オカシイ世の中覚え書き

<イージス艦事故>直前遭遇の船長「イージス艦は減速せず」 (毎日新聞)

千葉房総半島沖で19日未明に起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」とはえ縄漁船の衝突事故。真っ二つになった漁船の残骸(ざんがい)が海上に浮かび、周辺では行方不明の吉清(きちせい)治夫さん(58)と長男哲大(てつひろ)さん(23)の捜索が続いた。現場は黒潮が通る漁場だが、普段から自衛艦を含め大型船が通る海域だったという。漁協幹部は「近代的な護衛艦がなぜこんな小さな船にぶつかるのか。たるんでいる」と怒りをあらわにした。

 「イージス艦は減速せず、ほぼ正面から向かってきた。危険を感じた」。清徳丸と衝突する直前とみられる「あたご」と遭遇した僚船「金平丸」の市原義次船長(54)は、19日夜の会見で、当時の様子を語った。

 会見には清徳丸の捜索に当たった7漁船のうちの船長6人と、新勝浦市漁協の外記(げき)栄太郎組合長が出席した。

 清徳丸は捜索に当たった7隻とほぼ同時刻の19日午前1時ごろ、川津港を出港、南南西に向かった。清徳丸は出港時、赤、緑など前後に四つの明かりを点灯させていた。

 金平丸は20~30分遅れて出港し、南西から南南西に航路を取った。途中で清徳丸を追い抜いたらしく、午前4時ごろ、あたごと遭遇。金平丸のほぼ正面から減速せず向かってきたため、市原船長は「このままでは衝突する」と感じ、右へかじを切った。あたごとの距離は約1.5キロで、すれ違った直後にいくつかの明かりが点灯した。市原船長は「自分の船に気付いた」と感じたという。

 金平丸はそのまま漁場の三宅島へ向かったが、午前6時過ぎに漁協の無線で「清徳丸が事故に遭ったようだ」と連絡を受け、現場に急行。午前7時40分ごろ、船体が二つに分断された状態で、海面に浮かぶ清徳丸を発見した。漁具や布団なども海上に散乱していた。

 この後、ほかの漁船も捜索に加わり、治夫さんの銀色ジャンパーや積み荷などを次々に発見、回収した。市原船長は「頭が真っ白になった。保安庁や自衛隊が浮遊物などを回収していて、私が様子を尋ねても『捜索内容は教えられない』という答えだった」と海保や海自を批判した。外記組合長も「ミサイルを落とせるような、日本の近代的な船が小さな漁船にぶつかるとは。改めて自衛隊はたるんでいるのではないかと言いたい」と訴えた。【中川聡子】

[ 2008年2月20日0時28分 ]

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最終更新:2008年02月22日 11:45