「ラインの乙女」のスケッチ その12

 というわけで、駆け足であるが、ヴァリンスヘイの内側外側の状況についての説明回。



 グニタヘイズ高原の町ヴァリンスヘイを支配している「教団」も、人間の組織である以上は政治とは無関係ではいられない。そして政治とは権力をめぐっての抗争がつきものであり、そのためだけに人物金が動くものである。
 栄養状態がよくないせいもあって貧相な身体つきの者が多いここヴァリンスヘイでも、筋肉質の押し出しのよい身体をしている者はいる。「帝國」のような焔硝と鉄鋼をぶちまけるような戦争を行い得る一部の国をのぞけば、まだまだ剣と魔法で戦う者が多い世の中である。戦うことを生業としている者は、それ相応の身体つきをしているのは「教団」でも変わらぬことであった。
 歳の頃は五十を越えていそうな壮漢が、白い陣羽織をひるがえして「教団」神殿の一室から足音も高く退出してきた。彼は、そのまま大股ですたすたと自分の執務室へと去ってゆく。そしてその後ろを小走りに追ってくる人影があった。

「ヘラクロナス様、お待ち下さい」
「賢しらぶったあ奴の言葉をこれ以上聞く必要はあるまい! そんなに下界の騒動にくちばしを突っ込みたいというのであれば、好きにするがよかろう。俺はもう付きあえぬ」
「ですが、此度の事は総大主教猊下もお認めになられたことです。どうか、どうか」
「お前はそれでいいのか? レイナルディア。戦ともなればお前ら古人騎士らが真っ先に矢おもてに立つのだぞ?」

 ヘラクロナスと呼ばれた壮漢は、足を止めると振り返り、自分を追ってきたレイナルディアと呼んだ古人を見下ろした。彼女のフードに縫い付けられたベール越しに二人の視線がぶつかる。

「それが我ら古人の「お勤め」ですから」
「……我ら「教団」の戦士は、このグニタヘイズでならば西方魔族の軍団を相手にしても負けはせぬ。だが、下界に降りて下界の流儀で戦をして、それで戦争に勝てると思うのか」
「そのために共和国と協同して、」
「その「ラインの黄金」は、「帝國」の魔導機にいいように追い回され、穴だらけにされて追い返されてきたではないか! 我ら「教団」は、南に逼塞している西方魔族を封じ、「帝國」が神龍による神罰を招くようならばこれを討つ、そのために存在しておるのだ! 断じて中原での権益争いに首を突っ込むためではない!!」

 ヘラクロナスの怒声に、レイナルディアは言葉が見つからないという風情で黙ってしまった。
 彼ら「教団」の教義では、かつての古代魔導帝国の滅亡は、大地を穢し神々の怒りをかったが故に神龍を差し向けられた結果である、とされている。そして「教団」では、古代魔導帝国の末裔を名乗る「帝國」が、再度神龍による神罰を招くような真似をするならば、これを討たねばならぬとされてきた。そのために「神殿」系宗教団体でありながら、禁忌とされる魔導を継承し、魔導機装甲を製造する技術を伝承してきたのであった。
 ゼニア共和国は、その「教団」が伝承してきた技術に目をつけ、少なく無い交易上の利を提示して技術協力を求めたのである。彼らに言わせれば、「帝國」の重魔道機装甲「黒の二」の脅威が緊喫のものである以上、なりふり構ってはいられない、ということなのであろう。
 だがそれは、ゼニア共和国との交易で少なく無い量の食料を得ている「教団」としては、断るに断れない取り引きでもあったのだ。

「お待ちなされ、ヘラクロナス団長。そうやって歯向かえぬ古人に八つ当たりしても仕方がありますまい」

 怒り収まらぬ様子のヘラクロナスに向けて、そう言葉を放つ男が現れる。二人が会議室から出て行った後を追ってきたのであろう。ゆったりとした足取りで近づいてくる彼を、ヘラクロナスは胡乱な者を見るような目つきでにらみつけた。

「ニコラウス主教、貴殿の思惑通りに事が進んでご満悦のようだが、事がそうそう思い通りにゆくと思うてか」
「そもそもがゼニア側から求めてきた事ですよ、「ラインの黄金」の開発については。麦と塩を握られていて歯向かえる相手ではありますまい。我ら「教団」幹部は、ヴァリンスヘイの信徒一万について責任を負う立場にいるのですからな」
「それで下界の騒乱に自ら首を突っ込むのか。下流の領主らと水争いをするのとは違うぞ?」

 ヴァリンスヘイの町とその周囲の村落は、カズムス山脈から流れてくる川の水を灌漑に使って農業を行っている。そのために下流域の領主らと、水資源を巡って争う事がたびたび発生してきた。ヘラクロナスは、「教団」守護騎士団団長として古人騎士や神殿僧兵を率いて、これらの敵と戦ってきた。そんな彼だからこそ、中原で本格的な利権争いをしている諸国の軍勢について、過小評価するような事はなかったのだ。
 だがニコラウス主教は、そんなヘラクロナス団長のことを小馬鹿にした様子で鼻で笑うと、レイナルディアの腰を抱き寄せた。

「それで、自らに歯向かえぬ古人に向かって怒鳴り散らすとは見苦しい。閣下も守護騎士団長ならば、それに相応しい態度を示されるべきですな」
「相も変わらず賢しげな」
「下界の騒乱は、このヴァリンスヘイも無関係ではいられませぬ。我らが下界の「神殿」に、異端とされていることは重々承知でいらっしゃるでしょうに。その我らを守る古人騎士らに、より優れた魔導機をそろえるのもまた我ら「教団」幹部の務めではありませぬか?」

 ニコラウス主教は、憤怒に顔を真っ赤にしているヘラクロナス団長に一瞥をくれると、抱き寄せたレイナルディアと共に余裕たっぷりの態度でこの場を去っていった。
 一人残されたヘラクロナス団長へ心配そうな様子で視線を送るレイナルディアは、だが一言も口にすることはなかった。


「ヘラクロナスの言うことにも一理はあるのだ、レイナルディア」
「はい、ニコラウス様」

 自室に戻ったニコラウス主教は、レイナルディアが淹れた白湯の入った土物の椀を両手で持って、静かに言葉を発した。
 先ほどまでの人を小馬鹿にした様子はまったく見られず、その秀でた額の下の黒い瞳は静かに理知的な光りをたたえている。
 そんなニコラウス主教を、レイナルディアはまるで発情した雌のような上気した表情で見つめている。

「我ら「教団」は、西方魔族をシェオル半島に封じ、神龍再び降臨する兆しあらば代わって神敵を討つためにある。だが同時に、我ら「教団」幹部は、信徒一万に対して責任を負わねばならぬ。ただでさえ貧しいこの土地に生きる者達に、日々の糧を手当てせねばならぬのだ。そのためにもゼニア共和国との友好関係は維持せねばならぬ」

 ヴァリンスヘイは、ゼニア共和国が興ってより長きに渡って交易を続けてきた。稼動している古代魔導帝国の遺跡は、この大陸にはほとんど存在せず、しかもその遺跡を利用して製作される魔導金属は、「神殿」教義によって魔導が禁忌とされている国々にとっては喉から手が出るほどに欲しがられる貴重品であった。
 その貴重な産品をもってヴァリンスヘイは、ゼニア共和国より少なく無い量の食料や布地、鋼材、その他の品々を購入してきたのである。それだけ関係が深いからこそ、グアベロ皇国に異端認定されているにも関わらず、ヴァリンスヘイの町は今の時代まで生き残ってこられたのであった。

「我らに「帝國」と本格的に戦う力は無い」
「……はい」
「表立って口には出来ぬがな。だが、それでも我らの教義故に「帝國」と対決する姿勢を崩すわけにはゆかぬ。だからこそ、我らには「ラインの黄金」が必要なのだ」

 ゆっくりと椀の白湯を飲み干したニコラウス主教は、空の椀を小机の上に置くと、両手を伸ばしてレイナルディアを抱き寄せ腕の中に収めた。


 ミレトス地方での「ラインの黄金」の試し斬りを終えて帰還したアンドレア・モラシーニは、上官であるドメニコ・ガウロと「教団」から割り当てられた一室に戻っていた。
 先ほどの会議でもそうであったが、どうやら「教団」も一枚岩とはいえぬ様子であり、二人に対して隔意ある態度を隠そうともしない者が少なからずいた。中でも守護騎士団を指揮するヘラクロナス団長は、はっきりと共和国に対して協力する意義を認めないとまで発言しており、それに同調する者がかなりの数がいたのだ。

「まあ、予想された通り、っつーか、当然といやあ当然ですな」
「だが、総大主教とニコラウス主教が我々の味方である以上、「ラインの黄金」の開発は次の段階に進めるだろう。ならば計画通りだ。何も問題はない」
「そう言いきってしまっていいんですか、大佐?」

 アンドレア・モラシーニは、その癖の強いこげ茶色の髪をわしわしとかくと、わずかに目をすがめて上官を見つめた。

「「教団」側の古人騎士の協力を得られないのは厳しいが、だが魔導機工部の協力は確約を取り付けられた。供与される精霊銀も、これまで以上の品質のものとなる。初号機の改修と二号機、三号機の製作は順調だ」
「いや、まあ、そうなんですが。つーか、本当にこのまま上手くゆくとお考えですか?」
「判らん」

 ドメニコ・ガウロの一言に、アンドレアは苦い笑いをうかべた。

「十人委員会からは、何か言ってきませんでしたか?」
「……機密事項だ。「帝國」の密偵頭と目される者が入国したらしい。「帝國」の動きに注意せよ、と警告があった」
「どんな野郎です、そいつ?」
「詳しくは判らん。だが、トイトブルグやアル・カディアで活動していた形跡がある者らしい」

 アンドレアは、心底面倒くさそうな表情になって両腕を組んだ。

「さっさと始末しちまえばいいんだ」
「本来ならばな。だが相手が正式な駐在武官として赴任した以上、監視以上の事はできないそうだ。これもまた政治というものなのだ」

 虫唾が走る、というのは、今のアンドレア・モラシーニの表情こそが相応しいものであった。


 ゼニア共和国の首都はゼニア市は、エルメネジルド潟に建てられた人工島の群れである。その島々の一つカノニコ島に、共和国政庁とともに各国の大使館がまとめられていた。
 そのカノニコ島の通りに面した高級食堂の一室で、真っ白い二列釦のスーツを着た小太りの男が、それはもう至福の表情で昼餐を楽しんでいた。
 そんな上司の姿を呆れた表情で見つめているそばかすの散った顔のほっそりとした女性が、手にした書類挟みを音を立てて閉じた。

「報告は以上になります、「少佐」殿」
「うん、素晴らしい。このマリネはまったくもって絶品だ。さすがは海の都と呼ばれるだけの事はあるね。やはり海産物を調理させてゼニアのリストランテにかなう者はおらんよ。ん、報告は終りかね、「中尉」。ならば君も席につきたまえ。この海老は最高だ」
「それでは、お言葉に甘えましてご相伴を。それで「少佐」殿、よろしいのですか?」
「高原地帯の連中の事かね?」
「はい」

 眼鏡の下の青い瞳が一瞬きらめいた「中尉」の言葉を、だが「少佐」と呼ばれた男は一顧だにしなかった。

「あれは伯爵の仕事だ。私にはもっと楽しい仕事が待っているのだよ。もっとも伯爵のことだ、派手にやらかすに決まっている。その後始末を楽しまさせて貰うとしようじゃないか」
「……それでよろしいのですか?」

 もう呆れている事を表情でも声色でも隠そうともしなくなった「中尉」に、「少佐」は牛ひれ肉のカルパッチョを口にしつつ、はっきりと答えた。

「よろしいに決まっている。君、我々が命ぜられたのは、もっと大きく楽しい仕事だぞ? あの御方が望んでやまなかった状況だ。それに比べれば高原地帯での騒動くらい、好きにさせればよろしい」
「はあ」

 自身もナイフとフォークを手に料理を口にし始めた「中尉」は、旺盛なる食欲を発揮している上司の姿を、なんだかなあ、という表情で見ていた。

「しかし、その、よく胃に入りますね?」
「ん? 当然だろう。デブは一食抜いたら餓死するんだ」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年10月07日 22:49