が多く、あまりクソゲーは出さない事が多いと言われてきたが、微妙なものがちらほらとリリースされはじめ、ついに、一時期話題となった「見えている地雷」こと『エルヴァンディアストーリー』を始めとしたクソゲーを排出してしまう。
販売元が自社になっているゲームがクソゲー率が高い傾向にある。問題は企画側にあるのだろうか。
だが、その後は『ダンガンロンパ』といった良作も輩出するようになり、安定感が出るようになった。
「Xbox360大好き、PS3大嫌い」メーカーの1つとして知られ、『侍道3』の360への移植(開発はアクワイア)発表の件などでスパイクを毛嫌いしているPS3ユーザーは少なくない。
2012年4月に同じドワンゴ傘下のチュンソフトと合併し、スパイク・チュンソフトとなった。

株式会社セタ (解散)

1985年に設立されたメーカー。
80年代後期にアーケード界の脱衣麻雀において空前のヒットを飛ばし、その後もシリーズ化される事になる『スーパーリアル麻雀シリーズ』や、家庭用将棋ゲームの定番の1つだった『森田将棋シリーズ』の製作元である。 他にもRPG(『シルヴァ・サーガ』ほか)やシューティング(『ツインイーグル』『ウルトラ警備隊』ほか)などの製作にも幾らか関わっていた事があり、その作風は他メーカーにはないような独自性のあるものが多かった。
1999年にてパチンコ、パチスロ最大手であるアルゼ(現ユニバーサル・エンターテインメント)の子会社になり、2006年にてXb360用ソフト『プロジェクト・シルフィード』のゲーム部分を制作したのを最後に、2008年にメディアの目にほとんど触れられる事も無くひっそりと解散した。
なお、森田将棋の諸権利は悠紀エンタープライズに、スーパーリアル麻雀シリーズの開発は(いわゆる脱衣が無くなった上で)アルゼに引き継がれている。

株式会社ゼロワン (事業撤退)

2000に設立されたメーカーで、現在は主に遊技機開発、モバイルコンテンツ開発、キャラクター開発を行っている(公式HP原文ママ)。
かつてはゲームソフト開発も行っていたが、今は関わっていない模様。開発ソフトの大半はキャラゲー関係であったようだ。

株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント(事業撤退)

ソニーグループに属する大手の音楽業界メーカーで、音楽部門の中間持株会社。旧称はCBS・ソニーレコード→CBS・ソニー→CBS・ソニーグループ。便宜上「EPIC・ソニーレコード(現:EPICレコードジャパン)」もこれに含まれる。
しかしレコード会社としての側面が強く、当時は開発能力も乏しいせいか所属するアーティストやタレントといった所謂キャラゲーが多く、目立った良作には恵まれずクソゲーあるいは凡ゲー止まりであることがほとんどだった。
挙句の果てにはドラゴンズレアという海外クソゲーの移植版をつかまされる羽目に遭ったりする。
後の1993年に『プレイステーション』のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が創立され、翌1994年にPS1が発売されてからも『KOWLOON'S GATE』『ラグナキュール』『立体忍者活劇 天誅』 *9 などいくつかのソフトを発売したが、PS2発表前後を境にほとんど出さなくなり、撤退。
なお、SCEの創立時にSMEのスタッフが関っていた事もあり、関係は深い。