オカシイ世の中覚え書き

<イージス艦事故>強風で漁協捜索できず 募る焦りと怒り (毎日新聞)

 「そこに海があるのに、出航できないなんて」。千葉・野島崎沖で、海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船「清徳丸」が衝突した事故は、21日で2日が経過した。吉清(きちせい)治夫さん(58)、哲大さん(23)父子の安否はわかっていない。清徳丸の所属する新勝浦市漁協などは21日も現場海域での捜索を予定していたが、強風のため出航を見合わせた。家族や漁協関係者は焦りと怒りをいっそう募らせた。【佐々木洋、浅野翔太郎、寺田剛】

 新勝浦市漁協は、この日午前3時ごろから捜索を予定していたが、強風と高波のため断念。吉清さん父子の所属する同漁協川津支所には組合員約80人が集合したが、船団長の荘司好延さん(74)が「今日の捜索はできない」と伝えると、落胆した表情で帰宅した。

 哲大さんの幼なじみで、漁師仲間の先輩でもある中ノ谷篤さん(24)は「捜してやりたいけれど、自分だけでは海に出られない」と話し、哲大さんからの着信履歴の残る携帯電話を見つめた。

 中ノ谷さんによると、漁協の若手の漁師は約20人。哲大さんについて「将来の勝浦の漁業を担っていく漁師だった。『結婚して家庭を持ちたい』と話していた。自分の都合で漁を休んだりしない、まじめなやつなのに」と涙をにじませた。

 治夫さんと同級生だったという鈴木正男さん(58)は「あきらめ切れずに(港に)来た。早く捜しだしてやりたい」と祈るような表情で海を見つめた。

 一方、防衛省が20日夜、清徳丸の灯火を視認した時間について「衝突2分前に気付いた」とする説明を訂正し、「12分前に確認していた」と発表したことについて、怒りの声が上がった。

 清徳丸と同じ海域に向かっていた男性組合員は「やっぱりうそだったという感じだ。当日は視界も良く、ちゃんと見張っていれば、もっと前から確認できるはずだと、誰もが思っていた」と語った。

[ 2008年2月21日15時13分 ]

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最終更新:2008年02月22日 12:19