法官試験解答


※「答えのない質問」という冒頭の宰相の言葉から、一般的・模範的な解よりも自らの考えを重点的に述べた解にしております。


設問1 なぜ法をもて人を管理する必要があるかを答えなさい。

 人は誰でも、生きる権利と、よりよく生きようとする権利を持っています。しかしこの権利を各人が行使しようとする時、利害の不一致などで衝突や紛争が起こることがあります。法とは、この衝突・紛争を未然に防ぐための、そして衝突・紛争が起こった場合に解決するための手段として用いられるものであると考えます。
 よって、誰かの権利の行使によって他の誰かの権利が侵害されることのないように、つまりはすべての人の権利を最大限に守るために、法による人の管理は必要である、と考え、この問いへの回答とします。


設問2 未必の故意とはなにか、答えなさい。

 「ミス」(もしくは「過失」)は自分の行為がルール違反と知らずに法を犯し、実害を出してしまうことを言います。「故意」は自分の行為がルール違反で、実害を発生させることを承知しながら法を犯すこと、あるいはそういう思考状態を言います。
 では、「未必の故意」とは。自分の行為がルール違反に当たり、それによって実害が出るかもしれない、と予想できていながら、それでもいいや、と行動すること、あるいはその思考状態をいいます。実害を出そうとしてやったわけでなくとも、実害を予想できたのに自分の行為を押し通すことは「未必の故意」に当たり、これは「ミス」ではなく「故意」に準ずるものとして扱われます。


設問3 殺人を犯したのに死刑ではなく懲役刑になることが多いのはなぜか、答えなさい。

 なぜ、殺人を犯したのに懲役刑になることが多いのか。
 まず第1に、死刑は殺人と同様に、人の命を奪うものだからです。法にかなっているか、かなっていないかが違うだけで、人の命を奪うというその行為に違いがないからです。命は大切なものです。例えそれがどんな人の命であってもです。
 命を奪うこと、それは可能性を奪うことです。生きている限り、人には可能性があります。たとえば今は凶悪な殺人犯であっても、その罪を悔いて更正し、大勢の人の命や心を救う人になるかもしれません。伴侶を得て、子どもを持つこともあるでしょう。殺人を犯した、という行為は決して許されるものではありません。罪が消えることはないと思います。しかし、彼が将来助けるかもしれない大勢の人や、生まれてくるかもしれない彼の子どもには何の罪もないのです。
 誰かの命を奪い、その可能性を奪っておきながら殺人犯が生きることは、矛盾があるかもしれません。しかしだからと言って、殺人を犯したものの可能性を丸ごとすべて奪ってしまう権利は誰にもありません。可能性は、そのひと一人のものではないからです。なので、可能性を根こそぎ奪う死刑ではなく、時間を拘束することで可能性を制限するにとどめる懲役刑になることが多いのだと考えます。
 また第2に、一言で殺人といってもその犯罪一つ一つに異なる背景があるからです。罪名では殺人とひとくくりにできても、そこに至る経緯や動機に同じものは一つとしてありません。中には、精神的・肉体的に追い詰められてやむを得ず、というケースもあるでしょう。多くの場合、犯行に至るにはそれなりの理由があるはずで、それはもしかすると殺人を犯した人だけを責めるべきでないこともあるかもしれません。例えどんな理由であっても殺人はいけないことですが、そういった場合は罰を軽減するべきであると考えます。
そして第3に、人を裁くのは人であり、そこにはミスがありえるからです。もしも死刑になった後に冤罪が発覚すれば、取り返しがつきません。そういう意味でも、死刑より懲役刑が多いのだと考えます。
 以上3点をもちまして、この問いへの回答とします。


設問4 アイドレス世界での標準的な罰則金の額を答え、増減の仕組みを説明しなさい。

 アイドレス世界での標準的な罰則金は10億円であり、それはアイドレス初期総予算の30分の1にあたります。
 しかし、ルール違反と知らずに違反してしまった単純なミスや、それによる実害が少なかった場合などは、厳重注意の上罰則は軽減されます。また、ルールにのっとって行動したくともできなかった場合、特に、実害が出ないように精一杯努力した様子が見られる場合や、ルール違反を事前に申告して謝意を示している場合も罰則軽減の対象となります。
 逆に、ルール違反と知りながら故意に違反した場合や自らの違反を反省せずに開き直ったりした場合、これらは不正と判断され、より重い罰則が課せられることになります。
 つまり、しっかりルールを守ろうとする意思、他の人の「ゲームを楽しむ権利」を侵さないようにしようとする意思があるかないかで罰則は増減します。例えばルール把握不足による単純なミスが何度も重なれば、ルールを守ろうとする意思が足りないと判断され、通常より重い罰則が科せられる可能性もあります。


設問5 法を厳しく適用する場合のデメリットと、法の適用を機械ではなく人間が行う意義を答えなさい。

 法を厳しく適用する、ということは、法によって厳しく管理される、ということです。厳しすぎる管理は個々人の自由な選択肢を狭め、よりよく生きようとする人の権利を法が侵害するという本末転倒な事態になる恐れがあります。また、法による厳しい管理は反発を招き、確信的に法を逸脱する人が増加する恐れがあります。
 法の適用を機械ではなく人が行うのは、状況や心情の機微を機械では読み取れないからである、と考えます。罪を犯した事実のみを捉え、罰を下すなら機械にもできるでしょう。しかし、どのような状況でなぜ罪を犯したか、どのくらい反省しているか、など、情状酌量の余地を含めて総合的に判断することは機械には難しいと思います。よって、人を裁くのはやはり人であるべきであり、一つ一つのケースに応じて判断を下すことができるのが、人が法の適用を行う意義であると考えます。

(回答:蝶子)
最終更新:2007年01月26日 22:57