アレクシアの青春 2

 「筆頭、ノニウシア、94点」
 教官は言った。
 己の名を呼ばれた、アレクシアにとって栄誉でもなんでもない。それでも席を立ち、静かに席の列の間を歩いてゆく。
 ふてくされた態度をとれば、手ひどく叱責される。それが面倒だから面に何も示さず、ただ教壇へ向かい、そして答案を受け取る。教官は何も言わなかった。
 学生の士気を高めるためと称して、この学校では成績によって序列が決まる。筆頭はだいたい古人になってしまうらしい。アレクシアは成績で困るということが一度も無かった。回りのものも皆、同じなのだろうと思っていた。、
「次席、テュラヌス。92点」
 おお、と教室に声が上がる。だがテュラヌスは 少し憮然と立ち上がる。黒髪のテュラヌスは、教壇へ真っ直ぐに歩いてゆき、答案を受け取る。
「惜しかったな、テュラヌス。お前はよく学んでいる」
 それは教官からアレクシアへのいやみなのがわかっていた。アレクシアが本気で勉強をし、細かいところまできちんと学ぶようにすれば、今よりずっと成績が良くなる。アレクシアは何度もそう説教されたし、教官室に呼ばれもした。舎監の先生にも言われたけれど、気持ちは変わらなかった。教官は言う。少しわかるからといって、それだけでいればさびてゆく。精進し、己を磨かねばならない、と。
 何もかも、ひどくばかばかしく思える。教官は次々に、成績順に学生を呼び、答案を返す。アレクシアは、聞こえなかった振りをしながら席に着く。
「以上、講義を終了する」
「起立!」
 日直が号令をかける。
「教官に敬礼、かしら、なか!」
 皆で揃って頭を下げる。ひとつ、ふたつ、みっつ、アレクシアは胸の中で数え、それから顔をあげる。教官はうなずき、教室を出てゆく。もはやアレクシアを呼びつけて説教する気もなくなったのだろう。
 アレクシアは答案をくるくると丸めて、肩越しに投げた。たがうことなくごみ箱に入る音がする。振り向かなくてもわかる。それから大きく息をついた。
 休み時間といっても、学生に休む暇など与えられない。次の教室に行かなければならない。けれど今は、急がされることに慣れた学生で、廊下はいっぱいだ。あの人ごみを押し合いながら進んで、次の教室に急いでも仕方ない。だから、机に頬杖をついて、窓の外を見ていた。
 春の日差しはようやく強く、夏の色合いを含み始めている。
「何が気に入らないんだか」
 振り向かずともわかる。クヌースだ。軍袴の隠しに手を突っ込んで、たらたらと歩いてくるのが聞いていてもわかる。
 色白で、アレクシアと同じくらいの背で、そして亜麻色の髪であることは振り返らないと見えない。そしてクヌースはアレクシアに声をかけてきた数少ない同級生だ。
 彼は、アレクシアの隣の机に腰掛ける。机の上に座り、さらに両足を引き寄せている。そのクヌースに振り向きもせずにアレクシアはこたえた。
「返された答案なんかどうでもいいもの」
「へえ」
 他のものならともかく、クヌースが言う場合はだいたい裏表が無い。へえ、といったときには掛け値なくただ「へえ」とだけ思っている。そういうクヌースが、アレクシアにとっては気楽で気安い。言いたいことを言わずに、代わりに別の言葉をネチネチ重ねるような奴は大嫌いだ。
 クヌースが北方の貴族子弟であるらしいことはわかっていたけれど、特に聞きもしなかった。聞いても仕方なかったし、クヌースの言葉の裏を透かして見るような気がして嫌だったからだ。そのクヌースは、おーい、と声を上げ手を振ってみせる。
「何してるんだよ、テュラヌス、早くこっちへ来いよ」
 こたえは唸るような不機嫌な声だ。うー、とも、ぶー、ともつかない声を上げながら、テュラヌスの足音が近づいてくる。
「ったく」
 テュラヌスはぶつくさつぶやく。
「早く行こうぜじゃなくて、こっちへ来いかよ」
「だってまだ廊下が混んでいるだろ」
「先に行けばいいじゃない」
 アレクシアは頬杖をついて窓の外を見やりながら言う。
「着くのは同じころだから」
「まあな」
 言ってテュラヌスはアレクシアの後ろの席に座ったようだ。テュラヌスはクヌースのように机の上に座るようなことはしない。座るなら椅子にだし、横向きにではなく前向きに座る。だから、アレクシアの後ろの席につけば、アレクシアの背中を見ていることもわかっていた。
 テュラヌスは、平民の生まれだと聞いた。この学校に入ったのは、勉強ができるところだからとも言っていた。実際、テュラヌスはよく勉強ができる。それに良く打ち込んでもいた。
「なんだよ、おまえら機嫌がわるいな」
「まあな」
 クヌースの軽口に、テュラヌスはすぐに応じる。
「別に良いだろ」
「言いたいことがあるなら、言ったほうがいいぜ?」
「別に無い」
「無いのに不機嫌なのかよ」
 困った奴だな、机の上に座るクヌースは言う。
「お前ら、二人ともわがままだ」
「おまえが言うな」
「やってらんない」
 言ってアレクシアは席を立つ。
「どうしてあんたたちの痴話喧嘩なんか聞いてなきゃいけないわけよ」
「俺たちかよ?」
 クヌースが言う。けれどアレクシアは無視して教室を歩いた。
 アレクシアにだって、テュラヌスが不機嫌なわけくらいわかるのだから。

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最終更新:2010年11月16日 22:12