筆者談:「らぶらぶという事なので、ラブコメを寄稿します。印刷費用分くらいの価格で販売?」

ということで、黒霧先生の新作が売ってるよー!



あなたに贈り物がある

作者:黒霧

 大学二年の夏。公害に近い日差しによって僕の車が黄泉地に旅だった。南無。
 ……帰省した僕の移動手段も無くなったわけだ。南無、とか言ってる場合じゃない。
 村で唯一の整備工場へ愛車を送り出して一日。二週間の滞在期間中に果たして直るものか、不安に震えた翌日、朝の散歩中に出会った工場長は
「任せろや」
 と軽く請け負ってくれた。
 これでこの人がいつも気軽に請け負って「すまん!」を連呼する人でなければどれだけよかったことか。信頼性ゼロだよ。
「あの、正味な話どうです?」
「世の中何があるかわからんからなぁ」
 会話が成立しない事に肩を落としているうにおっさんは旅立ってしまった。早朝の風をきって工場へ向かうおっさんの背中に愛車の無事を祈る。……車以外の帰路を考えておこう。
 僕の田舎は山の中の小さな村だ。仙人くらい居てもおかしくないような僻地で、ネットなんか当然つながっていないし携帯は見事に圏外だ。もしも都市圏に出たいなら車で三十分、しかも高速に乗らないとたどり着けない。利便性を問われれば百人が百人不便という土地で、両親の強い希望を経て高校卒業と僕らは引っ越した。
 まあそれでも生まれ育った場所。嫌いかと問われれば、……まあなんだ、色々と苦いものがこみ上げてくるわけだけど……ううん。本当はどうなんだろう。
 深く考えるのはよそう。
 気分を変えるべく歩を進める。
 田舎の朝は湿っている。夜の間に冷えた空気が地面を濡らし、日が昇ると共に蒸発する。その間、水分が大気にに満ちて空気は潤いと冷気を得る。半袖だとくしゃみをしそうだ。
 露に濡れた草地をしゃくしゃくと音を立てて歩く。そのまま、文明圏から外れて山の中へ踏み込んだ。登山路などない。ここは観光地では無いのだ。
 まあどこから入ってもどこかにはたどり着くものだ。小学生の頃の遭難で僕は学んだ。懐かしいなあ。「ここで待とう」という僕の手を引いたのは同級生の女の子で、「探検しよう!」とか狂った事を言っていた。
 思い出に頬をつねられて顔が自然とひきつった。振り切る代わりに山の奥へ踏み込んでいく。
 程なくして目的地に到着。二股に分かれた太い木の根元には、お地蔵様が一人寂しく佇んでいる。風邪を引いたときに身内がお参りすると元気になる、とか逸話があった気がする。
 その地蔵の足下で、体を丸めている犬が一頭。
「相変わらずだなぁ」
 柴犬はぴくんと顔をあげた。つぶらな瞳に光が宿る。尻尾ふりふり。
「まだ覚えてるかー?」
 寝起きを感じさせない一鳴きが返事だった。
 首をわしゃわしゃしてやると心地よさそうにもう一鳴きした。
「じゃ、帰るか」
 犬はついてきた。つぶらな瞳を向け尻尾を振っている時は何も考えてないように見えるのに、こういうところはやたら賢い。犬って不思議だ。
 柴犬をつれて家に戻る。庭に面した居間でご飯をぱくぱく食べていたおばあちゃんは、じろりと一瞥をくれてくる。
「なんだい、ばばあ不幸な孫がようやく帰ってきたよ」
「不満なら縄くらいつけておきなよ。結構探したんだよ」
「いいんだよ、そいつは。わたしより若いんだ。好きに走りまわりゃいい」
 僕は? 等と聞けばお前は犬なのかいと言われるのは明らかだったので、口は開かない。それにテーブルを見れば僕の分も用意はあるし。不満より空腹が優先だ。が、早速座布団に座ろうとした僕を迎えたのは叱責だった。
「馬鹿。手を洗ってきな」
「あ。はーい」
 言われたとおり洗面所で手を洗ってくると、再び庭から柴犬が消えていた。あいつめ。
「いっつもこうなの?」
「何がだい」
「あいつ」
「いつもは庭にいるね」
 おばあちゃんはそう言うと、笑いをこらえるように口の端を震わせた。ご飯粒くっついてる。
「何がおもしろいの?」
「ふん。水入らずの気を遣ったんだろ。勝樹が選んだにしては利口なやつだ」
 勝樹というのは僕の父さんだ。しかし、水入らずって。
「本当にそんな事気にしたのかな」
「おまえは鈍いんだよ、ばーか」
 なんでおばあちゃん相手にラブコメみたいなリアクションを頂戴しなくてはならないのか。……おばあちゃんが十代、いや、二十代ならなぁ。
 危なかったかもしれない。妄想は味噌汁とともに飲み込んだ。
「そういえばさ。僕、大学辞めてこっちで暮らしてもいい? 手伝いくらいはできるよ」
「ふざけんじゃないよ。自分の事くらい自分でできるよ。あんたの手伝いなんかいるもんか」おばあちゃんはじろりとこちらを睨んだ。「だいたいそういうときは、こっちにこいってあんたが言うもんだろ」
「大学の寮生活だし」
 大学辞めてもいいけど、おばあちゃんは都会の生活を望んでいない。引っ越す直前は父や母と毎日のように言い争っていたから良く覚えている。言い争いの結果は、まあ、この通り。
 僕はご飯をぱくつきながら言った。
「僕もここ好きだし」
「若いもんは都会行って働け」
「それに就職氷河期とか関係なさそうだし」
「そういうところは鈴に似てるね」おばあちゃんは母の名前を出して笑う。「若いうちは世間の荒波にもまれときな」
「正直、面倒……」
「だいたいおまえはこっちでは暮らせないだろ」
「………………おいしいね、お新香」
「そりゃ浜崎んところのやつだね。よくできてるよ。で、由井のお嬢ちゃんとはどうなんだい」
「まあ……うん」
「まだ不仲なのかい」
「……ま。まあ、それは置いといてさ」
「そういうのをヘタレって言うんだろ」
「あー」
 何も言い返せない。おしんことお味噌汁とご飯のループも、胃が奇妙に引き攣れるせいで飲み込みづらい。箸が止まる。溜息をつく。
「まああんたの人生だ。あんたの好きにすりゃいい」
「好きにはしてるよ」
 おばあちゃんは茶碗を下ろした。器がテーブルを叩く音が馬鹿にするように響いた。
「好きなことをやれるのは馬鹿の所行だ。それでうまくやれるのは天才の所行。おまえみはどっちにも遠いよ。小利口だからね」
 容赦ない断定だった。昔、大人が理不尽だと思った時にはおばあさんに相談し、大人達が一括されるのを小気味よく見ていた物だけど、いざそれが我が身にかかるとちょっと反省してしまう。
「……今日はどうするんだい?」
「ん、ちょっと用事があるから、町に出ようって思ってる。浜崎から予備の車借りるつもり」
「ほう……ほほーう」
 口角が吊り上がる。瞳が意地悪く輝いた。
 な、なんだ? 内心で狼狽えるもおばあちゃんは質問を許さず言い放つ。
「けけけ。行ってこい行ってこい」
 ……多分、今の台詞が皮肉になるような事態が待ち受けているんだろうなぁ……。なんて考えるのは、さすがに穿ちすぎか?


「え? 車? わりーな、俺こないだ事故ってよ」
「うわ。使えない……」
 つなぎ姿の友人は、スパナで肩を叩きながら僕の暴言に顔をしかめた。
 ……なるほど、こういうことだったか。
「買い物に行きたいんだけど……」
「バスは?」
「ちょっと荷物がでかくなるかもしれない」
「ふぅん。急ぎ?」
「おばあちゃんの誕生日がもうすぐだろ?」
「あー」友人は手を叩いた。「そんな時期だったな! 何か作るか。よーし」
 早速工場の奥へ向かおうとする友人。が、引き留めるためにその背中に声をかけた。
「あ、待って。車貸してくれそうなやつ知らない?」
「由井んとこいけよ。あいつ車買ったぞ」
「…………」
 友人は僕の表情の変化を見て口元を緩めた。
「いい機会だろ? 仲直りしろよ。あいつこの時間ならまだ家にいるぞ」
「……口を利いてくるかな」
「馬鹿。女から譲歩引き出そうなんて不可能に決まってるだろ。お前ががんばるんだよ」
「何それ」
「じゃあお前、あちゃんが譲歩する姿とか想像できるか?」
「……納得した」
 友人は奥に向かっていく。「今日休むわー」と威勢良く叫ぶ背中に、愛車の未来を思う。
 工場から出て土むき出しの道を歩く。日は徐々に高くなり、空気に熱気が混じり出していた。皮膚にはじんわりと汗が浸食し、歩いているうちに体の内側に熱がこもり始める。
 実に夏だった。
 ……なのに、なんで体の中が寒いんだろうなあ。
 緊張と不安。心臓は一打ちする度に針金で締め付けられているみたいな痛みを叫ぶし、血液は冷蔵庫で冷やしたみたいに冷たい。手の平に滲んだ汗は何度ぬぐっても消えない。自然と歩みは遅くなる。
 けれど小さな村。すぐに見慣れた家にたどり着いた。
 開けっ放しのガレージには赤色の車一台きり。隣は空いていて、昔見たセダンは不在。多分仕事中。不在の線はなさそうだ。
 深呼吸。インターフォンに指を伸ばした。すべすべする表面は、触れるとぴりりと痺れた気がした。指して硬くないはずなのに、押し込もうとする指は頑なに動きを拒否している。
 トラウマがよみがえる。
 ……よみがえりきる前に首をふって追い払った。どさくさに紛れてスイッチを押し込む。
 インターフォンが鳴った。
 しばらくすると、どたばたと大きな足音をたてて、ドアが開いた。
「……、っ」
 ひきつる顔はお互い様。同時にふいと目をそらす。
 しかし姿を見せあうのは一瞬でも充分すぎた。
 よれよれのシャツとジーンズ。けれど服装とは裏腹に肩でそろえた髪は光を遠さない艶やかな黒で、その下から覗く挑みかかるような青いつり目は一度見たら忘れられなかった。
 ……いつまでもこうしてはいられない。
 引っ越し以来のトラウマ、彼女との会話を始めるか。


 車はがたがたと荒い路面を走破する。僕は足で体を突っ張りながら助手席に座っている。がくがくんと揺れる度、運転席の肩がびくりと震えている気がした。
 横目で伺えば、彼女はこちらを見る余裕もなく背中を丸めて真正面を睨んでいる。
 ……無事、町にたどり着くのかな。今はとにかく、それが心配だ。

 車を貸して欲しいんだけど。そう言った後彼女の見せた反応は「絶対イヤ」の一言だった。
 はは……ここまで嫌われてるとは。肩を落として、でもさすがにしゃがみ込んでのの字を書くのはこらえて、僕はもう一頑張りお願いする。
「おばあちゃんの誕生日が、もうすぐなんだ。プレゼントを買いに行きたいんだけど、車がなくて。浜崎のも修理中だって言うし」
 彼女の額に皺が浮かぶ。この村の子供でおばあちゃんの世話にならなかった者はいない。だから無下に拒絶はしないはず。
「……あんたの車は?」
「壊れてる」
 鼻をならされた。腕組みして、敵でも見るような目で睨まれた。
 汗が顎から垂れた頃「運転はわたしがする」と彼女は言った。

 そしてこれである。
 彼女の運転は初心者そのものだ。命の危機がシート越しにがつんがつんと背骨に突き刺さる。いや、自分も一年半前はこんなだったはずだ。そう、一度通った道。怖くない。だから怖くない。
 怖いわ。やっぱり。今になって教習所の教官ってすごいと思った。
 恐怖の山道を抜けて一般道に出た時は、すっかり消耗していた。シートに深く腰掛けて溜息をつくと睨まれたけど、反応する気概は残っていない。ここから五分で高速に乗れる。交通量が少ないので合流の心配は無い。
「いつ免許とったの?」
「半年前」
 文句ある、と青い瞳がじろりと向けられた。
 うんまあ、それじゃあ期待にお応えして。
「毎日運転した方がいいよ。車もバイト代ためて買ったんでしょ?」
「そんなのわたしの勝手よ」
「まあその……がんばって」
「別にがんばることじゃないから」
 いや、がんばってもいいことだと思うんだけど。命に関わるし。
 しかし深く追求しても結果は火を見るより明らかだ。というか火を放ったら燃え尽きるというか、山火事になってもわたしは燃えてないと言い張る気がするというか。
 考えている打ちに高速にのった。
「えっとさ……」
 気を紛らわせるために口を開いたけど、話題がその後に続かない。ミラー越しの青い目がだんだんきつくなる。
「元気だった?」
 返事は沈黙だった。見ればわかるだろと言わんばかりの澄まし顔。目がきょろきょろしてなければ完璧だ。……うん、いや、運転中はきょろきょろしていない方が問題だ。
「大学はどう?」
 今度は彼女が聞いた。
「ああ、うん。……まあ、にぎやかだよ。あとカレーが案外美味しかった」
「カレー?」
「食堂がいくつもあってね。あれ、喫茶だったかな。そこでまあ……でも、お金がないと本当に何もできないね」
 しかしこれで話題がつきてしまう。僕は馬鹿みたいに口を開いたまま。彼女はちらちらとこちらを……もしくは、ミラーを見ている。
 心臓が痛い。
 ……仕方ない。切り込むか。
「正直、話をしてくれると思ってなかった」
 ぴくりと隣で肩が揺れた。頼むから動かないでくれ。
「別に。そっちが避けなかったら、話すくらいはいつでもしたわ」
「嘘つけ」反射的に突っ込んでいた。「避けてたのはそっちだろ」
「いいわけは見苦しいわよ」
 そっちは開き直りが潔すぎるんだよ。
「……あのことはもう忘れてよ」
 僕のぼやきに、彼女の頬かぴくりと震えた。ひきつったまま表情がこわばる。
 近づいた距離が再び離れた予感。彼女はもう口を開かなかった。

 町についた。平面的な土地にホームセンター、スーパー、本屋。だいたいどこかで一度は見たようなチェーンが平べったい建物を幾つも並べている。平日だからか駐車場はどこもがら空きだ。
 彼女は適当な店の駐車場に車を止めると、「降りて」と短く告げた。
 声色が不安すぎた。僕は思わず尋ねていた。
「放置されたりしないよね?」
「するわけないでしょうっ」
 怒られた。けどまあこれで安心して外に出られる。
「何買うの?」彼女は聞いた。
「んー」
 おばあちゃん、何喜ぶかな。いやたぶん何をあげてもふんと鼻をならしてそっぽ向きながら笑うんだろうけど。……うわあ。想像なのに音までリアル。
「そっちは?」
「何も考えてない」
 言いつつも、彼女の足は家電品店に向かっている。僕は黙ってついていくことに……。
 数歩進んだところで立ち止まった。華麗にターンを決めて、きっと睨みつけてくる。
「ついてこないで」
 燃えたぎる炎のようなつれなさだった。触れようにも触れられず、足は止まる。
 足早に立ち去る彼女を僕は黙って見送った。
「はぁ……」
 一人でとぼとぼホームセンターに向かう僕の中では、昔の光景がフラッシュバックしている。引っ越しの前日も、こんな風に一人で歩いていった。
 あの日。何も言わなければ、関係は破綻しないまでも普通に話せていたのだろうか。
「……言わなきゃよかったのかなあ」
 好きだ、なんて。

 高校の卒業日。翌日には僕は引っ越すことが決まっていた。それを決めた両親とは一年たたずに大喧嘩して寮生活を始める事になるなんてあのときは想像もしてなかった。まあ知らされても、それどころじゃなかっただろうけど。
 僕が気になっていたのは彼女のことだけだった。
 今から思い返してみればそれは思い上がりかもしれないという不安は確かにあるのだけど、でもそのときの僕は彼女とそれなりに良好な関係を築けていたと思う。
 元々彼女は目の色のせいで小さな村ではかなり目立っていた。だからはぶられたりもしていたけど、彼女はそれだけではなくて、やられたらやり返す強さがあった。
 覚えているのは夕焼け。三時間の持久戦の果てに上級生を足蹴にしてげらげら笑っていた小学生の彼女。鼻血をだして馬鹿笑いする姿に一目惚れするなんて想像もしなかった。蹴倒されたのが僕をいじめていた上級生というのもきいた。
 それ以来、彼女とはよく話すようになった。小学校を卒業する頃には好きなんだなって意識していたし、できれば、もう一歩踏み込みたいとも思い始めていた。だけど実際には踏み込めなかった。そういうのは小さい村の中ではやたら目立ってしまうとか、きっかけの言葉を口にするのがどうしても恥ずかしいとか、何よりもふられるんじゃないかとか。不安と言い訳は無数に積み重なっていつしか山を作っていた。
 そうこうしているうちに中学は卒業し、高校に入り、そこも卒業しようかという頃合いだ。彼女もまとわりつく僕がうっとうしいのか段々話さなくなってくるし、そもそも彼女は大学に行かない。農家の祖父を継ぐ事になっていた。
 両親はおばあちゃんと大喧嘩して、村には絶対に帰ってきそうに無い。僕にだって行くなと言うだろう。つまり、もう時間は無い。
 末期の僕は悩みに踏み込めば方角を見失い不安に押し潰されて身動きできなくなる、まさに遭難者の風情だった。
 ――もしも遭難したらどうするか。
 僕の答えは暴走だった。かつてリアルに遭難した時の事を思いだしたというのもあった。案外動けばどうにかなる。きっと。
 で、
「好きだ」
 告白したのは高校卒業の日。引っ越しの前日だった。チキンと言いたければ言え。
 あのときの彼女の反応は、なかなか斬新なものだった。まず目を見開いてぽかんと口を開けた。突っ立っていること五秒。彼女は噴火もかくやの赤色に顔を染め、口をパクパクさせると、
「あー、うー、あーっ!」
 と幼児退行した言語を叫びながら全力で走り去ったのだ。
 ……わけがわからなかった。
 わけがわからなかったけど、ぽつんと一人取り残された僕もたぶん冷静ではなかったのだろう。逃げるって何? とか思いながらも、逃げられたということが示す事柄に気づくまでにはかなりかかった。
 その夜、僕は友人とこっそり酒を飲んだ。翌日の引っ越しは車の中での二日酔いと壮絶な戦いを催すことになる。結果は阿鼻叫喚とだけ言っておく。
 で……それ以来、ずっとこんな感じだ。卒業語初めて村に戻ってきた時も、彼女はこちらを見ようとももしなかった。
 それからずっとこんな感じだ。
 どうやって彼女と向き合えばいいのかわからなくて、僕は途方に暮れている。
 仲直り、というのも変な話だ。そもそもどうすればいいのか。告白を撤回するのも変だし。そもそも彼女からして僕を避けまくっていて話すきっかけが無い。今日はどういう気まぐれか、数年ぶりに話したけど、どういう顔で彼女と向き合えばいいのか実の所、今も悩んでいる所だった。


 プレゼントはすぐに買った。元々決めていたのだ。ただわたしの運転は下手だから、今度の休みに父に連れて行ってもらうつもりだった。それがまさか、自分で運転することになるとは。
 免許とって車も買ったけど全然乗ってない。そもそもわたしは知らないところに行くと必ず道に迷ってとんでもないところにいくというジンクスがある。小学生の足ですら山の中で遭難したのだ。その足が車となった今、どんな事になるか。想像するだに恐ろしい。
 それはともかく。
「遅い」
 あいつはどこだ。何を探しているのか。何を買うつもりか。よもや同じものを買ったりしないだろうな。
 無意識に噛んでいた爪を放す。二秒で足が落ち着きをなくした。うろうろ歩いていると、渦を巻くように不安が腹の底を突き上げてきた。
 だいたいあいつと会うつもりなんて無かったんだ。今更どんな顔をすればいいんだ。
「ああもうっ」
 自販機の前で立ち止まり、硬貨を数枚いれた。合成音声の歓迎とともにコーラが落ちてくる。
「大当たりー」
 うわぁ。うぜぇ。
 一番高いペットボトル飲料を選ぶ。ウーロン茶。がたんと飲料を吐き出す自販機。
 ペットボトルと缶を持って車に戻っていく。大荷物を抱えたあいつが待っていた。
 なんて間の悪い。不機嫌が舌打ちを生む。彼の頬が怯えるようにひきつった。
「で、それ何? ずいぶんでかいけど」
「あはは……」
 恥ずかしいのか目をそらし言葉を濁す。何があははだこの野郎。
 視線をはずし、後部ハッチを開けてやる。抱えていた荷物を奪い取り、詰め込んだ。その横にお茶もつっこんだ。ハッチを閉める。
 何か見られていた。文句があるなら言え。そういう気概を込めて睨みつけると、彼は言いにくそうに呟いた。
「喉が渇いたなって」
「自販機はあっち」
「……うん」
 とぼとぼ歩いていく彼の背中を見送りながら舌打ちをこぼした。わたしの馬鹿。
 昔から意地をはると引っ込みがつかなくなる癖があった。両親にも直せとは言われたけど、今のところ改善の兆しはない。
 一度、学校でもうまく行かなくて本気で悩んでいた頃、おばあちゃんに相談したことがある。けどあの人は
「性格ってのはそうなっちまうもんで、直したり変えたりするもんじゃない。突っ走るように生まれたんなら突っ走り続けりゃいいのさ」
 と言うきりだった。
 それに救われたのは確かで、あの村の子供は多かれ少なかれ、あのおばあちゃんのおかげで真っ直ぐでいられた。もっとも、それともだからこそか、両親には受けが悪かった。うちの子の事に口を出すなと言われたこともある。でもそれだってあの人は
「だったら身内だってだけで天狗になるんじゃないよ」
 と言って笑うのである。
「あんたらにゃ自分と違ったら壊すか殺すしか無いのかい。生憎とわたしは戦争でそういうのはお腹いっぱいなんだ。文句があるならもっと工夫するこったね。あんたらに従わされるほどわたしも子供も知性が無いってわけじゃないんだ」
 そう言っていたおばあちゃんと、黙りこくった両親の姿は今でも忘れられずにいる。
 おばあちゃんはそういう人だった。自分の孫かどうかも関係無く、ただ頼ってきたから、ただ相談してきたから、あるいはただ目についたから口を出す。悪いことをしたらきつく叱られるけど、それでもいつも味方なんだって信じられる。そういう人だから、村の子供たちはみんなおばあちゃんが好きなのだ。
 今にして思えば、ずいぶんひねた人を好きになったと思う。
 わたしもひねてるのかな。
 意地っ張りなのは自他ともに認めるところだけど、そっちに関しては首を傾げてしまう。むしろおばあちゃんのひねくれ具合を継承しているのはあいつの方だ。何をしでかすか、言い出すかわからない。昔はつるんでばかりいたから良く知ってる。
 でもその関係は高校二年まで続き、三年で破綻した。
 わたしが破綻させた。
 先に距離を置いたのはわたしだった。
「……」
 肺の奥で濁った苛立ちが渦を巻き、ちくちくと体の内側を苛んでくる。それが罪悪感だというのはわかっていたけれど、はき出す事は出来ない。何度も試みたけど、あの卒業式の日が瞼の裏にちらつく度に気勢が削がれる。重たい石を飲み込んだみたいだ。
 今もまた、重たい気分になっていると彼が戻ってきた。
「お待たせ」
「遅い」
 八つ当たり気味に噛みつき、困ったように眉を下げる彼を睨む。胸が痛いのは気のせいだと思い込む。
 こんなのもあと少しの間だけ。帰ればまた顔を合わせずに済む。そうすればきっと楽になる。会う度にどんな顔をすればいいのか悩まないで済むはずだ。

 けど、何事も思い通りにはいかないというか。
 高速道路の入り口にタンクローリーがつっこんで、帰り道を塞いでいた。

「……下道で抜けるか、一つ前の高速入り口を探すかだね」
 ぼんやりとつぶやく彼の横で、わたしはハンドルを握ったまま硬直している。その様子に気付かず、彼は続けた。
「……下道知ってる?」
「知らない」
「だよねえ」
 彼は言いにくそうに口をまごつかせる。でも、運転代わろうか、なんて言われるのは絶対に嫌だ。知らない道を走らなきゃいけない不安ですでいっぱいいっぱいだけど、それよりもこいつに甘える方が嫌だった。どんな顔をすればいいかもわからないのに、甘えるなんで絶対駄目だ。
「えっと、コンビニでも探そうか。地図を……」
「いい。どうせ地元だもの」
「えっ。いやいやちょっと待、」
 黙らせる意味も含めてアクセルを踏んだ。幸いにも信号は青だった。
 そしてわたしたちは道に迷った。

 空は目が痛くなるような赤色に染まり、木々は笑うようにざわつきながら黒い影を揺らしている。シルエットの明確さは切り絵のよう。
 けれどそれなら車内の雰囲気も負けていない。運転席と助手席の間で綺麗にぶった切られていた。
 昼はとっくに過ぎ去って時は夕方にさしかかっている。この分だと朝焼けを拝むことになっても不思議じゃない。
 目下、完璧に遭難中だった。
 山中の村に帰るんだから山の中につっこめばいいと思っていた。だけどいけどいけども村が無い。ついさっき、明らかにキャンプ場なところに出たときにはもういっそここで一泊してやろうかと本気で考えたけど、助手席の存在を思い出してアクセルを踏んだ。
「だから素直に地図を買おうと」
 助手席からぼやかれた。流石にしびれを切らしたか。けど我慢してる間に消耗しつくしたか、声に苛立ちの響きは無く、べったりと張り付くような疲労感が漂っていた。けどそれにカチンときた。
「あんたといるといつもこうなるのよ」
「……どっちに因があるかは議論の余地があるね」
「文句があるなら降りれば良かったのに」
「いやーまー。うんそうだったけどさ……」
 高速入り口を過ぎた直後ならタクシーだって捕まえられたはず。もっともうちの村にタクシーが来たことなんて一度もない。たどり着けるかは五分だろう。
「……お腹すいたね」
 話題を変えるつもりか彼は言った。
「お昼食べてないんだから当然でしょう」
「どうしよっか」
 彼は横を向いている。視線の向かう先は幅広の川だ。しかしこう見えて川で魚を捕るのは難しい。小学生時代、がんばり方は選ばないと貴重な体力が失われるだけだと実地体験で学んだはずだ。
「進めばどこかにはたどり着くわよ」
 返事を待たずにハンドルをひねった。隅に寄っていた車がエンジンを猛らせて進み出す。
 ……そう。進めばどこにはたどり着く。わたしはずっとそれを信じてきた。おばあちゃんに、そうあってもいいと認められたときから、わたしは走ることしか考えなかった。
 それができなくなったのは、あの日から。
 告白された日。わたしはわたしを裏切った。
 それきり今も逃げ続けている。

 ……ついに日も暮れてしまった。
 燃料はある。だけど道はさっぱりだ。完全に方向感覚を失って、わたしはちょっと泣きそうだった。へこんでもいた。一休みしようという彼の提案にあっさり従うほどに。
「流石に……意地張ってる場合じゃなくなってきたね」
 アスファルトにぺたんと座り込み、乾いた声を彼はこぼす。ぼんやりと空を見上げている顔はどこかうつろだ。わたしはその隣、はなんかしゃくだったので、車を挟んで反対側に移動して腰を下ろした。こっちから見えるのは天高くに向かって延びる樹木と崖だ。
「……前にもこういうことなかったっけ」
「あったわよ。山で遭難したときでしょ」
「あはは。覚えてたんだ」
「……」
 忘れるはずもない。あれはわたしたちがやらかした中でもとびっきりだった。丸一日行方不明になって、村の人が総出で山狩りをしたのだ。
 遭難した最初こそわたしは威勢良く「探険だ!」とかほざいていたが日が暮れる頃には疲れ果て、最後には泣きそうになるのをこらえるのに必死だった。
 ……はは。何にも変わってないし。
 小学生だったあの頃よりも体は大きくなった。今では目の色で虐められることもない。それはずいぶんな進歩だと思っていたけれど、案外、中身は変わってなかったのかもしれない。
 自己嫌悪の風に飲まれる前に彼の声が心の中に吹き込んできた。
「あのときはどうやって助かったんだっけ」
「……山を登ったのよ」
 こいつの思いつきだ。それまで、下り続ければ村にでると無条件に信じていたわたしは、その思いこみを一切の容赦なく吹き飛ばされてへこんでいた。その時こいつは言った。「下に行ってだめなら上に行ってみようか」と。
 結局はそれで助かった。山の下はたくさんあるが山頂というのはそれよりずっと少なくて狭い。しかも周りがよく見える。そこで村の位置を確認して、あとは転げるように下っていった。
 最後にはわたしもこいつも泥だらけで、へとへとで、村に着いたときにはぼろぼろ泣いてしまった。
「……またやってみる?」
「車をおいて?」
「そっか……それにプレゼントもあるしね。前みたいにはいかないか」
 困ったように彼は言う。
「携帯もつながらないしなぁ。……参ったねこれは」
「……」
 ごめん、と言うなら今だった。
 だけど口にしようとすると、喉が震えて、うまく言葉にならなかった。
 ごめんと言って投げてしまうのは無責任だ。わたしがしでかしたことなんだから、わたしが解決する。
 わたしは立ち上がった。心配は多々あるけど、踏ん切りをつけて前に進むために。
「あんたは後部座席で寝てて。明日にはちゃんとつくから」
「え。……大丈夫?」
「大丈夫よ」
 わたしに気づいて彼も立ち上がった。車越しに、視線が交わる、彼の顔は薄暗くてよくわからない。目だけが、不安そうに曇っている。
「道の方じゃなくて、君が、なんだけど」
「わたしは最初から何の問題もない」
「いやそれ絶対問題だらけだ」
 失礼なことをほざくと、彼は後頭部を掻いて、うなだれた。
「嫌いならそれでもいいし、避けたいなら、追いかけないよ。だからまず、冷静になろう」
「……、は?」
 嫌いなら? 避けたいなら? それに追いかけない?
 なんだそれ。
「僕の隣にいるのがどうしても嫌だって言うならここからでも何とかするよ。だからまずは事態を切り抜ける事を……」
「何それ」
「え」
 声に、しゃれにならないものが混じった。うつむいた彼も、クレーンで引っ張られるようにぎこちなくわたしを見る。
「いつわたしがそんなこと言った?」
「いや、だって……ずっとそうしてただろ」
「それはそっちじゃない」
「そんなことはない」彼は言った。「最初に帰ってきたとき挨拶したのに無視したのはそっちだ」
 っ、それは。どんな顔すればいいかわからなかったからで。だけどそんなことは認めたく無くてわたしは意地を張ってしまう。
「覚えてないわね。こっちには目があった途端顔を背けられた覚えしかないわ」
「相変わらず都合のいい記憶だなそれはっ。あのさ、言いたくないけど、少し視野か狭すぎない?」
「わたしの目よ。わたしがみたいもの見て何が悪いの」
 反省が一瞬胸の奥をかすめたが、それよりも意地の方が遙かに強かった。あああもうなんで素直にいかないんだ。
 けど自己嫌悪に陥るわたしは失念していた。
 わたしは意地っ張りだ。いつもずっと意地を張ってる。それで何度も痛い目を見てきたけどそれは変わらないし変える気もない。
 だけど、こいつだって、
「じゃあ好きだって言った時も見たくなくていやで逃げたのかよっ」
 追いつめられたら牙をむく、凶悪な意地っ張りだったのだ。
 かあっと頬が熱くなった。ぐにゃりと視界が歪んで、平衡感覚が消失する。一歩後ろに後退り、わたしは口をぱくぱくさせながら、なんとか、絞り出すように言い返した。
「なっ……んで、今それをっ!」
「ちょうどいいだろ。どうせ誰も聞いてないし戻ったら逃げ回るんだし」
「に、逃げたりするかっ」
「じゃあ今答えてよ」
「……、っ」
 何がじゃあだ。なんでそうなるっ。
 もう二年以上前のことなのに。
 あのときわたしは逃げたのに。
 もうそっちがどう思ってるかなんてわからないのに、今更、わたしの気持ちだけ言わせるつもりかっ!

 あいつとの関係がぎくしゃくしだしたのは、高校を卒業した日。翌日にはあいつは引っ越しをして離ればなれになる。わたしは大学にはいかず、祖父の農業を継ぐことになっていたからだ。
 そう思うと寂しいものもあったけど、今も昔もわたしは意地っ張りで、そんな態度はおくびも見せまいと躍起になっていた。けどその日が近づけば近づくほど普通にしているのが苦しくなった。顔を見るのもきつい。夢に見た時はあんまりな自分の有様に絶望した。
 だからこそ。わたしは意地を張り続けた。
 だって分かれるのだ。もう早々会えないだろうに、今更どうしろというのか。
 今更何を言えというのか。
 だからこそ、最後までなるべく普通に振る舞おうとして……そのつもりでいたのに。
 ……なのにあいつは。
 あの馬鹿は。
 よりにもよって、引っ越しの前日になって、好きだとか言いやがったのだ!
 好きだとかっ!
 わかってるわっ、そんなこと!
 今更だっての!
 馬鹿かっ、おまえは!
 ……けどあいつが馬鹿ならわたしは大馬鹿だ。
 わたしは告白に答えることもできず、あーうーといいながら走って逃げてしまったのだ。我慢の限界だった。ずっとこらえていた物が決壊する予感に、走り出さずにはいられなかったのだ。
 冷静になったのは部屋に入って鍵をかけ、ぺたんと座り込んでからだった。
 逃げるって何だよ! 逃げるって! けどそうは思っても、これから会いに行くのも馬鹿みたいだし、だいたいなんて言えばいいのかわからなかった。
 何のために距離をとってたというのか。なんでそんな事もわからないのか、あいつは。
 あーもう、あーもう、あーもうっ!
 そのままわたしはベッドに飛び込んだ。
 もうこうなったらわたしも正直に言ってやる。あいつが出ていく直前に押し掛けて叩きつけてやろう。あははは座真網路。畜生。馬鹿野郎っ。
 わたしはベッドでじたばたした。やっぱり言えるかー!
 けどそれが間違いだったのだ。わたしはあの時すぐに走ってあいつに返事を告げるべきだったのだ。
 よりにもよって。翌日に熱を出すなんて。
 ……何やってるのよわたし。
 そしてわたしが答えを告げる前に彼は引っ越し、今度戻ってきたときこそ言おうと思ってもどんな顔をしていいかわからなくて無視してしまった。そしたら今度はあいつの方が避けてくるし。
 それでずるずると二年もひっぱって今更言うのも変な感じになってきて……。

「……ほら、結局答えない」
 そして彼は沈黙を引き裂いた。
 はっとして顔を上げれば、彼の姿はない。どこにいったのかと首を左右に振っても見あたらない。背筋を氷が撫でていったみたいに冷えた。が、すぐに気付いた。いた。車の影になっていただけ。彼は再び座り込んでいた。
「嫌なら嫌って言えばいいだろ。そりゃあ散々な目にあわせたりもしたし……そっちは僕のことなんてそういう風に思ってなかったのかもしれないけど」
「あ、」
 違う。そうじゃない。そうじゃなくて。
「あんなこと言わなければ……」
 後戻りできなくなる疾走。崖から飛び降りるようなやけっぱちな愚痴と共に彼はどんどん離れていく。まずいなんて思う暇は無かった。このままじゃあいつは。わたしは。
 わたしはっ。
「この馬鹿っ」
 それはわたしだ!
 なんで馬鹿。なんでこの期に及んで馬鹿! 違うだろ。もっと、こう、違う絵だろ。なんで馬鹿っ!?
「そういうこというなら相手の気持ちくらい考えろっ」
「考えたよっ」
「だったらわかれっ」
「でも逃げたじゃんか!」
「追いかけろよっ」
「あのなぁ」彼は立ち上がった。こちらを敵でも見るように睨む。「すでに逃げられてるんだぞっ。こっちがどれだけへこんだかわかるかっ。それで追いかけられるわけあるかっ」
 へこんでいたのか。やっぱりか。いやへこむよね……。がくんと肩が落ちた。……はは。わたしの馬鹿。
 次の言葉は……どっちも踏み込み切れず、紡がれない。
 その間に、滾っていた熱量も荒い吐息も夜の空へと失われていく。
 わたしはしばらくボンネットに手を突いてうなだれていたけど、手のひらに力を込め体を起こした。
「このへたれ」
「どっちが」
 睨み合うのも一瞬。わたしは言った。
「馬鹿らしい。帰るわよ」
「運転は僕がするよ」
「勝手にしたら」
 お互いに舌打ちして場所を交代。あいつは右回りに、わたしも同じように回ってすれ違わないように車の反対側へ。
 乗り込んだ助手席はややぬるくて汗臭かった。かく言う彼もハンドルを握ってうへぇという顔をする。
 彼がキーをひねると、エンジンがうなりをあげた。サイドブレーキを落として、ハンドルをひねる。
「で、答えは?」
 ぶっきらぼうを装っているけど、声は震えていた。
 ふん。
 ばーか。
「好きよ。そのくらいわかれ」
 車が走り出す。ごとごと笑うような音を立てて。


「あんたらどっちも初心だってこったね」
 結局、うろ覚えの道をなんとかさかのぼり町に戻ることに成功した僕たちは、コンビニのおにぎりをむさぼってから高速にのって村に帰った。
 来た道を戻るというのは道に迷ったときには良い方法だと強く実感した一日だった。
 で、翌朝帰ってくると、柴犬とおばあちゃんが迎えてくれた。おばあちゃんの顔はにやにや笑いの蹂躙をうけていかにも意地悪そうで、僕の気分を落ち込ませた。
 予想通りというべきか、根ほり葉ほり聞かれた。その結論がさっきのあれだった。実に、ぐうの音一つ出ない。
「それにおまえは撤回するくらいなら好きだとか言うな。まああんたのそれは駆け引きだったんだろうけどね」
 やはりばれたか。いや半分以上本音だったんだけど、ああいう風に追い込めば良かれ悪しかれけりが付くとは計算していた。
「丸く収まったんだから勘弁してよ」
「丸く?」おばあちゃんは鼻を鳴らした。「何言ってんだ。おまえらが大変なのはこれからだろう。まあいいけどね」
 何かひどく不安にさせる事を言われた。彼女もそうなのかなと思っていたが、横目で見るても彼女はとっくに腹をくくっている顔だった。なんとなく張り合ってみる。……真面目な顔ってどうすればいいんだっけ。
 おばあちゃんは喉をひくつかせながら失笑したが、まあいいさと、手元のラジオに触れた。僕が選んで無い方のプレゼントだ。
 僕のプレゼントは庭にある。犬小屋をあいつはは気に入ったようで、今はおねむの真っ最中だ。
「あんた達、これを買うとき何考えてた?」
 唐突におばあちゃんは言った。
「わたしは。……おばあちゃんが前から暇そうだったから、ラジオとかあったら話のネタにもなるし、いいかなって」
「ふん。おまえは?」
 安かったので、と冗談を言うわけにもいかず、僕はとっさに考えた。
「あいつも家があったらおばあちゃんのところにいるかなと」
「ま、そういうこった」
 何が? という顔をしていたからだろう。おばあちゃんは続けたる
「贈り物をするときは相手の気持ちは考えるだろう。それを常にやりな。物贈る時だけじゃなくて、言葉でも態度でも贈りものをするときは考える必要があるんだ。特におまえだ」
「え、僕?」
「だからおまえの両親はわたしをここから引っ張り出せなかったし、おまえもいきなり告白して逃げられたんだ。心の準備くらいさせてやるんだね。まあ今回は柄にもなく臆病風に吹かれたやつのせいでもあるけどね」
 やれやれとおばあちゃんは言うと、ラジオのスイッチを入れた。
 僕と彼女は顔を見合わせた。
 ……結局のところ、この人にはどうしても勝てないのだった。


 そうして時間が過ぎて、帰宅の日。
「悪ぃ、無理だった」
「まあ考えないでは無かったよ」
 浜崎から連絡が入って、僕は溜息を帰した。車は黄泉路から帰ってこなかったのである。
「どうする?」
「宛てがあるからなんとかするよ」
「ほほう。仲直りしたのか」
 それには答えず工場から離れる。
 重たい荷物を持って彼女の家の前まで行くと、すでに車がガレージから出ていつでも出られる状態にあった。窓を下ろすと、彼女は短く告げた。
「早く荷物いれて」
 ハッチを開けてトランクを突っ込むと、僕は助手席に回った。彼女はちらとこちらを見るが、何も言わない。けれどぴりぴりした空気はこの間よりも和らいでいた。
「ありがとう。助かるよ」
「そう」
 彼女は唇を尖らせて、ぷいと顔を背けてしまう。でもミラー越しににやついているのは見えてしまった。指摘はまあ、今回はよしておこう。出発する前から前途多難にする必要は無い。うん。
「にやにや笑うな」
 と思ったら、こっちが指摘されてしまった。頭を掻く。これからは表情も気にすることにしよう。
 気を遣うなら全てに。贈り物は心を込めて、よく考えて。
「じゃ、行くわよ」
「うん。ありがとう」
「別に。嫌な事じゃないし」
 彼女はふんと鼻を鳴らして言う。
 それで終わりにしても良かったけど、もう一押ししたくなって僕は言った。
「そっか。よかった」
 彼女の口元に笑みが閃く。僕は満足してシートにもたれかかった。
最終更新:2011年12月12日 22:45