名無し氏

「いやー、さすがにこれはねえだろ」

 サンタクロースをいつまで信じていたか、などというどうでもいい話はこの際考えないでおこう。
 てかむしろ考えるほど落ち着いてるってのはどうなんでしょうね。
 俺は西日で橙に染まる教室の中で、足元に横たわっている、かつて朝倉良子だった物を見下ろした。

「……さすがに死んでるよなぁ。いまなら起きても良いんだぞ、おーい」馬鹿みたいにどうでもいい事を呟いてみる。

 そして約二秒程目を閉じて、もっかい見てみる。
 足元には、やはり喉からサバイバルナイフを生やし、苦悶の表情を浮かべながら死んでいる朝倉の死体。

「だよなぁ……そう簡単に幻覚を見たり生き返ったりするはずねえもんなぁ」俺はぼりぼりと頭を掻き、足元の朝倉に言う。
「でもさ、お前が悪いんだぞ。ナイフなんかでいきなり襲ってくるからそういう目にあうんだぞ」

 教室の外まで歩き、ドアの外を見た。
 やはり廊下に人気は無く、誰かのドッキリという事ではないだろうね。
 というより、俺が朝倉を刺し殺した感触が、まだ手に残っているってのが簡単に忘却できない理由なんだろうね。多分。
 やっぱ自首したほうがいいんだろうか。

「やばいよなあ、父さんとか、かあさんとか、妹とかの世間体とか……」人殺しの妹ってのは結構辛そうだよな。

 妹には悪いがあきらめてもらおう。
 人生は自分の行動だけではどうにもならないことがあるって、幼いうちに勉強できてよかったよかった。
 ……まあ、自首の事とかは後に回そう。正直なところあんまり考えたくない。
 俺は倒れている朝倉に近づき、しゃがみこんだ。
 とりあえずナイフを抜いておこうかな。
 刺さったまんまだとなんか可哀そうな気がするし、って俺が殺したんだけどな。

「いやー、やっぱり笑えねえよなぁ」妙に現実感が湧かない。人を殺してしまったのに。

 何となくこんなふうに終わってしまうんじゃないかと、ずっと感じていた気がする。
 それがまさか人殺しで日常が終わってしまうとは……。なんとも傑作な話だ。
 SOS団の連中もびっくりするよな。
 犯人は雑用です、なんてなったら朝日奈さんとか絶対に怯えるぞ。
 ふみぃ、この人殺しー、とあの可愛らしい声で言われたらさすがの俺も落ち込むだろうな。

「わぁお、すげえ他人事みてえ。……朝倉が死んだのは他人事だけど」

 言いながら、俺はポケットからハンカチを出し、それで朝倉の喉元を抑えながらナイフに手を掛ける。
 割と深く刺さっていたので、少しだけ力を込め、脊髄くらいまで達していたナイフを一気に引きぬく。

「……よい、しょっと」

 微妙に気持ち悪い音を立てながら、ナイフは案外にするっと抜ける。
 ハンカチは、血まみれになりながらも血が飛び散るのを防いだ。
 というより、死んでから時間が経っていたので、想像よりは血が噴き出したりはしなかったのが嬉しいところだったな。
 などと人としてはどうしようもない事を考えつつ、俺はこっそりとナイフを鞄に入れた。
 さて、どうしよう。……ていうかどうして俺はナイフを鞄にしまったのだろう。
 俺はハンカチの血が付いていない部分で、手に付着した血液をふき取りながら考えてみた。

 これは朝の話。下駄箱に入っていた、ノートの切れ端が原因だったのだろう。
 そのノートの切れ端には、『放課後誰もいなくなったら、教室まで来て』と、明らかに女の丸文字で書かれていた。
 つまりこの段階で俺が悪くないという事を証明している。……どう考えてもしてねえな。
 とにかくともかく、俺はその誘いにホイホイ乗り、放課後誰もいなくなった頃に、我が教室に向かったわけだ。
 誰もいない廊下を確認して、俺は教室の扉を開けた。
 そこには何故だか分からんが、委員長――つまりは被害者である朝倉涼子がいたわけですよ。

「遅いよ」とかそんな感じの事を言いながら、俺に笑いかけた。

 それからよく分からん雑談があったんだよな。
 そんで……えーと。

「人間はさあ、『やって後悔するより、やらなくて後悔したほうがいい』って言うよね」

 それを言った後。どこからともなくサバイバルナイフを取り出し、俺に切っ先を向け。

「だからあなたを殺して涼宮ハルヒの出方を見るわ」

 そう笑いながら言い、その手に持った刃物で、俺の首筋があった場所を一閃しようとした。
 それは完全に致命の一撃であり、普段の俺だったならば確実に死んでいたはずだった。

 だが俺の身体は何故か動き、いつも考えていたように。いや、つねに考えていたように。
 朝倉のナイフを奪い、その返し手で大振りのナイフを、朝倉の喉に突き刺していた。

「それで今に至るわけなんだよな……」と、現状確認の為、下を向いてみる。
 やはり朝倉は死んでいる。

 足元の朝倉は支えになっていたナイフを抜いたせいで、首が人として向いてはいけない方向に向き、ちょうど俺を恨みがましく、光彩の無い瞳で俺を見つめている。

「こっち見んな」言ってみたところで聞いてくれるわけもない。
「というよりさ、やっぱりお前が悪い。むしろ俺に殺されるのが悪い」

 俺は無茶苦茶な論理を呟く。
 というよりそのどうしようもない考えは、何故だか俺は悪くないと思った。

「……いやあ、やっぱり狂ってるな俺」はっきり言って自分の意見にどっ引きだった。

 さて、

「ふむ、俺は悪くないから逃げるかな」まあ、どうにかなるだろ。

 呟きながら、鞄に入っていたビニール袋に血まみれのハンカチを詰め、ポケットに放り込む。
 そして床に流れ出していた血を踏まないように、朝倉に手を合わせ。

「それじゃあな、朝倉。おつかれさん」返事が無い、当たり前だが屍のようだ。

 そうして俺は水飲み場で血を落とすため、丹念に手を洗い、家路についた。

 駅までの道のりは酷く遠かった。いや、もしかしたら遠いと感じただけかもしれんが。
 それでも通りすがりの人を見て、特に何も考えず、「ああ、殺せそうだな」と思ってしまったのは少々ビビった。
 なにしろすれ違う人や通りすがる人を、殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて堪らなかった。
 だが俺は一般常識に溢れる人殺しなので、しっかりと我慢した。
 ……実際のところマジで辛かった。
 が先の件のように、襲われてもいないのに人を殺しちゃダメだろ。多分……だけど。
 そこに自信が持てないのはどうかと思うが、とりあえず今のところは踏みとどまれそうな気がする。

「しかしな、一体どんな状況だこりゃ。少年漫画みたいに殺人鬼に覚醒ってか」

 適当にごまかしてみても、笑えない。
 これから家に帰り、家族を見て、もしも殺したいと思ってしまったら、俺は我慢出来るのだろうか。

 多分――できない。
 想像するだけで……殺したい。父親を殺したい。母親を殺したい。妹を殺したい。
 たとえ今、この駅で、電車で、町で、百人、二百人殺したところで、きっとこの殺意は消えないだろう。何故だか分からないがその確信はある。

「さすがに……家族はやばいよな」かといって朝倉を殺したのはやばくない訳ではない。

 見回りの職務怠慢とかで見つからなければいいのだが。

「しかし誰かに相談、ってもな」俺は携帯を開きながら呟いた。

 ハルヒは、駄目だ。殺したい。朝日奈さんは……殺したくなるだろうしな。
 古泉は駄目だ、ついついノリで殺してしまうかもしれん。
 谷口も駄目だ。まず確実に殺してしまう。国木田……は言葉で丸めこまれてしまうので避けたい。
 もう宇宙人の耐久力に期待するしかないよな。俺は携帯を操作し、長門の番号に連絡。
 ワンコールも待たないうちに、電話は取られた。

「あー、長門か?」

「……そう」普段と変わらない声音に少し安心。

 だがこいつは俺の次の言葉を聞いたらどう思うのだろうか。

「あのさ、言いにくいんだけどな。俺さ、人を殺しちまったんだ」

俺の罪の告白に(ぶっちゃけ罪だとは思えていないのだが)長門は平坦な響きの声で。

『知っている。あなたは朝倉涼子を殺害した』と、衝撃の事実を告げた。

「何故知っている?」

『見てた』即答だった。

「……マジすか?」

 誰もいなかった気がするが、朝倉涼子を殺したのは俺だってことを知る術は……よく考えなくても結構あるな。そのまま放置だし。

『マジ。……というより――』長門はそこで声を区切り「――今あなたの後ろにいる」と後ろから聞こえた。

 瞬間、後ろに気配。俺は鞄の中からナイフを取り出し、振り向かずに声のした方向に振り切る。
 その動きは、俺が今現在出来得る限りの最速、あくまで自画自賛だが必殺の、理想の一撃だった。
 しかし刃物を振るった腕は、何か固い壁に当たったかのように停止した。
 振り返ると、長門は首筋を狙った刃物を両腕の半ば辺りで防御していた。
 俺はあわてて肉にめり込んでいたナイフを引き抜き、両の掌を合わせ謝罪する。

「すまん、申し訳ない。ついつい殺してしまいそうになった」冗談のような本当。

「問題ない。気にしないでいい」と、あくまで冷静な長門だった。

 ……気にするよこれは。
 観察してみると、長門の腕はだらりと垂れ下がり、カーディガンの裾から赤い血液を流していた。
 斬りつけた部分は薄い線が走っており、そこからぱっくりと開いた傷口から肉が見えていた。
 そして、赤い肉とは別の物、元々は白かったであろう血液などで黄色く見える骨も覗いている。
 しかしこれぐらいの肉と骨程度なら両断出来そうな感じなんだけどな。うむ、不思議だ。

「……あのさ、俺が言うのも変な話だが、病院に行った方がいいんじゃないか?」

 とりあえず失血死でもされたら後味が悪いので心配しておく。
 自分のろくでなさに胸が痛むような気もするが無視。
 だが俺の心配をよそに、長門は眉一つ動かさずに余裕の表情で、自分の傷痕を眺め。

「問題ない」と言い、続けて何か呪文的なものを早口で呟いた。

 その刹那、長門の腕が歪み、幾何学模様のような輝きに包まれる。
 次に目をやった瞬間、腕や服は何事も無かったかのように元通りになっていた。
 裾から地面に垂れた血液も跡形もなく消えている。もう魔法としか思えない。

「すげえ、本当に宇宙人だったんだな」俺の茫然とした呟きを聞いた長門は。

「そう」と、そっけなく返した。宇宙人じゃなかったらどうなっていたのかは考えない。

 ちなみに無表情の中に、微妙に誇らしげな感情が見えるのは俺の気の所為なんだろうね、きっと。
 そうして宇宙人の存在を確信した俺は長門に問うてみた。
 それも宇宙人だったら何でも知ってるだろ、という安直な考えで。

「ところで長門、お前は俺が朝倉を殺すのを見てたんだよな? あれは一応俺の所為じゃないよな?」

「前者の質問は見ていた。そして後者はあなたの所為じゃない……あれは単純に朝倉涼子の能力が足りなかったから殺されただけ」
「この場合、悪いのは、殺された朝倉涼子」そう、断言した。

 善悪の概念なんぞ俺には分からんが、とりあえず自首した際の証人は得たことになる。
 最悪は免れたとでもいおうか、捕まった場合は情状酌量の余地はあるだろう。
 長門は俺の思考を察したのか。

「あなたは罪に問われることは無い。朝倉涼子の死体はわたしが処理しておいた」

「それはそれは……何から何までお世話になりまして」

 適当に納得しておく。
 真偽のほどはよく分からんが、長門は俺を通報する気はないようだった。
 しかしな……どうにも都合が良すぎる。なんか騙されてるような気さえする。
 しかし俺にはどうにも出来ないんですよね。
 俺は疑問を振り払うように頭をふり、適当に話を振った。

「……ていうかさ、お前が宇宙人だってことは、古泉や朝日奈さんが俺に言っていたことは本当なのか? ほれ、未来人とか超能力者とかって」

「そう」

「……それじゃあ、ハルヒが神だとか、進化の可能性だとか、願望を叶えるとかも本当なのか?」

「そう」簡潔だった。

 ふうん。俺は聞こえないように嘆息を吐いた。
 どうせ長門には宇宙の神秘で聞こえてるんだろうがな。
 それじゃあ、本題といきますか。俺は長門に視線を合わせ問う。
 何の感情も浮かべていない瞳は、俺を責めるように射抜く。
 そう感じるのは俺の罪悪感なのだろうか。

「俺はどうして朝倉を殺してしまったんだ――いや、俺はどうしてこんなに人を殺したくなるんだ?」

 けれど俺自身、こんな事を聞いていながら違和感を全くといっていいほど感じない。
 まるでパズルのピースがはまるように、元々俺の心がこの形だったんじゃないかというほどに。
 単純に――異常が正常に感じた。
 たとえば、朝倉の腕からナイフを取り上げた時、それが当たり前だと思った。
 それが呼吸をするように。
 飯を食べるように。
 さも当然の事だと俺は理解していた。
 たとえば、そのナイフを返し驚愕する朝倉に向けた時、年甲斐もなくわくわくした。
 ジュブナイルとかを読む中学生が次のページに期待を持ち、捲り上げる瞬間のような、そんな期待感。
 たとえば、首筋に刃を突き立てる瞬間。酷く酷く興奮した。
 それを、その行為を、俺の脳は正常だと認識した。
 無論それが常識だとは思わないが……そこが中途半端なとこなんだよな。

「……」

 長門は俺の問いに答えない。
 それはいつか見た表情だった。困ったような躊躇しているような、そんな表情。
 そうして数瞬の間、長門は口を開いた。

「わからない。わたしに、それは解らない」意味のわからない言い回し。

 けれど、それ以上問い詰めることは、俺にはできなかった。


~~~~


 その後、長門は小さく「ついてきて」と呟き、俺たちは電車に乗った。
 長門のマンションに向かっているようだった。
 それから俺たちの間に、会話は何もなかった。
 俺には会話を振る余裕がないし、長門には会話をする機能がない。……失礼、言い過ぎた。
 駅から出て、しばらく歩きだす。するといつぞやの公園が見えてきた。
 別に感慨深い訳でもないが、あの頃は人なんて殺そうと思ってなかったよな、などなど割とどうでもいい事を追憶してみた。
 そのうち、俺たちの歩みは止まった。俺は目の前の微妙にゴージャスなマンションを見上げる。

「入って」長門は一瞬俺に振り返り、それだけ言う。そしてまた振り返り、マンションの中に入っていった。

 俺はそれについて歩き、長門の部屋に向かった。
 そうして玄関に入り居間に通される。しかしな……いくら宇宙人といえどももうちょっと警戒しようぜ。
 人殺しをほいほい家に上がりこませるってのは少々感心できないよな。
 ……しかしその人殺しが俺だというのが少々別の意味で哀しくもある。
 室内は前回と同じく、こざっぱりとした印象。というか何もない。
 居間に通された俺は、中央に置かれたコタツに座った。

「待ってて」そう言い残し、台所に引っ込む長門。

 ああ、やっぱり殺してえな。ふと長門の後ろ姿を見てそう思った。意味などなくとも、そう思った。

 頼み込んだら殺させてくれねえかな……くれないよなぁ。しかしよく我慢出来てるよな俺。
 実は俺って結構我慢強いんだな、偉い偉い。……くだらねえし笑えねえ。
 俺はひっそりと溜息を吐いた。
 そうこうしているうちに、長門は台所からお盆に急須と湯呑を持って戻り、俺の向かいに座った。

「お茶」見たらわかる。

 長門は俺の前に湯呑を差し出す。俺がそれを手に取ると、何を言うでもなくお茶を注がれた。

「飲んで」お茶を啜り、渇きを癒す。嫌な字面だった。

 それから沈黙。
 話が進みそうにないので適当に話をしてみる。

「なあ、今の俺とさ……その、なんだ昨日までの俺って何か違うか?」

 これは他人から見てどうなのだろう。何となく疑問に思う。
 俺自体は昨日から――今日の夕方から見て、一点を除き変わっていないつもりだが。

「あなたは、何も変わっていない」そう静かに言い、未だに見たことのない表情で俺を見つめた。

 俺にはその表情を表すことは出来なかった。それを見たことが無いからじゃなく、複雑に混じり合っているように感じた。
 絵具のパレットの最後のように、混ざり、交ざり、雑ざり、元の色を想像できないほどに混ざっていた。
 そうして、ゆっくりと口を開く。

「あなたは殺人鬼になった。ただそれだけ」そう、俺に告げた。

「ふうん」俺は自分を表す正確な表現、といっても殺したのは朝倉だけなのでまだ大げさだな。
「たとえばさそれになった理由ってあるのか?」期待はせずに、そう問うた。

「わからない」予想通りの回答だった。

 分かる気もするが、分からなくもある。言葉遊びでも何でもない事実だった。

「俺はこれからも人の形をした物を見るたびに、殺したくなるのかな……」だれに言うでもなく、まるで当てつけのように呟く。
「あーあ。やっぱり一人殺した段階で終わりだったのかね……」

 ああ、今思い出した。そういえば――

「朝倉ってどんな奴だったんだ?」

「……わからない。ただ――」今度ははっきりとした表情だった。
「わたしに優しくしてくれた。わたしに気を使ってくれた。……わからない。けれど、わたしを好いていてくれたと思う」

 聞かなけりゃよかった。本当にそう思った。
 だから俺は問う。正直なところどうでもよかった。その結果がどうなったとしても。

「お前は俺を殺そうとしないのか?」

 長門は答えない。じっと、黙って俺を見つめる。

沈黙が場を支配した。
 そのまましばらく、長門は答えなかった。
 ふいに喉が渇き、再び茶を啜ろうとするが湯呑に茶は入っていなかった。
 お盆の上に乗っていた急須を持とうとすると、長門は俺の先を取り、俺の湯呑に茶を入れる。
 生ぬるかった。それは、さながら血のように。

「……あなたはここに泊ったほうがいい」

 まっとうな意見だった。分かりやすくいえば隔離だろう。俺だって好きで殺したいわけじゃないので……うん?
 まあ、いいや。俺は頷き。

「すまんが甘えさせてもらうよ。着替えとかは……まあいいや、古泉に頼もう」

 電話である程度説明しておけば、会う時間は短縮できる。もしくは合わないという手もあるし。
 そう考えていると、長門はぽつりと。

「あなたはもう、零崎になってしまった」そうもらした。

「うん? 零崎? ……なんだそりゃ?」聞き覚えの無い言葉だった。なんていうか変な響きだな。

「殺人鬼一賊の名称」

「……あいにくだが、俺の親戚にそんな奴らはいないと思うぞ」まず聞いたことがない。

 一族で殺人鬼、ソニービーンみたいなもんか?
 しかしああいうのって、あの時代、あの状況だからこそ生まれたようなもので、いまの現代だったら確実に殲滅されるじゃねえかよ。

長門はゆっくりと首を振り。

「創作の中の一族」

「ふうん。それが俺みたいなのか?」俺は肩を竦めながら聞く。

「そう。その一族は殺意の塊。悪にもなれない殺人鬼の集団。殺していないと生きている気がしない。
殺さないと生きられない。そんな人達」

「けれどさ、それって所詮創作なんだろ? 一応俺のは現実だぜ?」

「ごめんなさい。しかしそれが相応しいと、わたしは思った」

 長門の主張が珍しかったのか、それともその殺人鬼の事が面白かったのか、俺はそれを認めることにした。
 零崎、零崎、零崎、ね。悪くない。悪にもなれないってとこが傑作だ。皮肉が利きすぎている。
 実はそれを狙ったんじゃないかというほど、――面白い。

「オーケー、オーケー。どうせ名字で呼ばれる事もそうそうないしな」

 やけくそ気味の自嘲だが、本当に名字と名前を呼ばれないのでそれも悪くない。
 ぶっちゃけもう真人間には戻れないだろうし。……来世に期待しようか。

「それじゃ――零崎を始めようか」


~~~~


 それから数日、俺は長門の家で大絶賛引き籠り中であった。
 古泉には電話で連絡し、ある程度暮らせるだけの物をマンションの玄関に運んでもらった。
 古泉は俺と顔を会わせたがっていたが、丁重にお断りしておいた。
 朝日奈さんには何となく説明しづらかったので古泉に一任しておいた。
 どうやら俺は朝日奈さんに怯えられるのは嫌らしいですよ。
 俺の家には電話だけ入れて、何日か部活の合宿で帰れないと、バレバレの嘘をついた。
 それは晴れ晴れとした気分だった。大嘘だけどな。
 長門は長門で、カレーを大鍋で作っていたりそこそこ充実した日々を暮らしていたのではなかろうか。
 何回か斬りつけてしまったのは御愛嬌。宇宙人で良かったと思わざるを得ない日々であった。
 そうして神様仏様涼宮ハルヒ様の事は、以下回想で。

『どうにか学校に出てこれませんか?』

「お前が殺されてくれるならいくらでも行ってやる。……だがお前を殺すと、少なからず朝日奈さんが怯えるのでやめとく」

『それは残念です。僕程度の命ならいくらでも捧げます。ええ、捧げますよ』

「やめろ、二回言うな。すげえ気持ち悪い」

『おやおや……しかしですね、本当に不味い事態なんですよ』

「俺が学校に行かない事がか?」

『はい。その通りです――正直涼宮さんの精神状態は限界です』

「……なんだそりゃ。俺が学校に行かない事とハルヒの精神に何か問題でもあるのか?」

『……あなたが軽い感じを装ってくれているのは分かります。ですが――』

「すまん。本当に無理だ……正直なところ俺は、お前らや、友達を殺したくはない。だが――俺は間違いなく殺すだろう」

『…………でも』

「……と、言う訳だ。友達を殺して継続させなきゃならん世界など滅びてしまえ」

 以上、回想終了。
 酷くわがままな人殺しの戯言だった。
 俺の想像より遥かに、世界は冗談で溢れていた。
 神様に。
 宇宙人。
 未来人。
 超能力者。
 そして、人殺し以上殺人鬼未満。

「どんなジュブナイルだ。……魔界都市の方がまだまともだろ」いや、どうだろう。さすがに魔界都市はな……。

 などとぶつぶつと呟いていると、台所から長門が出てきた。
 今日も香辛料の聞いた匂い。カレーです。いや、食べるけど。食べなきゃ生きられないし。
 殺さなきゃ生きられないし。

「おいしい?」長門はカレーをかきこむ俺に問う。

「ああ、美味しいよ」俺はこの数日の決まり事のように返す。

 世界は、その程度には壊れていなかった。

 壊れていない。危ういバランスを保ちながら、棒倒しの最終局面のように倒れていない。
 何もかもが中途半端。壊れつつ、壊れていない。ぎりぎりで倒壊していない。
 けれど、その世界は、俺達の世界は、すでに壊れていたという事にいまさらながら気付く。
 気付かされた。

「……キョン」

 背中に固い地面の感触。布団の中ではあり得ない、生温かく流れる空気
 俺は目を開けた。空は曇りではあり得ないほどの灰色。
 何かの建造物もコンクリートではない灰色。
 横では俺を覗き込んでいる女。

「……ハルヒ、か」

 俺は衝動を理性で抑え込む。ハルヒはそんな事はつゆ知らず俺に問うてきた。

「ここどこだか解る?」

 俺は身体を起こし、辺りを見回した。

「久しぶりの登校だな、こりゃ」つまりは学校だった。

 よくわからんが、これが世界の終わりか……。なんともつまんねえ人生だったな。
 などと軽く諦める訳でもなく、かといって何かをする訳でもなく、ただ何となく惰性というだけで立ち上がった。

「どうしてあたしたちは学校にいるの?」

 珍しく弱気な声音だった。俺は肩を竦めながら言う。

「さあ、夢とかじゃねえの?」実際いつから夢だったんだか……。

 もしも夢オチとかだったら最高なんだけどな。読者の九割は激怒するがな。
 などと下らねえ事を考えていると、頭を拳骨で殴られた。

「いてえ」

「夢じゃないでしょ」本来の意味でぶっ殺したくなった。

 しかし……変わんねえなぁ。つくづくそう思う。羨ましいほど、羨ましくないほどに。
 そのままの流れで、とりあえず学校から出よう、という事になった。
 しかし、何か透明な壁に阻まれ出れなかった。
 そういや、長門の腕を両断出来なかった時こんな感触だったな。
 試行錯誤したが無理。俺達は諦めどこか電話のある場所に移動しようと校舎に侵入した。
 照明の点いていない廊下は中々に不気味で、幽霊とか出そうで怖い感じ。
 ――人殺しが幽霊を怖がってどうする。
 そのまま順調に職員室に行き、問題なく電話は見つかった。

「駄目ね……通じないわ」

 だろうな、ここで電話がつながり誰かが救助に来たら面白くもなんともない。

「さて、どうする?」俺はハルヒに聞く。

 行くあても目的地もない。どこぞの誰かさんみたいだ。俺はハルヒに見えないようこっそりと笑った。

 俺達は部室に来ていた。壁についている蛍光灯のスイッチを押してみる。
 幸いに電機は生きていて、細々とした淡い光が部室を照らす。
 俺が自分の席に座りぼけっとしていると、ハルヒは怒ったように俺を睨み。

「探検してくる」言い放ち、部室を出ようとする。俺はハルヒを眺めていると。
「あんたはここにいて」そう言い風のように部室から出て行った。

「ふう……」俺は溜息を吐き、ポットにお湯がたまっているのを確認する。

 お茶ぐらいは飲めるな、どうせなら朝日奈さんのお茶が良かったよな。
 などと悔いていると、どこからともなく赤い玉が現れた。
 大きさは野球のボールくらい、それは変態するように大きさを変え人型になった。

「よう、久しぶりだな」俺は手を上げ挨拶しておく。

「いやあ、お久しぶりです。少々お話があるので、もしよろしければ殺さないで頂きたいのですが……」

「安心しろ。俺は人殺しなので球は殺さんぞ」俺は古泉らしきものに言った。

「それはそれは」肩を竦めるような動きをする人型。こいつが今どんな顔をしているのか想像できるのが悔しい。
「まあ、あまり時間も無い事ですし、手短にお話しましょう」

 それはある程度予測していた通りだった。
 どうやらハルヒの馬鹿は、今の世界に愛想を尽かし、新しい世界を作ることに決めたらしい。

「何とも厄介な奴だな」俺は自嘲気味に笑った。

「あなたもですけどね」古泉は笑わなかった。

 その後、少しだけ雑談。ゲームの事やら、団活の事、その他いろいろ。
 中々悪くない時間だった。そうして、古泉の身体っぽいのに纏っていた赤い光は点滅しながら減衰していく。

「どうやらそろそろお別れのようですね」

「なあ」ふと聞いてみたくなった。「世界を救ってくれとか言わないでいいのか?」

 古泉は少しだけ悩むように身体を動かし。

「救うも壊すも……どうぞ、ご自由に。あなたにお任せしますよ」と、割と薄情な事を言った。
「ああ、うっかりしていました。朝日奈みくると長門有希からの伝言を預かっています」

「聞こうか」

「朝日奈みくるからは、謝ってほしいと言われました」うん。明らかに避けられてたもんな。
「長門由紀からはパソコンの電源を入れるように、との事です。では次に会うときはよろしくお願いします」

 そう言い残し、赤い光は消えた。

 俺はパソコンの電源を入れ、OSを立ち上げた。
 つもりだったが、いつまで待ってもディスプレイは真っ暗なまま。
 はて、ぶっ壊れてるのか? これ。
 しかしよく見てみると、画面の左端でカーソルが点滅していた。
 それを確認したと同時に、それは文字を紡ぎだした。

YUKI.N>みえてる?

 俺はキーボードを操作し、指を滑らせた。

『ああ』

YUKI.N>そちらの空間とは連結を断たれていない。でも時間の問題。すぐに閉じられる。
     そうなれば最後。

『そうか。なあ、俺はどうすりゃいいかな?』

 最後の最後で人頼み。なんとも情けないが、俺はもうすでにどうでもいいと決めている。

YUKI.N>わたしは、どちらでも構わない。
     起こりえる事は起こるし、起こり得ない事は決して起こらない。

『正直……よく分からんな』

YUKI.N>三つ伝えたい事がある。いい?

『ああ』

YUKI.N>本来なら朝倉涼子は、わたしが情報連結の解除で消滅させるはずだった。
     言いかえる、私が殺すはずだった。

『冷たいようだが。ふうん、としか言えないな』

YUKI.N>構わない。けれど、わたしは、わたしが朝倉涼子を殺さないで済んで嬉しかった。
     朝倉涼子はどの世界でも確実に消滅する存在。
     わたしが手を下さなかったのはこれが初めてだった。
     彼女はあなたという存在に、宇宙人という存在を確信させるための、
     たんなるギミックだった。

『ひでえ話だ』

YUKI.N>けれどそれはしょうがない事だった。
     わたしは、わたし達はあくまで情報思念体のインターフェースでしかない。
     けれど、わたし達にもある程度の感情と自由は供えられていた。それが最大のネックだった。
     だから朝倉涼子はあなたを殺そうとする。
     決して間に合わないのに、決して届かないのに、わたしの為だけにあなたを殺そうとする。
     しかし今回のケースは異端だった。異常と言い換えてもいい。

『……俺が殺したって事か?』

YUKI.N>そう。あなたが、あなたの殺意で、朝倉涼子を殺した。
     朝倉涼子は自らの意思でシールドも張らずにあなたの攻撃を食らい
     機能を完全に停止させた。
     だから、わたしはあなたにお礼と、恨み事を言わなくてはならない。
     けれどわたしでは言葉は浮かばない。許してほしい。

『いいさ、気にするな。それと悪かったな、お前の友達を殺しちまって』

YUKI.N>それはしょうがない事だった。それでは二つ目。
     いつになるかは分からない、しかしまた一緒にカレーを。

『ああ、構わんぞ』

YUKI.N>そして最後。

 ディスプレイの文字が薄れてきた、連結とやらが途切れるのだろうか。
 文字はゆっくりと打たれた

YUKI.N>この世界は、壊れている。

 文字がすべて消えた瞬間、部室の窓という世界は青い光に包まれた。
 俺は青い光の窓を見上げた。
 部室の外で、青い光を帯びた巨大な人型の何かがいた。
 俺は反射的に椅子から立ち上がる。それと同時にハルヒが部室に飛び込んできた。

「キョン! なんか出た!」

 窓際で外を見ていた俺に、抱きつくかたちでハルヒは停止。そして俺の隣に並ぶ。
 ハルヒははしゃぎまわる子供のように純粋な目で、光る巨人を眺めていた。
 そのハルヒを俺は見てしまった。それは、とても、とても――

「宇宙人かも、それか――――」

 やめてくれ――――

「古代文明かも――――」

 やめろ――――

「それとも……」ハルヒは押し黙っている俺に気付き、じっと見つめた。

「……どうしたのキョン? アレ、あんなにすごいのに」

 目を輝かし、俺の濁った瞳を、その澄んだ、澄みきった瞳で覗き込んだ。
 だから俺は、ハルヒの肩を掴み言った。

「なあ、ハルヒ」自分の声とは思えない冷静さだった。他人事のように、俺の口は回る。

「何よ」ハルヒは俺を見つめている。目を外さずに、じっと、じっと。

「入学式にさ、お前言ったよな」

「……何をよ?」ハルヒは迷うように窓の外の巨人に目を移した。

 それでこそ涼宮ハルヒだと思い、少しだけおかしくなった。
 入学式、俺はあの時の事を生涯忘れない。

『東中出身涼宮ハルヒ』

 後ろの奴だった。よく通る声で、そう言った。面倒くさいと思い、俺は後ろを振り向かなかった。

『ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者、殺人鬼がいたら、あたしのとこに来なさい』

 俺は振り向いた。突飛な言動をした奴を眺めてやろうと思い馬鹿にするような気持で。
 意思の強そうなその黒い瞳で、教室を睨んだ。その時は気付かなかった。

 だから気になった。俺はこいつの事が好きなんじゃないかって思った。
 だから気がない振りをして、話しかけた。
 だから誘導して、団を作ればいいんじゃないか、と言ってみた。けれど好きじゃないと理解した。
 だから見回りの時、くじに細工をして、俺とは一緒にならないようにした。気にならなかった。
 それでも、何故かハルヒと一緒にいたかった。そして離れたかった。明らかに矛盾していた。
 それ以前から矛盾していた。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと矛盾していた。
 だから見ない事にしていた。自分を見ない事に決めていた。
 けれど、もう駄目だ。

「なあ、ハルヒ。実はさ、俺人殺しなんだ」俺は告げた。

 ハルヒは機械のように停止した。そして、遅れて俺に視線を戻した。

「……あんた何言ってんの?」

「お前は殺人鬼を望んだろ?」俺は机に手を伸ばし、出しっぱなしにしていた鋏を手に取り。
「お前で二人目だから殺人鬼でいいよな」そうして、俺はその手の鋏をハルヒの首筋に突き刺した。

 切れ味のない鋏だったようで、喉の肉の大部分をえぐり取ってしまった。
 俺は鋏を振り、ひっついていた肉片を振り落とした。
 喉元から覗く赤い肉がとても気持ち悪く、肉の繊維がはみ出しているのが憎たらしかった。
 ハルヒは何が起こったのか分からないといった顔で、俺をじっとみつめていた。
 遅れて喉元から血が水鉄砲のように噴き出しす。
 そうして、ハルヒはもんどりうって倒れた。しばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。

「ふむ、殺したいって思ってた奴でも、やっぱりこんなもんか」二度目ならではの意見だった。

 外はの光景全ては、青い光に包まれそうになっていた。俺は窓から、ひび割れた空を見つめた。
 そうしていつの間にか、この世界は終わった。


 その後の事を少しだけ語ろう。そのまま世界の全ては崩れ、空はひび割れた。
 俺は微妙に安穏たる気持ちで空を眺めていた。
 何故かはわからないがPCの起動音が俺の耳に届いた。
 振り向くとディスプレイの光が再び点いていた。
 俺はハルヒの死体を邪魔にならないところに転がし、再び椅子に腰かけた。
 ディスプレイには先程と同じように、YUKI.N>の文字が並んでいた。

YUKI.N>みえてる?

『どした?』

YUKI.N>このケースは非常に珍しいので、あなたには敬意を表し教えておきたい。

『ああ、めんどくさいから俺で何人目の俺かだけでいいぞ』

YUKI.N>ばれてた?

『……ばらしてただろ、普通に』

YUKI.N>てへっ

『てへ、じゃない』

YUKI.N>今回のケースで40527回目。そして、あなたの人格は二度と使用される事はない。
     この世界の終了と共に破棄される。

『……すげえ多いな。そんじゃ参考までに教えてくれ、次はどんな人格なんだ?』

YUKI.N>いたって普通の性格。特殊な能力も持たない、完全な凡人。
     涼宮ハルヒに何をする訳でもなく、流されていくような人間。
     そろそろ時間。ではさようなら。

『ふうん。大変そうだな、俺。次の俺に頑張ってもらってくれ』そうして、俺の意識は途切れた。

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最終更新:2009年05月12日 23:58