休刊、廃刊雑誌

本ページではすでに休刊、または廃刊により発売停止されている雑誌の紹介をしています

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ゲーム会議

新紀元社より季刊で発行されていた小冊子サイズのゲーム雑誌。

ゲーム批評

1994年よりマイクロマガジン社から隔月(季刊だった時期もある)で発行されていた小冊子サイズのゲーム雑誌。角川書店の「マル勝PCエンジン」のスタッフが主となって編集している。
コンセプトは、「ちゃんとゲームをプレイして公平に評価」し、「特定のゲーム会社寄りにならないようゲーム広告を入れない」と言う、従来のゲーム雑誌と差別化を図った革新的なもの。それゆえに一風変わった異なる視点からの批評もあり、他誌ではまず触れられないような際どい内容の記事なども掲載していた。その点は評価されている。
しかし反面、当時のネット中心の「アンチスクウェア風潮」に乗るためとはいえ、病的とも言えるほどアンチスクウェア記事を増やしており、質的にも「本当にプレイしたのか?」と思えるような言いがかりかつ一方的な批判記事も多く、必ずしも公平であったとは言い難い。
むしろ本誌はがっぷ獅子丸の「悪趣味ゲーム紀行」によるクソゲーやバカゲーの特集記事が好評で、クソゲーにスポットライトを当てクソゲーブームを作り上げた功績を高く評価する向きがある。
最後に残った創刊メンバーである三代目編集長、小野憲二の退社後、もの凄い勢いで迷走を始め(例:カラーページでモー娘。批評、しかも大まじめ)、2006年4月をもって休刊*1

悪趣味ゲーム紀行

ゲーム批評内で、がっぷ獅子丸氏により連載されていた4ページほどのコラム記事で、単行本も3冊出されている。記念すべき第一回は『暴れん坊天狗』だった。
面白さよりは奇妙さや怒りなどが印象に残るようなゲーム、それにまつわるエトセトラを紹介していく、というテーマで執筆されており、世間では埋もれていたクソゲーやバカゲーの魅力(?)を掘り起こしたという功績がある。
獅子丸自身が『大江戸ファイト』という格ゲー界屈指の怪作に関わっていたためか、ゲームとしての出来を通り越して何かが突き抜けていた作品(『デスクリムゾン』『ラブクエスト』など)にむしろ賛辞を送る一方、『花のスター街道』などには半ば本気で呆れ返っていた。
ただアウトロー気取りかそれとも中二病なのか、「あるゲームを作る際に国宝級の般若面を借りたのだが、若気の至りで壊してしまったので黙って返した」や「火だるまの参考のために自前でスタントをやろうとしていたら警察の方のお世話になった」といった懺悔と称した事実上の自慢話を単行本で書き下ろしており、そこはさすがに笑えない。
がっぷ獅子丸氏は、ウエストン入社によってゲーム製作者となり、『オーライル』『ジ・アンソルブド』などの開発に関わったらしい。
どうも相撲好きだったらしく、相撲ゲームをレビューした際に「あのチカラビトたちの魅力をちゃんと再現したゲームは出ないものか」とこぼしている。

GAME SIDE

マニア向けゲーム雑誌。マイナーな良作やバカゲーを、数多く発掘したという功績がある。
レトロゲーム紹介誌として1996年から発行された、『ユーズド・ゲームズ』を前身とする。何度かの誌名の変更や姉妹誌との合併、季刊から隔月刊への変更、発行元のグループ再編などを経て『GAME SIDE』へと至る。
ユーズド・ゲームズ時代は、旧世代機(当時はPS時代だったのでSFC以前)のマイナー良作の発掘のみに絞った内容だったが、後発雑誌『ナイスゲームズ*2』との合併を経て『ユーゲー』と誌名変更して以降、現用機種(PS以降)のゲームも積極的に扱うようになった。
良作を再評価するという誌面構成ゆえに、中古ゲーム相場への影響力が強かった。最盛期には、紹介されたゲームの中古価格が高騰するという現象が起きたので、同誌を毛嫌いするゲームマニアもいたらしい。
末期には、ライターの質の低下やあからさまなネタ切れが顕著となり、すっかり精彩を欠いてしまった。
再度の季刊化や誌面の刷新などで延命をはかったが、2010年7月3日発売の8月号(Vol.24)をもって休刊。同年10月より、扱うジャンルをSTGのみに絞った『SHOOTING GAMESIDE』としてリニューアル創刊した。以降、シューティング以外のゲームをジャンル別に取り上げる形で続刊を出すようになっている。

ゲーマガ

主に、ギャルゲー中心の構成になっているソフトバンククリエイティブ(現:SBクリエイティブ)発行の家庭用ゲーム雑誌。
と、これだけならばあえてここに書く必要は無いのだが、もともとこの雑誌の源流をたどると、1984年に創刊された国内初の家庭用ゲーム雑誌Beepにさかのぼれる*3
Beepからドリームキャストマガジンまではセガハード専門誌だったため、現在でもセガの情報は多め。
Beep時代に移植版『アフターバーナー』を『アウアーアーアー』と呼称したり、読者レース制度により『デスクリムゾン』や『ソード・オブ・ソダン』、『惑星ウッドストック ファンキーホラーバンド』などが大きく注目される要因となった。
なお、バカゲーという名称の発祥説が存在する。
誌名の変遷は…「Beep」(1984年~1989年)→「BEEP!メガドライブ」(1989年~1994年)→「セガサターンマガジン」(1994年~1998年)→「ドリームキャストマガジン」(1998年~2001年)→「ドリマガ」(2001年~2006年)→「ゲーマガ」(2006年~現在)の順である。
昔からクソゲーを愛でる風習があったようで、様々なクソゲーに称号が授与されている。
ちなみに、セガがハード事業から撤退決定後多くのセガハード専門誌が休刊していったが、本誌のみ総合誌に移行するというリニューアルをとっており、唯一休刊には至っていない。
しかし2012年3月30日発売号をもって、ついに休刊することが明らかとなった

ゲーム・オン!

1993年から1996年にかけて小学館から発行されていた総合誌。ゲーム雑誌には珍しく縦書き左開きであった。
総合誌といえども刊行時期がSFCの黄金期だったため、必然的に紙面の多くはSFCソフトの紹介だった。
連載漫画とのタイアップ企画が多く、『ヤムヤム』『超魔法大陸WOZZ』などがゲーム化された。一方で『なんでも!?タイホマン』のようにアニメ化・ゲーム化が宣言されながら企画が流れたものもある。
ライトノベルの連載もされていた。(「カラーズ」著・和智正喜, 挿画・小野敏洋)
1994年のいわゆる次世代機発売前夜の熱狂の中では、毎号のようにPS,SS,PC-FXの比較特集の別冊付録が付いた。

ゲームラボ

サブカル系書籍を多く手がける三才ブックスの、ゲームを始めとするオタク的な話題全般を扱う月刊誌。1986年創刊(誌名が『ゲームラボ』となったのは1994年より)。
『ラジオライフ』の姉妹誌でもあり、旧誌名の『バックアップ活用テクニック(通称:バッ活)』の頃からアンダーグラウンドな方向性の誌風を貫いている。
コラムを連載していたアイドルの事務所から内部資料が流出した際に、「印象のよくない雑誌なので、終了の方向で」と書かれていた。
つまり、それ程アングラ系の色が濃い雑誌である。
サブカル傾向が強く、大手メーカーや大作ゲームを嘲笑うような表現が目立つ。しかし一方ではSCEを憎悪しつつ任天堂をベタ褒めしていたりと日和見な雑誌*4。その論調はまるでゲハのようである。実際、一時期はゲハに媚びた記事が多かったが最近は更に迷走しつつある。
普通のゲーム雑誌が突っ込みを入れないような事柄を取り扱うことが多いが、同系書籍が普通は行わない関係者への取材を行うことがあるためそちら傾向のネタが好きな層からは支持されている。
電撃やファミ通などの大手ゲーム誌に対して一方的に敵愾心を燃やす傾向があり、「カタログ以上の価値はない」「資金に物を言わせて、耳当たりのいい言葉を並べているだけ」とかなり辛辣に批判している。
全体的に、難度の高かったりアクの強い作品を好む傾向がある。特に洋ゲーやXbox360の熱狂的支持者が内部にいるらしく、ちょくちょく偏った論陣を張る。
またライトユーザー向けタイトルを「スイーツ(笑)向け」「ゆとり仕様」と酷評する一方で、熟練ゲーマーさえ理不尽さを感じるようなゲームを絶賛することも珍しくない。
「改造してなお苦戦する難度」が理想のようだが、それこそ本来ならば有り得ないものなのではないだろうか。
他に誌面の傾向として「女性向け(および女性ファンの多い)作品に対する冷遇」というものもある。簡単に言えば「女性にウケる=まともなゲーマーなら噴飯物のクソゲー」という図式を作りたがる。主力読者層が30代後半以降の男性だから、仕方ないのかもしれないが。
その流れから、戦国BASARAのアンチ特集などを組むことも。「世にも奇妙なBASARAの世界」という特集では「腐女子がイケメン武将に萌え狂ってるだけ」「ゲーム性は皆無、かろうじて遊べる部分は完全にパクり」と酷評。またそういった論調はネットを中心に支持されるため、さらに激しくなっていく。
PARやマジコンを使用したゲーム改造やバックアップ起動を「ユーザーの権利」として支持するという、ゲーム誌としては異例の対応も見せている。
その為もあって、改造対策への反発は尋常ではない。例えば3DS発売前には絶賛する記事を載せていたが、発売直後に解体してガチガチに改造対策が施されていると判明すると、手のひらを反して批判に回っていた。また、「CFWのおかげでPSPは盛り返した」としてSCEの徹底した改造対策を何度も非難している。
「改造して隅から隅まで楽しまないと損」という考え方が根底にあるようだが、一方で「ゲームメーカーが資料を下ろしてくれないために、ハックツールで解析せざるを得ない」という身内の事情から改造行為を容認しているという一面もないとは言わないが、あくまで方便であろう。
違法DLに関しては「一部の不心得なユーザーがやっているだけ」「ちゃんとした改造ユーザーまで犯罪者予備軍扱いしないでほしい」とのこと…?
かつては「悪用厳禁*5」というエクスキューズを入れてP2Pソフトやアップロードされているファイルを紹介していたりもしたが、DL禁止法以降は急に「(著作権侵害は)前時代的行為」「今更P2Pなんて…」と掌を返したような対応をした。日和見の見本である。
任天堂が傘下のソフトメーカーと一緒に行った、いわゆる「マジコン訴訟」の折には「マジコン撲滅キャンペーン撲滅」を謳って特集を組んだことも。
セーブデータのバックアップやデータ改造はユーザーの正当な権利であり、メーカーの金満主義のためにそれが侵害されるのは許せない、とのこと。
ゲーム業界の噂などに関して信憑性の無いネタ(思わぬ特ダネが出たりもするが)を取り扱うこともあり、嫌悪する層も少なくない。
かなり偏った誌風ではあるが、クソゲーやレゲーの特集を組んだり、昭和の小学生男子のマストアイテム「コスモス」や「○○大百科シリーズ」と言ったもういい年のファミコン世代が泣いて喜ぶような懐かしネタにページを割くなど、バッ活時代も含めごく一部の古参ゲーマーには比較的好かれているようだ。 ソニーのゲートキーパー問題や任天堂の同人誌規制、劇場版FFの失敗などのファミ通などでは絶対に取り上げない話題も扱う。 その反面、本来ならば当誌の格好の題材として飛びつくだろうネタだった2009年5月に発生した高田馬場ミカドのブログ大炎上騒動は全く取り上げなかった。 一説によると、騒動の当事者でもあり、ゲームラボにも寄稿している某ライターの意向との噂も。 業界内の事件にさいし、関係者に直接質すケースも少なからずある。 クソゲーを紹介するコーナーもあったり、激安商品を紹介するコーナーが「激安ジーコ」になったりした(ワールドカップとクソゲーのジーコサッカーをかけたもの)。

ゲーメスト

1986年から1999年にかけて、新声社から発売されたアーケードゲーム誌。80年代前半に同人誌だった「VG2」が商業誌として生まれ変わった形である。
創刊当時は隔月刊誌(二ヶ月に一冊)だったが、1987年から月刊化、1994年以降は月二刊化(一ヶ月に二冊)発売であった。
当時はアーケード情報を載せる雑誌が極めて少なかった為、アーケードゲーマーにとっては必勝バイブルと呼べる存在だった。
新着ゲームに関する紹介・攻略はもちろんの事、全国のハイスコア掲載から常人ゲーマーでは理解不能なマニアックネタまで、様々な情報がこれ一冊に詰まっていた。
しかし、無謀な多角経営が新声社の経営を圧迫し、ゲーメスト自体も徐々に記事の質が低下したことに加え、対戦格闘ブーム沈静化の波に呑まれ売り上げが低迷(それでも廃刊まで赤字は出ていなかったという)、1999年8月30日号をもって、新声社の倒産と共に消滅した。なお、最終号には特に廃刊の情報は無く次刊予告もされており、いかに廃刊決定が急だったのかがうかがえる。
ゲーメスト亡き後は、一部旧ゲーメストスタッフがエンターブレイン(当時はアスキー)にて事実上の続刊『月刊アルカディア(後述)』を創刊する事になる。

本誌を語る上で絶対外せない特徴として、記事の誤植の多さ、内容が神の領域である事が述べられる。その凄まじさは同業はもちろん、全ての商業誌とは比較にならないものであり、「ライターおよび写植が日本人ではない」と揶揄されたほど悲惨だった。世界中の誤植を集めた某サブカルチャー誌では男性同士の同性愛誌(こちらは内容が理解不能なほどいきすぎていたため)と並んで「ここからの引用は基本禁じ手」とされるほどだった。
特に対戦格闘ブーム期あたりの誤植っぷりは凄まじく、「いかに素晴らしい誤植を発見するか」という、他の雑誌ではあり得ない楽しみを持っていた。
有名どころとしては「インド人を右に(正:ハンドルを右に)」「ザンギュラのスーパーウリアッ上(正:ザンギエフのスーパーラリアット)」などがあり、今でもゲーメストの誤植は誤植界の首領、神とまで例えられる程である。

  • ゲーメスト編集部ではワープロやパソコンを使ったデジタル編集の導入は遅くまで行われていなかったようで、「ライターの手書き原稿を、写植会社が組版する」という過程において、あまりにライターの字が汚かったために誤読された…らしい。
    • デジタル入校したらしたでワープロの基本的な変換ミスや「ZストリートファイターERO3」など変なところでの挿入、機種依存文字を使ったため実際には文字化けしたりとそれはそれで悲惨だった。 この誤植をカプコンが気に入ったのか『CAPCOM FIGHTING Jam』では女体化したザンギエフを「ザンギュラちゃん」と命名している。
      なお、Googleなどで「誤植」と検索すると、かなりの割合でゲーメスト関係のリンク先が出てくるので、もしよければ是非試してみよう。
      基本的に笑える誤植ばかりではあるのだが、中には洒落にならないものもある。漫画家中平正彦によるストリートファイターIII漫画『RYU-FINAL』において飛び出た「確かみてみろ!」である。
      最終回最終ページの大ゴマでのしめの台詞というところで飛び出した代物だけに作者に与えた迷惑は半端なものではない。ちなみに、連載スタート時にもいきなり誤植でスタートしており本当にどうしようもない失敗をされているわけである。
      他に特筆すべきものとして、本雑誌の読者投稿コーナーが挙げられる。絵と文章両方の投稿レベルが高いという非常に稀有な例であり、他の投稿雑誌を見てもここまでのレベルに達していたものは少なかった。
      イラスト投稿者の中には『ケロロ軍曹』の吉崎観音や『鋼の錬金術師』の荒川弘、『かんなぎ』の武梨えりなどが居る(同誌専門だったわけではないが)。イラストが関係する業界からも注目されていたようで、イラストコンテストで最優秀賞を取った人物をヘッドハンティングするといったこともあった。
      文章投稿は、通常のお笑い系の他、議論系を中心に据えていたのが特色。例えば「ゲームセンターは不良のたまり場」という先入観がまだ根強かった当時を背景に、ゲーム好きな投稿者と、ゲームに偏見を持つ親や教師とのやり取りを描いた体験談は常に読者の反響を呼び、同じような境遇にあった読者からの応援や、逆に「投稿者にも非がある」とする読者からの批判などが投稿され紙面を彩った。ファンも多く、要望に応える形で後に読者投稿コーナーのみを纏めた別冊(ムック)が出たほどだった。

コミックゲーメスト

その名の通りゲーメストの新声社から出ていた、主にアーケードゲームを原作とする漫画を連載していた雑誌。刊行期間は1993年~1997年。オリジナル作品も多数あったが、ここでは特に触れずにおく。
最初は隔月刊、途中から月刊化された。カプコンとネオジオの格闘ゲーム全盛期においてシューティングゲームや基板出回りの少ないマイナー作品をも多数漫画化していたが、終盤はKOF等ゲーム原作の漫画を載せる雑誌ならどこにでも連載されるメジャーな格闘ゲームの漫画ばかりになってしまった(例外はティンクルスタースプライツぐらい)。
盛衰の激しいアーケードゲームの漫画を連載していたが、長期連載するとゲームの「旬」が過ぎてしまうため、ストーリー未完のまま終了したり、休載となる作品も多かった。1997年の休刊号時に未完だった作品に関しては、新しいゲーム漫画雑誌を創刊し、そちらで連載を継続するという予告がなされていたが、その新雑誌は創刊されることがないまま出版社が倒産してしまった。
お便りコーナーは掲載ごとに点数の得られる「ジャンプ放送局」のようなポイント制が採用されていたが、このポイントの説明にのみ出てきた「コミゲ券」なる物が結局最初から最後まで存在しなかった事で有名*6
他にも、読者投稿形式の「ゲーパロ4コマグランプリ」にはしばらくの間はゲームメーカー枠(スタッフからの作品)も有った。一般作品に混じってしれっとプロが応募していたこともあり(桜瀬琥姫など)、単行本版ではプロの漫画家による書き下ろしも追加された。
なお、連載されていた漫画のひとつで『ストリートファイターZERO2』を基にした『さくらがんばる!』に登場したオリジナルキャラクター神月かりんは後にゲームに逆輸入されている。

月刊アルカディア

1999年にエンターブレインから創刊されたアーケードゲーム専門の月刊誌。
2015年2月28日発売号をもって事実上の廃刊となる。その後の情報配信は『ファミ通』『ファミ通.com』で行うとしている。

月刊コミックボンボン

こちらを参照。

月刊PCエンジン

小学館より発行されていたPCE専門誌。「月刊コロコロコミック」がハドソンとの友好関係もあってPCE特集の記事をよく組んでいたこともあり、コロコロ増刊「PCエンジンスペシャル」が刊行された。これが好評だったこともあって、1988年11月29日についにPCE専門誌である本誌が創刊されることとなった。
ハドソンから多くの資料が提供されており、ゲームは勿論、技術面(ハード)にも深く踏み込んだ内容が特徴であった。また、読者コーナー(特に投稿イラスト)は当時のゲーム誌でもトップクラスの出来だった。
本誌はPCE専門誌の中で最高の売上を誇っていたが、上層部が講談社の「覇王」*7に対抗するための総合誌「ゲームオン!」を創刊させたため、廃刊に追い込まれて*8しまった(1994年1月30日)。PCE市場に陰りは見えていたが、まだ消失する以前だったこともありこの廃刊劇はPCEユーザーの少なからざる反発を招いてしまった。
余談だが、角川書店発行の競合誌「マル勝PCエンジン」とは創廃刊が全く同時である。ただこの時期のマル勝は92年のメディアワークスの乱で編集スタッフがゴッソリ抜け、外部の編プロに丸投げする形でようやく発行されていたものだった。ちなみに抜けたスタッフは「電撃PCエンジン」(現「電撃G's magazine」)を創刊している*9

月刊ファミコン通信 攻略スペシャル

アスキー(現:KADOKAWA)が1993年から紆余曲折を経て2002年まで発行していた雑誌。
攻略スペシャル時代は扱うゲーム数を厳選し、大量のページ数で濃い攻略記事を載せていることが特徴だった。
1995年に雑誌名を『月刊ファミ通Bros.』と改名。紹介するソフトの量が多くなり、総花的な誌面となった。
1998年には雑誌名を『ファミ通ブロス』とし、ゲーム雑誌から漫画雑誌へ転身するというアクロバティックなリニューアルを見せた。低年齢層向けのラインナップで健闘したが、2002年に休刊。

光栄ゲームパラダイス

光栄(現:コーエーテクモゲームス)が1993年から1994年まで発行していた自社ゲーム専門の投稿雑誌。後にも先にも書店販売された固有メーカーが自ら専門誌を出した唯一のケースである。
発行直前に爆笑三国志を起点とした爆笑○○シリーズが好評を得ていたことから出版部門がイケイケになっていたという事情もあるが、何度かリニューアルが行われているが結果は出なかった。その後は「歴史パラダイス」「DaGama」「歴史ファンワールド」と続くがいずれも短命に終わっている。
なぜかログインと結びつきが強く常連投稿者が少なからずかぶっている。
知名度が極端に低い雑誌であるが、三国志のネタ武将・曹豹血盟軍ネタだけは今でも受け継がれている。

CONTINUE

太田出版から刊行されていたマニア向けゲーム誌。2001年創刊。サブカルチャー的切り口でゲームを扱う異色のゲーム誌。
同じく太田出版から発行された「超クソゲー」のライター陣が編集に参加し、その流れで年に1度「ゲーム・オブ・ザイヤー」「超クソゲー大賞」といったアワードを誌上で開くなどゲームオピニオン面に貢献したが、2007年を境に「面白いゲームが無い」「業界(業界紙的な)ルールに縛られていてやりにくい」と言う理由でゲーム系記事を大幅縮小、誌面内容を総合サブカル誌へとシフトしていく事になる(決して龍が如くをクソゲー側にセレクトして名越氏に呼び出されたり、数社から出禁を言い渡されたわけではない)。
2010年に編集長の異動に伴い休刊するが、同誌編集長にライター陣を加え、超クソゲー3を発行。

Theスーパーファミコン

ソフトバンク(後のSBクリエイティブ)から発行されていたSFC専門誌。1990年創刊。略称は「Theスー」。
一番の特徴は企画記事のバラエティの豊かさ、内容の濃さであり、ゲーム業界やゲームのありかたに深く切り込んだ特集記事が非常に多かった。
大規模アンケートを基にゲームユーザー動向を分析する「当世ゲームユーザー気質」といった資料性の高いものや、当時発行されていた全てのコンシューマゲーム雑誌を紹介する特集、年若いゲームユーザー向けにゲーム用語を解説する特集などといった記事が毎号のように掲載されていた。
他にも、すぎやまこういちがゲームにまつわるさまざまな人物と対談する「すぎやまこういちのゲーム漂流記」、お笑い企画としてライターや編集者をクリアするまでカンヅメにする「RPG早解き大会」といった過酷ネタ、ゲームバッシングを読者と共に議論する「テレビゲームは是か非か?」という記事まであった。
1993~94年頃には『ドラッキーの草やきう』『ドラッキーのAりーぐさっかー』とタイアップし、毎号見開き2ページフルカラーでドラッキーの漫画(NECOまんが)が連載されていた*10。「やきう編」の一部はTheスーパーファミコンの雑誌の体裁で28ページのゲームの販促冊子としてまとめられた。1999年頃には開発元のズームのHPで全話閲覧できたが、現在は削除されている。
連載コラムも多く、連載をまとめて単行本化されたものに「ゲームマシンはデイジーデイジーの歌をうたうか」(著・小野不由美、画・水玉螢之丞、1996年)、「ダンジョン狂騒曲」(著・画・坂田靖子、1996年)がある。
読者コーナーに力が入っていたのも特徴で、「FFのように主人公が喋るゲームは是か非か?」といったテーマでディベート大会を開く、「イラストコーナーのようなイラストを描くにはどうすればよいか?」という投稿に対し別の投稿者が丁寧な解説を送ってくる、ゲーマー女性専門コーナー『キャロットクラブ』を2ページ設ける*11等、非常に充実しており、インターネットが黎明期すら迎えていない時代のゲーマー同士の交流の場として非常に有用な存在であった。特に『キャロットクラブ』の存在は女性読者を増やすのに多大な貢献をしたらしい*12
しかし、N64の足音が聞こえてきた1995年9月、編集長の交代と共に突如リニューアルを敢行。読者評価が高かったはずの企画記事を一掃するという暴挙に出た結果、他誌でも事足りるようなメーカー提供の新作情報を紹介するだけという個性も何もない雑誌と化し、読者が一気に離れた。
1996年3月ごろ(推定)に誌名を「スーパー64」に改称するが、誌面は相変わらず新作情報を右から左に流すばかり。たまに工夫をしたかと思えば「羽生名人のコスプレ(紙面ではそっくりさんと主張)をした「羽生(うぶ)名人」なるキャラクターを登場させる」「オリジナル漫画の連載を始め、それを雑誌を挙げてPRする*13」など誰得としか形容できない内容だらけで、離れた読者を呼び戻すどころか新規層も取り込めず部数低迷に歯止めがかからなくなり、N64発売からわずか半年後の96年12月に休刊となった。
確かに、N64の立ち上げ時は数ヶ月新作が一本も出ない時期があるなど、専門誌として誌面を埋める苦労は大変なものがあったのだろうが、それはTheスーの立ち上げ時も似たような状態で、かつての充実した企画記事はもともとその時期の穴埋めとして始められたものである。ただでさえスカスカなN64の立ち上がりを、さらにスカスカな内容で穴埋めしようとした編集部の無能は見限られても仕方の無いものであった。
とはいえ、当時としては、ゲームの在り方そのものを問い直す非常に個性的な雑誌(勿論末期を除く)であり、休刊から何年も経ったころ、とあるコラムで「単に今度出るゲームが面白いかどうか、といった話題では到底物足りない、『ゲームの話』がしたい人達のための雑誌だった」*14と語られたこともある。

ザ・プレイステーション

ソフトバンク(後のSBクリエイティブ)より刊行されていたPS専門雑誌。1994年創刊。略称は「ザプレ」。
月刊、週刊、隔週刊と情勢に合わせて発行スペースを調整していたが販売不振により2005年に400号をもって休刊となった。
ユーザーの評価投稿を集計して変動した結果を毎週載せる、お題のゲームに関するユーザーの自由なコメントを掲載するPS100人委員会、幻想水滸伝やグローランサーなどの連載特集を組む、ゲーム着メロの楽譜、シールなどのおまけを毎週つける、といった独自路線が特徴だった。

ディスクステーション

コンパイルから発売されていたディスクマガジン。1988年創刊。同社の経営悪化に伴い、2000年に休刊(事実上廃刊)した。
これ以前にもディスクマガジンが作られたことはあったが、同人ソフトを除けば半年続かなかった物ばかりであり、初の成功例となる。
パソコン用メディアを用いた雑誌のような形態を取り、コンパイルや他社のオリジナルゲームや体験版を収録していた。
この雑誌からぷよぷよシリーズの原作である魔導物語などが生まれ、ファンにとってはおまけの枠を超えたゲーム集として大きく支持される事になる。
対応機種はMSX→PC98→Winと変遷しており、Winでの発売分に収録されていたオリジナルゲームに関してはProjectEGGにてダウンロード販売が行われている。
なお、純粋にディスクマガジンと言えるのはMSX版だけで、それ以外は雑誌にCD-ROM等が付くという現代のPC誌と同じ形態を取っている。

テクノポリス

徳間書店から発売していたパソコンゲーム雑誌。1982年創刊。
最初の頃は技術的側面が強かったが年を追うごとに、美少女・アダルトゲームに傾注する紙面作りをするようになっていた。
その当時はマイナーだった同人ソフトを取り扱っていた他、自前でも美少女ゲームの製作を手がけていた*15
しかし、「沙織事件」によって18禁ソフトの掲載を中止せざるを得なくなった事が致命傷になった。
PCゲーム市場の縮小に伴い、性行為のないギャルゲーがPCで発売されなくなったため存在価値を失ってしまい、1994年3月号をもって休刊に追い込まれてしまった。
アダルトゲーム特化の魁でありながらブームに乗れずにフェードアウトを強制されたという点では皮肉でもあり、悲しいことでもある。

その後、休刊から20年になる2014年、3DSで『闘神都市』が発売された際、数量限定の予約特典として「 月刊テクノポリス2014復活版 」がおまけとしてついていた。内容は、既に休刊になっていた1994年12月に発売された『闘神都市II』がもし同誌に掲載されていたら、というIFのコンセプトによるものとなっており、当時の関係者が編集に当たっている。

電撃プレイステーションD

1997年に電撃プレイステーションの増刊号として発刊され、第11号より月刊化したCD-ROMつきゲーム情報誌。その後、プラットフォームをPS2に移して「電撃PS2」に誌名を変更。付録もDVD-ROMになった。
新作ソフトの体験版やデモムービーだけでなく、特殊なアイテムが手に入ったりする「電撃セーブデータ」を毎号収録し、人気を博した。
が、そのセーブデータが揉め事のタネになることもあった。詳しくはGPOの項目で。 
セーブデータの中には読者投稿できるものもあり『デザエモン+』『RPGツクール3』『落ちゲーやろうぜ』等といった読者の作ったゲーム作品が収録される時もあった。
また、読者コーナーの参加小説のまとめやオリジナルゲームの収録など独自の構成も特徴の一つであった。
PS2の話題が少なくなっていくにつれて勢いを失い、次第に刊行が不安定になっていった。2008年2月の第96号を最後に発刊は停止しているが、公式サイトはそのまま残されている。

Nintendoスタジアム

徳間書店と毎日コミュニケーションズ(現:マイナビ、以下マイコミ)で発行されていた任天堂ハード専門誌である。短命に終わったファミマガ64の後を受ける形で1998年に創刊されるが、徳間書店の経営危機に伴い兄弟誌共々廃刊の危機に瀕する。スタッフは「アンビット」という編プロを立ち上げ発行をマイコミに託す形で発行を続けたが、マイコミにはすでに「Nintendo DREAM」という任天堂ハード専門誌が存在していたこともあり、両誌が合併しNintendo DREAMが存続する形でNintendoスタジアムはその役目を終え、2002年に休刊となった。

ハイスコア

1986年から1990年まで英知出版、日本文華社(途中から発売元変更)から発売、ハイスコアメディアワークより発行されたゲーム雑誌。
誌名からも想像出来るように攻略情報や裏技を重視する方針で、当時のちびっ子を中心に一定の支持を受け、「熱いゲーム誌」として評価を得ていた。
しかし、『ドラゴンクエストII』の完全攻略に関してエニックスから訴えられることとなり敗訴。攻略という売りを失い衰退していった。
その後、当時のFCソフトとして喋りまくる事を売りとしたアクションRPG『ゾンビハンター』の発売で巻き返しを図るも、出来が今一つで盛り上がらず。そして、そのまま力尽きる事となった。
ちなみに、読者投稿制の裏技の大半が編集部名義で埋まっていた事もあり、当時の裏技ブームの凄さが垣間見える。

覇王/覇王マガジン

1993年講談社より刊行。池田新八郎編集長とコミックボンボンのゲームソフト担当編集者が中心になって創刊。
創刊当初は、攻略付録付きの月刊誌で、半年後に隔週誌に変更。毎号講談社系の漫画家がリレー形式で表紙を手がけていた。イメージキャラクターに格闘家の佐竹雅昭氏を起用していた。「覇王」とのタイアップ番組として、文化放送のラジオ番組「佐竹雅昭の覇王塾」とテレビ東京の番組「スーパーゲームクイズ覇王」がある。
記事は、スーパーファミコンとメガドライブのゲームを多く紹介しており、PCエンジンは小学館が専門誌「月刊PCエンジン」を持っていたこともあり、少なめ。ゲームソフトの容量、価格、発売日などの情報は、他社のゲーム誌に比べてあまり明確ではなく、”未定”が多かった。中には、他誌ではすでに掲載されているゲームも「覇王」では掲載されていなかったりしていた。ゲームソフトのレビューでは、講談社の(当時の)主力分野であった『ガンダムシリーズ』や『セーラームーン』など講談社の漫画が題材としているキャラクターゲーム等は、他誌に比べて評価が大甘だった。(これは後の「覇王マガジン」でも同じ)
その後、プレイステーション、セガサターンなどの新世代ゲーム機ラッシュに伴い、他社から新しいゲーム情報誌が刊行されるようになり、「覇王」の発行部数が低迷する。1996年3月より「覇王マガジン」に改題。集英社の「Vジャンプ」に近い誌面にリニューアルしたが、部数は回復できずに1997年5月号で休刊。

  • 覇王と覇王マガジンで連載された漫画も多くあり、このうち『機動戦士ガンダム外伝 THE BLUE DESTINY』(高山瑞穂)と『新機動戦記ガンダムW BATTLEFIELD OF PACIFIST』(ときた洸一)は、ボンボンKCで刊行された。また、『KOF』シリーズのスピンオフ作品である『ザ・キング・オブ・ファイターズ京』(夏元雅人)も覇王マガジンで連載されていたが、覇王マガジンが休刊後、コミックボンボンの増刊で読みきり掲載されていた。
  • 覇王とのスピンオフゲームソフトに『大貝獣物語』(ハドソン)がある。ボンボンの兄弟誌「デラックスボンボン」でコミカライズが連載されていた。『大貝獣物語』はその後も、TCG『MOZ(ミラクル・オブ・ゾーン)』などの派生作品を生み出すようになり、『コミックボンボン』で雑誌展開することになる。
  • ゲーム攻略本『覇王ゲームスペシャル』は、覇王マガジン休刊後も『コミックボンボン』のゲーム情報コーナーで掲載していたゲームソフト(『メダロット』『ロボットポンコッツ』など)を中心に刊行された。現在は、『講談社ゲームBOOKS』として、PSP/PS3などのSCE系ハード及び、そちらで発売された自社版権作品のゲームソフトを中心に刊行中。

ファミリーコンピュータMagazine

1985年から徳間書店が発行していた隔週刊のゲーム雑誌。
その最も有名とされるのは裏技紹介のコーナーで行われた企画「ウソテックイズ」である。毎号数十個の裏技(本誌では「ウル技(ウルテク)」と表記)が掲載されるのだが、その中に1つだけ「存在しない裏技」を混ぜている。そのたった一つの嘘を読者が見抜くというもの。正解者には抽選でプレゼントが送られた。

  • 最も名高いものは「『水晶の龍』で野球拳ができる」というものだろう。当時の少年読者たちを釘付けにしたあげくに絶望に突き落としたこの「ウソ技」は今でも語り草にされている。
  • ファイナルファイトで「二人同時プレイができる」というウソテクを掲載したときにはカプコンに問い合わせの電話が殺到し、カプコンの担当者が怒鳴りこんできたという逸話がある。それ以降はメーカーの了解を取るようになったそうだ。
  • この企画は他誌によるネタ盗用を防ぐためのブービートラップとしての役割もあった。裏技ブームがあった当時はスピードが命で、他社の雑誌で紹介された裏技を確かめもせずに自社の雑誌に掲載するというケースがしばしば見られたらしく、実際、ある号に載ったウソ技をさも自分たちが発見した裏技のように転載した雑誌があったそうだ。 新世代機への移行に伴い1994年に「プレイステーションMagagine」に名を変えるが、徳間書店の業務整理により1999年に廃刊。
    ※実質的な移行雑誌は「ファミマガ64」(1996~1998年刊行)であるとされることもある。
    ニンドリで2 回復活した 後にゲームラボにおいて行われた最後の編集長へのインタビューによると、SFC時代ごろから部数が下降していたが、レーシングラグーンのジャンル呼称問題*16に伴うスクウェアの情報提供拒否が致命傷になったとのこと。
    同誌ではファミ通のクロスレビューにあたるものとしてゲーム通信簿というものがあり、6つの要素を5点満点の合計30点で採点する方式をとっていた。
    これに裏技情報をあわせたものを別冊雑誌大技林(広技苑)として発行しており、ファミリーコンピュータMagazine休刊後もこの書籍は断続的に刊行し続けている*17

ポプコム

1983年から1994年まで小学館より発行された月刊パソコンゲーム雑誌。編集は新企画社。当初はパソコンゲーム雑誌というよりも総合ホビー雑誌という趣であったため、ゲーム紹介部分においてはよく言えばバランスが取れた、悪く言えば特色に欠けた構成になっていた。そのため、ゲーム攻略記事やリプレイもさわりだけであったり、未完であったりした。また、カセットテープレーベルが付録として付いていたが、発行が小学館という強みを生かして『らんま1/2』などの自社漫画雑誌連載の作品を扱った読者投稿CGが掲載されていた。ただし、他誌のパソコン雑誌に投稿された版権イラストを差し止めさせるという独占的措置を取っていたため、他誌の投稿者からの評判は悪かった。
コラム関係が充実していたのが最大の売りで、ゲーム関連だけではなく、時事問題・軍事・歴史・旅など多くの記事が掲載されていた。それらの中でも特に落語家の三遊亭円丈が担当したゲーム批評コーナー「円丈のドラゴンスレイヤー」は今も語り継がれるほどの人気連載であった。毒舌系コラムではあるが、彼自身が創作落語の第一人者であり、相当なゲームマニアでもある(テープ版のウィザードリィをやりこんでいた、というくらい)という稀有な経歴の持ち主であったため、笑いのポイントもしっかり押さえた記事だった。例えば2時間程度で投げたゲームでも1~2ページも割いて*18リプレイ内容・プレイ中の悲鳴・罵倒・オチを絶妙のバランスで書いており、ゲームへの「愛」やら何やらがにじみ出ていたのも人気の素だったのだろう。また、FE旧暗黒竜を「クソゲーではなく最悪のゲーム」と呼んだ事が元で当時アスキーにいた須田PIN氏と対談を繰り広げたことも有名である。
アダルトゲームコーナーは『美少女ゼミナール』として落語家の立川談之介*19と、後に小説家として大成する馳星周(レーニン、古神陸)が担当していた。1989年から1993年にかけて飯島健男(現・飯島多紀哉)が自らの出世作『ラストハルマゲドン』を原作とした小説「最後の審判」の執筆も手がけていた。
関連団体としてポプコムソフトという企業もあり、そこから発売されたのが、編集部の仲介により三遊亭円丈がシナリオを担当しグローディアが開発した『サバッシュ』『サバッシュII』である。これは芸能人がゲーム製作にかかわるとクソゲーになるという鉄則に反し、良作に仕上がっている数少ない例である*20*21。他にも本誌連載漫画や読者参加のTRPG型企画「リューヌ伝説」のゲーム化も行われたが、こちらは振るわなかった。
1994年3月休刊。1993年に「最後の審判」「リューヌ伝説」といった長期連載を終了させ、「円丈のドラゴンスレイヤー」をカラーページ化するといったてこ入れを図ったものの、それが新規読者の開拓とはならず、最古参級のパソコンゲーム雑誌の中では最も早い休刊となった。

マル勝ファミコン

1986年~1996年に角川書店が発行していた隔週刊のゲーム雑誌。元々は、同社刊行の月刊誌「コンプティーク」の1コーナーが分離したもの。
大塚英志原作・田島昭宇作画の『魍魎戦記MADARA』や寺田憲史原作・衣谷悠作画の『ファイナルファンタジーIII 悠久の風伝説』が連載されていたりと、角川書店お得意のメディアミックスの手法はこうしたゲーム誌においても遺憾なく発揮されていたが、基本的にはファミ通の後追い的な雑誌という印象は強かった。
後に「マル勝スーパーファミコン」とタイトルを変えるが、1992年、角川お家騒動(と、それに伴うメディアワークス設立)の余波によりスタッフの多くがそちら側に移るも編集元を外部委託にして存続し、1996年には「Game Walker」「マル勝ゲーム少年」の2つに分かれて再編されたが翌年に廃刊。

マイコンBASICマガジン

かつて電波新聞社が発行していた雑誌。元々は同社の技術雑誌「ラジオの製作」の別冊付録だったが、1982年から単独の雑誌となった。
前半部分に載るパソコンによる投稿プログラムが大きな特徴であり、後に本格的にプログラマーとなった投稿者も多い。さらに、MSXシリーズやPC-9801シリーズは勿論、生産中止となった後のファミリーベーシックやPC-6001シリーズ、果てはポケコンに至るまで、取り扱う機種が非常に幅広かったのも特徴。
ゲームはパソコン(アダルト除く)、家庭用、アーケードを満遍なく取り扱い重宝された。特に専門誌がゲーメストぐらいしかないアーケード関係では影響力が強かった。
アーケードのハイスコア集計を掲載していたのは当時はゲーメストと本書のみであり、この雑誌のおかげで熱狂的なナムコファンとなった諸兄も多いと思われる。中には見城こうじのように、本誌を経てナムコに入社したライターも。
しかしパソコン関係の衰退にともなう発行部数減少の影響を受け、1999年から徐々にページ数も減り薄い内容と化してしまい、その中身も業者広告の占める割合が大きくなっていった。2001年にはテコ入れとしてゲーム関連の記事を全廃、中高生向けのパソコン入門誌に路線変更したが、これが完全に裏目に出てしまい更なるページ数の減少と昔からの読者離れを招き、2003年に廃刊となった。老舗の雑誌で特定ファンが多かった本誌の消滅は業界に大きな衝撃をあたえた。
攻略ムックに「ALL ABOUT~」シリーズを刊行している。その後、ゲームソフト担当の編集チームは、株式会社スタジオベントスタッフとして独立し、スタッフによるゲーム攻略本、「解体真書」シリーズ(エンターブレイン)「アルティマニア」シリーズ(スクエニ)などを編集している。また、「週刊少年マガジン」のゲーム情報コーナーにも記事を手がけている(ただし、SCE系ハードで発売されたゲームソフト限定で、他社ハードのゲームは一切掲載していない)。

ログイン

1982年から2008年までアスキーから発行されていた、国内のゲーム関係雑誌としてはコンプティークと並び最古参だったパソコンゲーム雑誌。出版関係のエンターブレインへの移行後は、休刊まで同社から発行された。
コンプティークが後に全く違った路線に進んでしまったのに対し、パソコンゲーム雑誌としてのスタンスを崩さなかった事から一定のコアな支持層を最後まで維持した。
休刊して久しいにもかかわらず、アートディンクが『A列車で行こう8』を発売した際は、アートディンクが依頼してわざわざ昔のログイン風に製作された小冊子が配布されたほどである。
また外見からは想像できない、特殊で異常な読者ページやおかしなゲーム外記事なども特徴的だった。ファミコン通信(現ファミ通)は同誌のコーナーから分離独立したことは特によく知られている。
一方でアダルトゲーム関係への異常なまでの冷遇が目立った。それだけなら紙面の傾向として「仕方ない」と考えられても止むを得ない部分もあろうが、ちゃっかりアダルトゲーム関連の広告は出して貰うくせに記事にはせず(志を貫くならば断ればよいはずである)、売り上げランキングに載ろう物ならば、作品内容を無視してアダルトゲーム叩きの文言をひたすら書くと言う痛いことをしていた。
しかし、一般向けパソコンゲームが衰退しアダルトゲームが好調になると1995年にE-LOGIN(イーログイン、通称エログイン又はエロギン)を発刊すると言う、まさにアダルトゲーム業界に対する手のひら返しを行った。

  • ただし、E-LOGIN創刊からしばらくした頃のログイン読者コーナーで、(読)「エロゲーの話は余所でした方がいいですか?」(編)「おう、余所でしてくれ。でないともう一冊雑誌を創刊しないといけなくなるからな」というやりとりがあった。そのため、E-LOGIN創刊は青少年育成条例なりの法規制に引っかかったのが理由ではないかという推測も成り立つ。 その内容はキャラクターデザイン担当者を中心にスタッフ関係の話題を中核に据える構成で当初こそ好調だったが、肝心のゲーム自体の情報紹介に乏しい構成だったためすぐに飽きられ、E-LOGINより先に刊行されていた同じ会社の競合誌であるテックジャイアンが好調だった為もあり*22、暫く後(2003年)に休刊となった。本質がまったく変わっていないことをうかがわせる例である。
    逆にテックジャイアンの兄貴分であるテックウィンは、ログインより一足先の2006年に休刊となり一部コーナーはログインに移った。ログインも直ぐに後を追ったが。
    その後、やはり乙女ゲームが流行すると便乗でB-LOGINを発刊、現在はB'sLOGとして継続している。

わんぱっくコミック

徳間書店が1985年~1989年に発行していた児童向け漫画雑誌。ゼルダやディープダンジョン等、多数のゲームのコミカライズが連載されていた。
また『ドラクエIII』の攻略記事において、「勇者・武闘家・商人・遊び人」という普通の雑誌では絶対に組まないようなパーティーでダーマ神殿まで向かうという、今のやりこみ企画に似た事をやっていたのが特徴的だった。
元々は週刊少年誌と同じA4版型の月刊誌であり、ゲーム記事とゲーム攻略漫画とゲームコミカライズと言う徹底したゲーム専門漫画誌だった。
しかし、途中からオリジナル漫画中心に移行しポストコロコロコミックをぶち上げる。
そしてコロコロコミックやコミックボンボンに良く似た判型に変更した。これは間違えて手に取る児童を狙っていたのかもしれないが、こういった変更が逆に災いし気が付けば廃刊していた。
なお、1990年からコロコロコミックで『スーパーマリオくん』を20年以上連載している沢田ユキオ氏は、本誌で『スーパーマリオブラザーズ2』(最終の2話のみ『スーパーマリオブラザーズ3』)の漫画を連載していた(本誌の休刊によりコロコロに移った)。皮肉なものである。


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最終更新:2023年12月09日 17:56
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*1 なお、後継雑誌として、「G-navi」が発刊されたものの、3号にて休刊している。

*2 1998年9月に創刊された雑誌。「発掘系ゲーム専門誌」と銘打ち、『ユーズド・ゲームズ』では取り扱わなかった現行機種を取り扱っていた。

*3 ただし、当初はアーケード・PCゲームも扱う総合ゲーム雑誌だった。

*4 「マジで訴えてきそうな相手には喧嘩を売らない」というヘタレな傾向があり、KONAMIやKTゲームス、任天堂にはよほどのことがない限りいちゃもんを付けたがらない。

*5 姉妹誌ラジオライフでもおなじみの、使い勝手のいい言葉。ラジオライフでは警察無線の傍受から海保の暗号通信の解読、果てはクレジットカードの磁気情報複製まで「悪用厳禁」「知的好奇心を満たすための企画です」と記して堂々と載っけていた

*6 一定のポイントを溜めるごとに何らかの景品が編集部から送られて来る・コミゲ券と交換する予定だった模様だが、当時ポイントにはプラスポイントとマイナスポイントが有り、「個人のポイントはプラスとマイナスを合算したポイントで集計」していた事と「景品はプラスのみの嬉しい物とマイナスのみの不名誉な物(予定)」という点で話がややこしくなる為、もとより実現は難しいと思われる。

*7 1993年に発行されたゲーム総合誌。1996年3月に「覇王マガジン」にリニューアル、1997年5月号にて休刊。なお、「コミックボンボン」のゲーム担当編集者中心となって発行された。詳しくは下記にて。

*8 これは「月刊PCエンジン」編集部を「ゲームオン!」編集部として運用するためである。

*9 ちなみに「電撃PlayStation」は本誌の増刊として創刊されている。

*10 「やきう編全20話」「サッカー編全10話」の2部からなるが、まともに野球もサッカーも行われないゆるいギャグマンガであった。

*11 夫がゲームを認めてくれない、ゲームキャラに本気で恋してしまった、等の女性らしい投稿が目立った。

*12 なお、担当の「ホンダべるの」は、かつてログインで「くしだナム子」というPNで活動していた櫛田理子である。

*13 しかも全く面白くない。リニューアル前にたまについていた別冊のアンソロ漫画集の方が明らかに面白い。何故せめてそこから作家を引っ張ることを考えなかったのか…。

*14 意訳。実際にはこの雑誌に焦点を当てた発言ではない。

*15 それに伴ってか徳間書店は「美少女ゲーム/美少女ソフト」を商標登録した(現在は無効)。

*16 「ハイスピード・ドライヴィングRPG」というジャンル名がつけられた当作において、プレイステーションMagagineが「RPGとはいえない」という内容の記事を書いたこと。

*17 1989年から一年に一回のペースで本誌付録として添付、1995年より「超絶大技林」として単独で発売し、数年に一度の改版を続けている。2000年以降、毎日コミュニケーションズに発売元が移り、「広技苑」として2008年まで発売。この時点でゲーム通信簿は掲載されなくなり、いわゆる「裏技つきのゲームオールカタログ」となった。2011年には徳間書店を発売元、アンビットを発行元として発売。

*18 ちなみにページ数は個人の連載としては破格の4ページ。

*19 彼もまた相当なゲームマニアであり、アートディンク作の商家経営シミュレーション『天下御免』の攻略ガイドブックを執筆したりもしている。

*20 ただしIに関しては凡作と評価する人もおり、その事を指摘された円丈は「開発中にスタッフと喧嘩別れしたので自分は関係ない」と答えている。Iの終盤の物語は残ったスタッフの手によって急遽纏められたものであり、物語の根幹を成す悪役と神の設定がIとIIで全く違うのはそのため。

*21 IIではきちんと5年の歳月をかけて練り上げたシナリオを最後まで書き切っている。

*22 初めてCD-ROM等による体験版をつけたエロゲー雑誌であり、他誌追随後も専用体験版やオリジナルゲームで差をつけている為、後発誌(それまでは『Bug Bug』『パソコンパラダイス』『メガストア』『PC Angel』で四大エロゲー誌と呼ばれていた)でありながら現在までなおトップに君臨している。