電脳世界大戦記


 


2011年、8月。
日本の子供達は、平和な夏休みを迎えていた。

…そのはず、だった。



でも。
これは、何を意味するのだろう。


異常な、この夏の暑さ。

世界各地で頻発する、不可解な犯罪。

そして、醒めぬ悪夢のように続く、子供が消えていく事件。


いっそこれが、夢ならば良かったのかも知れなかった。




強大な力は、その持ち主の運命をも狂わせる。


ある者には、世界を書き換える事すら出来る目覚めをもたらし、

またある者には、不快感に苛まれながらの目覚めをもたらして。

 

電脳世界大戦記

 

File01: 真夏に見るは白い悪夢






賑やかに囀る、雀達の声。
不完全に閉じられた雨戸の隙間。
そこから差し込む、朝の日差し。

とてもとても、爽やかな朝。



………

……………

そう。
不満があるとすれば、ただ一つ。

夏掛けをはね飛ばし、敷き布団から畳の上に転がり落ちたまま大の字になっているこの少年が、不満げに呻く、最たる原因。

「あーぢーいー…」

夏休みに突入してから連日連夜のように続き、
8月に入って尚止まる事のない、
この、暑さだ。




枕元で古くさい形の扇風機が、時折ガガガ、と不快な音を立てている。
昨日も熱帯夜だったので、それは一晩中フル回転していた。
だが、今日も暑そうだ。
哀れなことに今日も一日、止まることはないだろう。

そのせいだろうか。
髪質が堅すぎて普段は体験しない(というかできない)、『髪の毛が汗で顔に張り付く』という事柄をここ数日、俺は身をもって体感していた。
目が覚めたのは、ラジオ体操だってとっくに終わってる時間。
枕元で倒れた目覚まし時計を手に取ると、12時25分を指したまま、秒針まで沈黙してやがる。
…寝ている間に、電池が切れたらしい。

ここまで清々しく寝坊したんじゃあ、朝からお袋に小言を喰らう羽目になる事は明白だ。
俺は畳の上で目覚めて、今朝5回目の呻き声を上げた。

仕方ねえ、起きよう。

思いっ切り伸びをすると、俺の引きつれだらけの手がピリピリと痛んだ。
幼稚園の頃、花火の打ち上げ事故で火傷したこの腕は、医者に『一生鉛筆も握れないだろう』と言われたもんだ。
だけど、今は野球のバットだって握れるし、最初に比べればあんまり痛くない。


それにしたって、"心頭滅却すれば火もまた凉し"とはよく言ったもんだ。
晴れてくれるのは嬉しいけれど、こうも晴天続きだと多少恨めしくも思えてくる。
ことわざは嘘は付かねえとは思ってたけど、こればっかりは絶対に嘘だ。

そんな事を考えながらも雨戸を開けると、高層ビルの隙間から、抜けるような夏空が見える。
その僅かな青も、川の対岸にある電波塔に、真っ二つに裂かれていた。

窓から見える、あのバカでかくて長っ細い塔は、テレビの新しい電波を流している。
そして今年から古い東京タワーから出ていた、古いテレビの電波が使えなくなるらしい。
何年も使ってきた古いテレビが使えなくなるって、じっちゃんがぼやいてた。
ばっちゃんは、新しいテレビで黄門様を拝めるからいいんだ、って言ってたけど。


タオルケットを足下で団子にしている、双子だからそっくりな寝顔をした弟と妹の上をまたいで、1階に下りる。
まず洗面所でばしゃばしゃと顔を洗い、朝飯にありつきたくて、茶の間に顔を出した。

茶の間で朝食を摂っているのは、民子叔母さんとヨネばっちゃん。
むこうの台所に、食べ終わった分の茶碗を洗うお袋と、そのお袋を手伝っている、じっちゃんの弟子の中田さん。
茶の間から更に廊下を挟んで向こう、寝起きしている部屋でパソコンを触っているのは、入り婿の南雲叔父さん。
いつも通り、インターネットで来ている花火の注文を確認してるんだろう。
妙子姉ちゃんは水泳部の朝練、それから大河兄ちゃんは野球部の合宿中で、あと2日は帰ってこない。

とりあえず、今姿の見えない2人の事を聞く。
「なー、じっちゃんとオヤジは?」
「お義兄さんとお義父さんだったら、もう工場に出て行ったよ。」
叔父さんが、パソコンから顔を上げて答えてくれた。
民子叔母さんが冷蔵庫から、冷えたビン牛乳を手渡してくれる。
ちゃぶ台に乗っていた鍋から味噌汁を勝手によそると、ばっちゃんがご飯を大盛りで寄越してくれた。


うちは江戸時代から代々花火師を生業にしている、小林煙火店だ。
数日前に隅田川で花火を打ち上げる大仕事があったばっかりで、まだどことなく硝煙の臭いが漂っている。
そん時のコンクールじゃ優勝は出来なかったけど、3位には行けた。
うちの工場の事ながら、なかなかの成績だったと思う。

俺の両腕の火傷も、実は花火の所為。
今じゃ花火の打ち上げには電気点火が増えてきているけど、うちはまだ人間が点火している。
俺が5歳の時、初めてオヤジが花火の打ち上げ台まで連れ行ってくれた時の事、たまたま事故は起きた。
打ち上げ損ねた玉が地上の近くで暴発して、大量の火の粉が飛んできたんだ。
腕で何とか庇ったんで他の所は何とも無かったんだけど、腕は酷い痕になる程焼かれてしまった。

オヤジは俺を連れてきた事をそりゃあもう気に病んで、自分の代で花火師を止めようかとも思ったらしい。
でも、俺は花火が好きだったんで、止めないでくれって泣いて頼んだ。
だから今でも工場は続けてるんだけど、オヤジは未だに俺を花火に近づけさせようとはしない。
もう平気なのにな、俺。



朝飯にがっついていると、なんとなく後ろから殺気が漂ってくるのに気付いた。

…いただきます、をしないと拳骨を喰らわすオヤジやじっちゃんは今いないはずだ。
そもそも、今朝はちゃんと言ったし。

となると、残っているみんなの中で、こんな殺気を漂わせる事ができるのはただ一人。


どうでも良いんだけど、俺のお袋は若い頃この辺じゃ評判の美人で。
江戸の昔だったら、『○○小町』とか呼ばれる程だったらしい。
今だって、十分過ぎる程若くて美人だ。
とてもじゃねえけど、5人の子持ちの花火屋のおかみさんとは思えない。
…いや、別にお世辞を言うつもりじゃねえんだ、うん。

心の中でどんなに褒めたって、これから俺の身に降りかかる災難は、避けていってくれそうに無いし。
もう諦めに似た気分で、台所をちらりと見やる。


「武則(たけのり)!あんた、ラジオ体操には行ったの!?」
…やっぱり、お袋の非難がましい声が飛んで来た。

仕方がないから、正直に答える。
「…行けなかった。目覚まし止まってたから、多分そん時寝てた。」

これはお袋もやっちゃった事があるから、あちゃーって顔をする。
それまで黙々と箸を進めていたばっちゃんが、乾電池を小物入れから出してくれた。
それ以上はお咎め無し。

だけど、ほっとする間もなく、その次のお小言が飛んできた。
「そ・れ・か・ら!!野球の朝練はどうしたの!」

それも言われる事は分かってたんで、牛乳に口をつけながら言い返す。
「今日は監督が休みにしようってたんだよー。昨日言ったろー。」

するとお袋は、小首をかしげて言ったもんだ。
「あら、そうだったかしら。…そう言えば辰樹と辰実は?」

「まだねてた。」
自分の事はしっかりはぐらかす。お袋はいつもこうだ。


武則…小林武則、それが俺の名前。
昨日、11歳の誕生日を迎えたばかり。


そんな小学5年の夏休みの、1日の始まり。



茶の間では、テレビがさっきから点けっぱなしだ。
今朝もニュースは、子供達が神隠しに遭ったように消えた事件を伝えている。
というのも、この夏休みに入ってから、もう何人もいなくなっているからだ。
ざっと2~30人にもなるだろうか。
それも、関東一円…特に、この東京に集中している。

そんでもって妙な電子メールが、その消えた子どものパソコンや携帯電話に残されていて。
警察は誘拐事件だって言ってるけど、その割には何にも情報がないのは変だ。
オヤジが言うには、報道規制ってやつが敷かれてるって話だ。
…俺には良く、分かんなかったけど。

それから、このニュースの時は必ずやっている、危険な光化学スモッグの注意の呼びかけ。
子供が消えた時に必ず発生しているんで、それに乗じて人さらいが出ているらしい。
そいつが出ると、目の前がチカチカ光って何も見えなくなって、道路なんかで起きると事故に繋がって大変なことになる。
今日も、たまたまカメラが回っていた時にスモッグが発生した時の映像を、画面は繰り返し映し出していた。

それは、渋谷のハチ公前交差点での、たった5分間程の出来事。
ビルの壁面に映し出されていた、大きなテレビが見えなくなる程濃い霧が、いきなり現れる。
その霧は交差点から駅前まで、地面を覆うように10秒とかからずに広がっていく。
霧から逃げるように走ってくる人も見えるけど、ほとんどの人は逃げる間もなく飲み込まれている。

その時は、他の友達と一緒にいたはずの大学生が一人、人混みの中から消えたんだそうだ。
その上、視界を奪われた自動車同士がぶつかって、怪我人も出たっていう話だ。

何でも、そのスモッグは天気予報でも、いつどこで出るのか予想が付かなくて、今のところ対抗策は一つしか無い。

『スモッグが消えるまで建物の中などに避難して、絶対に外を出歩かないようにして下さい』
『子供は大人の側を離れないようにしましょう』

…いたって簡単だ。

事件が起きた最初の頃は、俺もテレビに齧り付くようにして見入っていた。
外で遊ぶのだって怖いと思ったもんだ。
だけど、せっかくの夏休みなのに、遊ばないなんて絶対損だ。
親も始めはそんな俺らを叱り付けてたもんだけど、やっぱり喉元過ぎればなんとやらで、今は俺達が外に出る事を容認している。



朝飯を食い終わる頃にはさっきまでのニュースは終わっていて、次の番組が始まるところだった。

そんでもって、9時半の時報。


…………

…って、9時半!?

「ご、ごちそうさま!!」
ばちんと手を合わせ、椀の後片付けもそこそこに、慌てて2階の部屋に駆け上がる。
タンスの自分の引き出しから、おろしたてのカラシ色のランニングと、藍染めの短パンを引っ張り出して着替え、自分の布団を窓縁に引っかけて干す。
あんまり派手にやったもんで、うるさそうに辰樹と辰実が起き出したが、構っちゃいられない。

机の上に放ってあった、叔父さんからもらった偏光ゴーグルを掴み、その隣のオモチャのゲーム機も首から掛け、またバタバタと階段を降りる。
そのまま玄関に直行して、下駄箱の上から自転車の鍵を取って。
壁に掛かっている鏡を見ながら、そこにあったタオルと一緒にゴーグルを頭にはめて、寝癖を誤魔化す。
正直、髪を整えている暇も惜しい。


表へ飛び出して、外の物干しに干してあった黒い長手袋を肘まではめる。
暑いのに変かも知れないけど、これが無いと、道行く人に俺の腕をじろじろ見られるからだ。

そのまま前庭に置かれた自転車に乗ろうとすると、流石にお袋に呼び止められた。
「ちょっと、武則?!どこ行くの!」

俺は玄関口から大分離れてたんで、怒鳴るように返す。
「川向こうの新生堂!10時からデジモンの大会があんだよ!!」

お袋もまた、俺に向かって怒鳴り返す。
「今日は良く晴れてるんだから、光化学スモッグには気を付けるのよ!
ちょっとでも変だと思ったら、すぐ建物の中に入りなさい!」

しっかり心配されたのは嬉しいけど、なんか過保護だよな。
でも、お袋は心配性なのを分かってるもんだから、こう言われると俺も弱い。

「…分かってるって!じゃ、行ってきまーす!!」

一応返事をして自転車をこぎ出した俺を、やっぱり心配そうにお袋が見送る。

今日も、なんて事のない日常が始まる。



デジモン。

中に『デジタルモンスター』っていうゲームが入っている、ちゃちい腕時計かストップウォッチみたいなおもちゃ。
俺が今、首から下げてるのがそうだ。
今流行ってるのは『デジウォッチ』っつー名前で…正直言って、ダサイ名前だと思う。

まあ、要するにだ。
そのゲームの中で、デジタルモンスター…略すと『デジモン』っていう生き物を育てるんだ。
俺らみたいな小学生の間ではものすごい人気で、持ってない奴なんて一人もいない。

で、俺ン家の川向こうにある、デジモンを作ってる会社の新生堂じゃあ、毎週末大会が開かれてて。
育てたデジモンを戦わせて、みんな夢中で腕を競ってる。

俺が持ってるデジウォッチは、黒地に赤色のヤツ。
正月に射的で1等のデジウォッチを獲った女の子が、俺が間違って当てちまった2等のおもちゃの銃と交換してくれた宝モンだ。


で、このデジモンがただの『ゲーム』かってぇと、実はそうでもないらしい。

10年前に、ホントにデジモンがこの世に現れたんだと。
こっちの下町の方はそうでもなかったけど、新宿の辺りが一番酷くて。
世界中でインターネットの元締め…ホストコンピュータっつーのか、あれは。
それが全部イカれちまって、そりゃあ大変な騒ぎになった。

で、その時。
俺ら位の子ども達がデジモンカードを使って、パートナーのデジモン達と一緒に、戦って悪いのを倒して。
そんで、今でもそいつらが、こっそり平和を守ってるらしい。
テレビの中の夢物語みてぇな伝説だけど、俺のダチはいっつも熱っぽく語ってる。

そんな訳で、俺達よりもっと年上の奴らは、今でもどっちかと言うとデジモンカードの方にはまってるらしい。
10年も前には、テレビでも色々と番組をやってたみたいだから。



自転車を飛ばして向かったのは、隅田川にかかる厩橋の袂。
緑も色濃い葉桜が、青空を映す川面によく映えている。
そこには、見知った顔が仲良く2つ並んでいた。

一人は、桃色の…確かキャミソールとかいう、やたら涼しげな服の奴。
緩く波打った明るい茶色の髪を、蝶々のついたでかい髪留めでまとめ上げている。
五十嵐弘美(いがらし ひろみ)、それがあいつの名前。

もう一人は、インテリっぽいメガネをかけている、さらさらとした黒髪が目立つ奴。
それより何より目立つのは、真夏にも関わらずしっかりと首に巻かれた、暑苦しい長い布っ切れ。
風になびいて、これでもかって程ひらひらしている。
石動 明(いするぎ あきら)、それがあいつの名前。

どっちも、俺の友達。


「おっそいわよー、ノリ!」
相変わらず朗らかな、ヒロ。
「今日もまた寝坊か?」
にやりと笑いながらキラがからかうように言うんで、俺は苦笑いして肯定する。

それから、そのままそこでだべってみたけれど、話題は自然とあの失踪事件の事になる。
まさか俺達の所にスモッグが来るとは思わないけど、何となくみんな不安だった。

「キラは、お袋さんや親父さんに何も言われなかったか?」
「うちか?
母さんは色んな原稿が溜まってて修羅場だし。
父さんも会社の仕事が詰まってるらしくて、どっちも話す時間あんまり無いからな…
…ああ、気を付けろ、位は言われたけどな。」

「うちのパパとママも心配してるけど、家にいたってリストランテの手伝いするしかないし。
夏休みだから、外に出る事は何とか許してもらえたよ。」
そう相づちを打ちながら。
ヒロは腰に付けていた、白地に桃色のデジウォッチの画面をのぞいて。

「…キラ、ノリ、大変!そろそろ時間だよ!!」
素っ頓狂な声を上げた。

「何!?」
「マジかよ!」
俺は首から下げたデジウォッチを、明は腰に付けていた、白地に紫のデジウォッチを慌てて見る。

…9時、55分。
10時まで、あと5分。

「うわ、やべぇ!!」
「急がないと、受付時間に間に合わないぞ!!」
自転車に飛び乗って、これ以上無いってぐらいの速さで俺達はペダルをこぎ出した。


みんな自転車をかっ飛ばしたおかげで、受付締め切りには、なんとかギリギリ間に合った。
それでも、俺らの事なんか特に気にせずに、試合はサクサク進んでいって。
ゲーム大会の決勝は、どっちも大会常連同士。
立花って中学生と、齋川なんとかっていう5年生の一騎打ちになった。

ついでに言うと、俺達の中で一番強かったのは、俺…じゃなくて、準決勝まで勝ち残ったヒロだったりする。
…どうせ、勝てないとは分かってたけど。

キラ?
あいつは大会そっちのけで、アキヤマっていう司会の兄さんに熱狂していた。
デジモンのことにはやたら詳しいくせに、ゲームはやらないんだよなあ、あいつ。




そして、大会は終わり。

新生堂のビルを出て、今度は自転車を押しながら歩く事数分。



「急に暗くなってきたね…」
このままいつものように、家に帰る事が出来ると信じて疑ってなかった。

「雨でも降るんじゃねぇの?」
その時はまだ、分かりっこなかった。

「だが、空に雲なんて…」
日常が、非日常になってしまうなんて。



家路につこうとする、俺達を待っていたのは。



「何よ、これ…」
一目見りゃあ、分かる。

「…やばいんじゃ、ないのか?」
ああ、そうだろうよ。

「これじゃ、帰れねえぞ!」
冷静に避難する、なんて出来っこない。



立ちこめる、霧。
それも、普通の霧じゃない。

テレビで見た、生き物のように蠢く、あの、霧。


そいつはキラキラと輝きながら、行く手から俺達の方へ、猛スピードで迫ってくる。

俺達は逃げる間もなく、テレビのノイズのような光に巻き込まれていった。


続きは@てふにわで公開中。


ページ作成者:一ノ宮怜

 

最終更新:2009年07月19日 20:49