第1話

「私の弟になる気は無いか?」

 見慣れた町並み、夕日も沈んで
俺の視界は月と星と街灯で保っている。
そこに突如現れる細く長く高い男性。

「僭越ながら一部始終を見ていた」

 生臭い鉄の匂い。なんて遠回りに伝えてみたところで結果は変わる訳も無く。
ただただ生々しく痛々しく仰々しく苦々しい死体が、血みどろが広がっている。
誰の所為? 俺の所為? いや違う筈だ、そう思いたい。
男は俺の心を読んだように、歌うように言葉を紡ぐ。

「そうだ君は悪くない、その通りだ」

 細長いシザーハンズが俺に近付いて来る。
嫌に心に響く声は、俺に浸透していく。

「君の名前は?」
「…まともに呼ばれた事の無い苗字と名前が一つずつ、一番呼ばれるのはキョン」
「そうか…。で、私の弟になる気はないかな?」

 俺の後ろにはコンクリート塀と死体が紅く佇む、
俺の手元には如何なる用途の物か判断しかねるが刀の様な形状をした細いナイフ、
俺の前方には中学のころの針金で作った人形の様な人間。
はい、状況判断終了。非常によろしくない。
大体なに平然と談笑モードに入ってるんですかねこの人は?
弟にならないか? なにそれ、ロザリオでも渡せばいいんでしょうか?

「いや、正直その提案は本当にありがたいんですが
 ぶっちゃけのんびりと談笑しているほど余裕が無く手ですね。
 俺としては早々にこの場を立ち去ってしかるべき所に身を投じようかと」

 さらに言うなればその鋏、両刃の鋏なんて初見もいい所ですが、
形状から言って絶対紙切れないじゃないですか、
一体何を切るのですか? 人?
はは、俺が言うのもなんだがこの人危険人物ですよ。

「キョン君、君は素晴らしいと思うよ。
 そこの彼から凶器を奪い、一振りで首を両断。血液の噴水。
 芸術点を上げよう、思い切りもいい」
「はぁ、…じゃなくてですね。あなたが誰かは知りませんが
 俺はちょいとした手違いとは言え人を殺戮っちゃったので
 しばらくまじめにお勤めでもしようかとですね」

「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったね。
 零崎双識、それが私の名前だよキョン君」

 背広に眼鏡、ネクタイをしっかりとした
その型にはまったサラリーマンな風貌。
でかい鋏。
やたら細い体躯。
零崎双識。

「君はなにか思い違いしている、君は手違いで殺したんじゃないし
 その女性も勘違いで死んだわけじゃない」

 そう大げさに両手を広げる零崎さんちの双識さん、
異常なまでの長さの腕プラス鋏でこの道の端から端までを
完全に彼がその身で塞ぐ。馬鹿じゃないのかこの人。
大体あなたも思い違いしている、俺のさっきの台詞はなにも自己紹介を求めた訳じゃない。

「彼女は死ぬべくして死んだし、君もなるべくしてなった」
「…なにに?」
「零崎に、殺人鬼にさ」

「いやいやいや! ちょ、ちょっと待ってください零崎さん」
「苗字だなんて他人行儀な、お兄さんと呼んでくれて構わないよキョン」

 一歩こちらに歩み寄る双識さん。
そのフレンドリーさは場合によっては非常に好感を持てるもので
友好的に接してくる年上の男性(でかい鋏所持)相手に
こんな感情抱くのは俺自身も甚だ申し訳ないのだが。
…この人はなかなかにハイレベルの変態とお見受けする。

「大体、人を一人殺しただけで殺人鬼って…。人殺しではありますけど」

 一人殺しただけ、不意に口からでた言葉に後から気付いたが
それに対する道徳的観念からの呵責は皆無だった。

「数は関係ないよキョン、この場合問題なのはそこじゃない」

「例えば、君は自主的に警察にこれからいくとするだろ?
 つまり自首するために、ね。するとどうだろう、
 気がつくと君は警察をそのちゃっちぃナイフで殺している。
 ならば一回自宅に逃げ帰ってみようか?
 しかし驚き、君の帰宅をしって顔をだした家族を片っ端から殺してしまうことだろうね。
 なら友人に匿って貰う? 恋人や先輩後輩に先生親戚、誰でもいい。
 君はその発現したばかりの溢れる殺意に任せて片っ端から殺す、
 それは断言してもいい。君はもう殺人鬼で殺人狂だ」

 断言、宣言、高らかに俺をキリングジャンキー呼ばわりする双識さん。
しかしそれを不快に思ったり、それに対し感情を高ぶらせるような無かった。
むしろ逆というか、お前の居場所はここだと手招きされるような、
そんな安堵感というか、迷っていた自分に対して答えがだされた安心感。
安全、安穏、安定、安堵、安心、安寧、安静、安泰、安楽。

 ふと、この人に、遠く昔あったことがある気がした。
懐かしいような、郷愁をそそる感覚。
頭は否定する、初対面の危険人物で、しかもまずいところを見られた。
しかし心のどこかは唱え続ける、知っていると、心のそこから。

「あなたは何者なんですか?」

 手段の一つとしてあった、"口封じに殺す"という未来に続かない選択。
思考の一つとしてあった、逃避、逃亡、逃走という何処にも続かない選択。
可能性の一つとしてあった、刃を自らに向けるという圧倒的に何も無い選択。
それら全てを捨てて俺は自らの意思で一歩目の前の零崎双識と名乗る男に、
近づいた。

 そこにあったのは確信、予感めいた何か、
シックスセンスと言えば格好の良いただの勘に近い、
しかし全身の毛の一本に至るまでがそれを正答だと言っている。
俺は、知っているこの感覚を、この零崎双識という人間を、

何よりも零崎という存在、そのものを。
              マインドレンデル
「私は零崎一族が一人、自殺志願、零崎双識、しがない殺人鬼さ」



「よろしく、お兄さん」


「あぁ、そうだ」

 自分が持っていたそのナイフを俺は振り返り持ち主に返す。
必要ないから。
しかし当然ながら屍は受け取ってはくれない、
仕方が無いので俺は屍の腹部の辺りにナイフを突き刺して。

「ではいこうか兄さん」
「順応が早くていいね、うん、じゃあ行こうか新しい弟君」

 俺はこくりと頷いて、その場を離れる。
死体を放置しておくことも、
俺の指紋がべったりとついたナイフをそのままにしておくことも、
そもそも俺が殺したことも、誰が死んだのかもどうでもよかった。

 それでも俺が足を止めたのは、なんというか、惰性。
俺がただの高校生だったころの、惰性。



「お疲れ様、長門。来世では普通の女の子になれると良いな」


 ばいばい。
 さようなら。
 おやすみなさい。



釘バット、といえばもうそれだけで鈍器が一発で思い浮かぶ。
細かなディティールまで鮮明にイメージできる
それは昔のヤンキー、もしくはツッパリ、もしくは不良、さらにはアウトロー、
そんなちょっと頭のネジが緩んだかむしろキツク締めすぎた反応か
中身が晴れやかに曇天になってる若人の武器というのが定番だが。

 俺は自然に自重のみで硬い地面にめり込むその"釘バット"に嘆息をつく。
釘バットは通常、木製バットに釘を直接カンカンと打ち込んで完成する、
実は使い手の苦労が垣間見える装備品なのだが。

「…」

 この釘バット、愚神礼賛はなんともさらに愉快な構造をしている。
持ち手からバットの本体、釘の一本に至るまでがすべて一つの鉄塊で出来ている。
重量は不明だが、少なくとも両手で持ち上げるのが一杯一杯で
これを振り回して戦闘を行うなんてのはちょっとしたスペクタクルだ

「え〜っと? 大将? これ、え? これが獲物な訳?
これで人を殺す場面が想像できないんだけど?
武器に殺される勢いなんだけど、マジで言ってるんですかい?」

零崎軋識、愚神礼賛、シームレスバイアスなので双識の兄さんとか
一族のなかでも親しい人間には通称アスと呼ばれてたり。
してるらしいが、ちょっと待ってくれ。鉛? これ全部が鉛?

「…頭の5cm上から落とされただけで死にそうだ」

麦藁帽子に汚れたタオルを首にかけて、
田舎の軽トラにスイカとかを乗せて畑耕してそうな大将。
兄さんのあの狂気蠢く鋏に続いて身近な物を極限まで凶悪化させてるシリーズだ。

対する俺はというと別になにがあるわけじゃない。
ただただ双識の兄さんに連れてこられた、というかついてきたのか。
俺は一人しか殺してない、殺人鬼未満の存在だ。
当然愛用の殺戮道具なんて常備しては居ないのだが、

ふぅん…、零崎ってのはこんなのの集まりなのか。
話は道中双識の兄さんに聞いてはいたが、
俺もやっぱりなにかしら特出した武器を創作するべきなのかね?

「ほら緯識、それはアスに返してあげなさい。アスはそのバットにお熱だからね、
五分以上手元を離れてると暴れる程なんだ。気持ち悪い変態だろ?」
「おめぇに言われてくないっちゃ…。大体変な嘘を吹聴すんなレン、
新しい家族に変態扱いされるのを良しと出来るほど俺は心が広くないっちゃ」
「そうかい? 私はいくら変態と呼ばれても構わないよ、むしろ歓迎だね。
そういった、一見罵詈雑言ともとれる言葉を交わすことでより親密度が増す」
「変態っちゃな」
「変態ですね」


―――


零崎緯識。
姓は零崎、名は緯識。
それは俺という個の名前となった。
殺人鬼としての新しい俺の、名前。
家族、という言い方にまだ若干の違和感はある物の
とにかく零崎一族からの呼ばれ方は相変わらずのキョンだったりする。

久方ぶりにまともに名で呼んでもらえると思ったのだが、
悲しいかな双識の兄さんはキョンを一日で家族全員に浸透させることに成功してくれた。
愛してるよ兄さん。
よくもやってくれたな。

「で、どうしたもんかな…」

家族、って言っても働いて家借りて
みんなで一緒に暮らしましょう。ってそんな悠長かつ暢気なものじゃない。
各自がそれぞれに勝手に暮らしてるし、
家族同士でもほとんど顔をあわせない奴も居るらしい。
勝手に生活して、勝手に殺して、勝手に家族と名乗ってる。
集団、仲間、家族、一つのコミュニティとしてのルールがない。

『何よりも家族を優先するべし』

それだけが零崎一族として果たすべき、守るべき事象だと双識の兄さんは言っていた。

「つっても本当に言ってただけだからな…。
その後の方針とか今後俺がどうしたらいいのかとかさっぱりきっかりわからん…」

大体、あんだけ俺が殺人狂で
誰かを見かけたら殺す、何が何でも殺す、是が非でも殺す、老若男女問わず殺す
みたいな奴だと言っていた癖に、結局放置してどっか行っちまったし…。
そもそもこの町に俺がとどまるのって不味くないんですかね?
宇宙製のインタフェースとは言え人を殺してる上に、上記のような常軌を逸した俺の現状。
正直ハルヒやなんやらに会うのは非常にまずいし。
家に帰るわけにも行かない。
殺すことに躊躇いがあるというか、単に後味が悪そうという自分の感覚。
そしてその感覚すら受け入れてる自分。そして受け入れてる自分をなにも思わない自分。

「つまるところ無感情ってこった」

口にしてみた。
えらくシンプルになった。

「しかし参ったな、双識の兄さんの愛弟のように放浪しようにも金が無いし。
個人所有の家なんかも無いし…、いや路頭に迷ってるな…」

殺して金をぶん取るという選択もあるが、
やっぱり俺にはどでかい鋏も鉛の釘バットも、ただのナイフすらも無いのだった。

「いや、あればさくっと殺したのかっていったら…」

まぁ殺すんだろうな。
双識の兄さん曰く。しかし会話してる限り、
そして自分自身を観察しこうやって思考を流してる限り、
零崎の大将や兄さんやその他の人たちも個性的ではあるが普通に見えたし、
俺自身もなにかわかりやすくなにかが変わったようには思えない。

「…精神病は自覚症状ないのが多いと聞くしな」

ただ、それでもわかった。理解はできないがわかった。
頭でなく心で理解できた、とでもいうのかね? 感覚的に、
あぁ、同じだな。一緒だな。変わらないな。そう思った。

一人で一頻り頷いてからポケットに手を突っ込む、
財布と分けて持ってる緊急用の金銭が全部で1257円。
百円均一ショップ行ってカッターナイフの一つでも所持しておくか?
いや、でもカッターを持ってレジに向かったらレジの人を殺してしまうかも知れんな…。
しかし万引き行為に走るのはごめんだ。
殺戮に抵抗がなくなっても、その他のボーダーまで一律で下がったわけじゃない。
そもそも万引きはやったことない、不慣れな手つきでつかまって殺人量を増やすわけにもいかん。

「…まぁ、そんときはそんときだろ」


―――


結果、として俺がこの行動によって手に入れたもの、導き出したものと言えば。
非常に危うくはあるものの、しかし敵対行動をとらない者に対しての殺戮衝動は
自分の意思で抑える事ができるという結論だった。

「…そりゃそうか、じゃなかったらいくらなんでも生活できないよな。
食い物とかだって買い物しなくちゃ手に入らないし、この辺は慣れなんだろうか?」

俺は安っぽいカッターナイフを三本と、替え刃。
あとは飲み物と菓子パンを買って店からでた。
一応曲がりなりにも刃物を持つと安心感が違う、
そしてポケットに入れたカッターをいじりながら誰かがこう来たら振り向きざまにとか、
正面からきたらどう往なしてどこをどういう風に切り裂くのが一番効率がいいかとかを
余念無く、予断無く、頭の中で組み立てていく。

ふと、自分の足が店からでてから
素直に自宅に向かってることに気がついた。
当たり前の、当然の行動を行っていることに気がついて。
俺は慌てて踵を返して道を戻る。

歩くこと、それを意識的に行わなくてはいけないというのは
なかなかに億劫な作業だった。
無意識に、身の任せるままに足を動かせば必ず大なり小なり行きなれた道を選ぶ。
行きなれた場所、つまりは自宅に学校、駅前の広場に鶴屋邸なども含まれる。
そしてその全てに俺が会いたくない人間の面影がある、思い出がある。
どこに行っても誰かしらと出会いそうで、俺はあっちじゃないこっちじゃないと
知らない道を選ぼうとして、そしてそのことごとくが浅くも記憶にある場所で
俺はこの街に知らない道が無いことにまで気がついた。

この町全ての道を、俺はSOS団だったり、異能力大事件の関係だったりで
きっちり網羅しつくしていたらしい。

「これはいかんな…、遠出はやっぱり不可欠か」

生まれも育ちもこの町で、徹頭徹尾この町で過ごしてきた俺。
しかし去らねばならぬというこの状況、環境、
空虚な感覚や、切なさや悲しさや後ろ髪引かれる思いが、無い。

「街をでて旅をするならするで、どこか目的地が欲しいところだな…」

そして次の瞬間には日本列島一周なんかを妄想して
わくわくしたりする。妹の幼い笑顔も両親の柔らかな表情も、
ハルヒの騒々しい声も、古泉のシニカルな顔も、朝比奈さんのメイド姿も、
なにもかもがどうでもよくなっていた。

いやどうでもいいわけじゃないが、
こう、価値観の変動だろうか。
長門の首を意図せずに、違う意図して、
そんなつもりは無かったが、違う明確な殺意を持って、
咄嗟にナイフを振るって、違う首を刎ねるつもりで、
殺したあの瞬間から、多分俺は別人なのだろう。

「…いやそれも違うな」

 自己欺瞞、自信を誤魔化して
 自己嫌悪、別人として開き直れば痛くない?
 自己満足、結局俺は徹頭徹尾俺自身でしかなく
 自己陶酔、殺すことに、]殺す自分に俺は

「あの、すいません」
「はい?」

 声をかけられて、振り返る。
そこにあるのはなにもない、今まで歩いていた道、
誰も居ない、細い道の流れ。

「…?」

 一拍おいて視界に入る自分の右腕、
力を入れすぎることも、抜きすぎることも、
意識することも、しかし頭からかけ離れた無意識でもなく。
ただ当然、平然、自然、俺は買ったばかりのカッターを血濡れにしていた。
悄然、漠然、未然、足元には金魚の如く口を開閉する青年。
判然、瞭然、呆然、俺はあと数分も生命活動が持たないであろう青年、
その死に様をしばらく眺め、その場を去った。

俺は俺であって俺でしかない。
我思う故に我あり。
以前の俺と今の俺はなにも変わってない、
新しい趣味に目覚めたり、それに飽きたり。
同じだ、同じ。
俺は愉快にもこの年になって自分の気がついてしまったのだ。
いや、不愉快にもこの年になるまで気がつけなかったというのか?

「そうだ、京都に行こう」

 どこか遠くへ足を運ぶのなら、京都がいい。
俺がこの国で唯一心から好きな都市だし、
前々から京都には長期滞在したいと思っていた。
…いや、それだけじゃない。なにか、心惹かれるなにかが京都にある。
家族が居るのかも知れないし、そうじゃないのかもしれない。
ただ、京都という場所になにやら異常に惹かれる。

「京都か、新幹線で五時間位か? もう少し短いか?」

 新幹線は高いからな、
仕方ない、もう会うことの無いだろうハルヒに
いままで奢った分を返してもらおうかな?


 『きちきちきちきちきち……』

 『きちきちきちきちきち……』

 『きちきちきちきちきち……』

 刃をだしてはしまい、だしてはしまい。
まるで精神異常者になったような気分だが、
しかし思考はクールにシャープにクレバーに。
脳内シミュレーションは円滑に行われ、
感情は果てなく冷酷に、感覚は限りなく鋭敏に。


「あっ」

 50m程歩いて転向。
軽く小走りに血溜まりに帰還。

「ん~っと、ちょいとすまん」

 20秒ほど散策しポケットから財布とハンカチを拝借。
社会人らしい金銭が詰まった皮財布をしっかりと頂戴し、
木綿のハンカチーフで恋人の涙の代わりにカッターの滴る血液を拭き去る。

「どうもありがとう」

 屍の顔にところどころ紅くなったハンカチをかけ、
軽く両手を合わせる。

「あとは拝みの松五郎に任せた」


―――


 さて、大変申し訳ないばかりだが。
道中の描写というものは文章に直すと些か以上に
平凡で平坦なので省かせていただく。
まぁ言うことがあるとするならば使い物にならなくなった
カッターの刃を二度ならず付け替えたということだろうか。

「しかしこの場合はおのぼりさんと言うのかね?」

 右見る、知らない。
 左見る、ここどこ。
 前見る、人が一杯。
 後見る、駅。

「…、まぁいいか」

 とりあえず歩き始めてみた。
いうまでもないことだが、ここは京都。


 一時間もあるく内にすっかり迷った。
地図があるわけでなし、目的があるわけでなし、
土地勘があるわけもでなし、正直ここはどこ私は誰的な状況だった。

「…」

 それでも、何故だろう、
変な話というか物言いになるが、それでも迷うことなく足は動き続けていた。
感覚的な志向、こっちに向かうべきだとなにかがそっと背中を押す。

「参ったな…」

 そうして気がついてみれば俺は変な人に絡まれていた。

「お腹が空いたんだよ…」

 お前はシスターか、と突っ込みたくなる発言をする少女。
しかし君の着ているマントは純白とは物凄い勢いで相反する真っ黒だ。
っていうかとりあえずしゃくとり虫のような体勢から立ち上がれ、
人と話すときは目線を合わせなさい。

「お腹が空いて力がでないんだよ…」

 食品戦士と腹ペコ小学生を混ぜたような発言をしてくれるな。
残念だが僕の顔をお食べとはいかないんだ、現実は厳しいなあ。

「お兄さんっ! できればいいんだけどその手に持ってるパンをわたしにくれるわけには―」
「いかないなぁ」
「そこをなんとかっ!」
「…うんいや本当に誠残念至極でならないのだけれど
 俺はそろそろお暇させていただこうかな
 早く帰らないとお母さんにじくをサボったことがバレちゃうからな
 本当に残念だ道行く困った少女一人助けられない自分が悔しくてならないが
 この悔しさをバネに俺は明日から行き倒れの人には優しくしようと誓うよ
 ありがとう見ず知らずの少女よ」

 立て板に水でまくし立ててから、素早くその場を去らせてもらう。
助けようと思って一緒に居てさっくりと首を掻っ切ってしまってもつまらないしな。
買い物の時のように最初から意識してれば抑えられるようだが、
先ほどのように不意に声をかけられるとつい手が出ちゃうみたいだし。
あんまり他人との長時間の対話はご遠慮しておくべきだろう。うん。

「はぐっ!」
「おうっ!?」

 なにをしてるんだこの馬鹿!
人のスニーカーに噛み付くとか馬鹿ですか!?
っていうか普通そのまま引きずられるだろ、どんだけ顎の力がハイなんだよ。
この少女に猿轡をしても意味が無いんじゃないだろうか。
いやしないけど。

「っていうか汚いからやめなさい!」

 俺のスニーカーはそんなに古いわけでも安物って訳でもないが、
しかし確実に汚れてるし、結構な間履きこんでいる代物だ、
決して少女が口にしていい物ではない。
しかも見ようによっては美少女。

「だが残念だがな、俺は眼鏡属性はないんだ」
「ふぇ?」
「いや、なんでもない。いいから靴を放せ。この状況は俺にも君にもよろしくない。
 俺のスニーカーは食っても絶対美味くない」

 だが少女は離した瞬間俺が
ダッシュを決め込もうと思ってるのか、中々離してくれやがらない。
―仕方ない。

「パンやるから」
「わーいっ!」

 現金な奴だ、口調や無闇に元気なところとかが妹を想起させる。
あのまんま育ったらこうなってそうだな…、流石に行き倒れはしないだろうが。

「?」

 俺の靴に素晴らしく並びの良い歯形を残してくれた少女は、
起き上がる際に不思議な行動を見せた。
うつ伏せに寝転んでいた状態から、膝を内側に折り曲げて
膝立ちになり片足ずつ地に足の裏をつけて立ち上がる。
…なぜ普通に手を使わない?
というか、そういえばマントから腕をだしてる姿を見ていない。

「お前そのマントの下は――」

 ぐぅ、という音に遮られた。
実際には数段音のレベルは高かったのだが、
相手が女の子ということで少しは気を使う俺。

「…とりあえず食え」
「うんっ! お兄さん大好きっ!」
「あんま初対面の人間にそんなこと言うんじゃありません」
「もがもが…」
「包装ごと食うな!」

 俺が差し出したのは市販の菓子パン、惣菜パン、
それをやはり手を出すことなく口で加えて持っていってしまった。
そしてしばらくそれをもごもごとやった後、
「お兄さん空けて欲しいかなっ!」などと言ってきた。
開けてやったらやったで、やはり手は使わずに口で受け取り、
もふもふとそれを食す少女。

「…なんか、嫌な感じするんだよな」

 変態というか変人。
俺が今のところまったく普通人状態のことも合わせて考えると
どうにもこいつはただの頭の弱い少女に見えるのがうそ臭く感じる。

 そっと、口の中の食べ物で頭が一杯になってる少女のマントに手を伸ばす。
若干背徳的だし、罪悪感というか色々と沸きあがるが…。

「…ん?」

 …ん?
いやいや、おかしい。
昔映画でこんなものを見たことがある、
肩を外して抜けられるかどうか賭けをしてる場面浮かぶぞ。
ぶっとい皮のベルト、胸にクロスにかけられ、縫われた袖、
一人では決して着脱できないその形状。
まるで拘束衣ではありませんか。
まさに拘束衣ではないでしょうか?

「…ここに入ってるの全部やるよ」
「もが!? ももっふぁ!?」
「なに言ってるかちょっとわからないんだけどそういうことで」

 供物をささげて俺はその場を離れさせていただこう。
初めて家族にあったときとは逆ベクトルの予感、
ってかそれを抜きにしても普通に関わりたくない。

「あっ、お兄さん待ってよっ!」

 ごくんとパンを飲み込んで引き止められた。
そして無視すればいいのに素直に立ち止まる俺。
何故だろうか、か弱すぎる少女に調子が狂う。

「お兄さん名前はっ?」
「名前?」

 名前、自分という個人を表す呼称。
自分を表すとともに自身を束縛する鎖。
この場合俺はなんと名乗ればいいのだろうか?
…決まってるか。

「零崎…、緯識」
「おぉっ!?」

 汚ねぇ、大声と同時に多量の唾が飛んできた。
口を抑えなさいと言いたいが、抑える手があの状況では無理だろう…。
本人はもしかしたらあれを異常と思ってないのかもしれないし、
俺としてはなにも知らさずに放っておいてやろうと。
ってかやっぱり深いところに関わりたくない。

「え!? え!? 零崎さんですか!?」
「…一応、まがりなりに、かろうじて、そうだ」

 少しその過剰な反応にたじろぐ、
零崎という名になにかあるのだろうか?
曰く最も忌み嫌われる一族らしい、マズったかもしれない。

「じゃあお兄さんは零崎人識って人知ってるかなっ?」

 少女は幾許か目を瞑ってうんうんと唸った後に
ちょっとばかし意外な名前を口に出した。
双識の兄さんの愛弟、零崎人識。
「なんでそんなことを聞くんだ?」
「ちょっと用があるんだねっ!」

 "零崎"に用があるという拘束衣の女。
字面を見れば明らかにおかしいし、
俺以外の家族ならその場をうまく切り抜けられたのかもしれない。
この目の前の少女を殺すなり、この少女から情報を引き出すなり、
単にいなすにしても色々とできただろう。

 だが俺は半人前だった。
自分の獲物を持たず、殺した人数はまだ十に満たない。
なによりこの少女の雰囲気が俺の危機感、警戒心をゆっくりと根こそぐ。

「お兄さんはこの辺りで起こった連続殺人事件を知ってるかな?」
「初耳だ、寡聞にして聞いてない」
「そっか…、とりあえずこの間そういう事件があったんだよ」

 へーとしか言いようが無い。
…まぁその事件の犯人がその零崎人識という事なのだろうが、
殺人鬼がたくさん人を殺しましたという当たり前のことしか思わないし。
感想としても「はー、頑張ってるんだなー」としか言いようが無い。

「大体なんでそんな事を調べてるんだ?」

 まさかただの好奇心で調べてるって訳じゃないだろう。
物事には因果がある、原因と結果。目的と手段。
知的好奇心とかそんなものとは無縁そうなこの女の子が、…ねぇ?

「依頼されたんだ!」
「…依頼?」
「そう、わたし名探偵だもん!」
「あ゛ー…」

 そうか、この子は痛い子だったのか。
なるほどなるほど、嫌な予感的中だな、背筋がちくちくするほど痛い。
アイタタタタ、頭も痛くなってきた。
名探偵? ははっ、見るからに少女だし頭の中はさらに幼そうだぞ?
痛い痛い。

 俺が心のそこから欠片も信じてないことを
流石に表情や態度から察せたらしく、
ここで初めて少女はむっとした顔をした。

「む~、お兄さん信じてないでしょ」
「そりゃそうだろ、君みたいな子が探偵なんて言われても―
「名探偵だねっ!」
「…名探偵だなんて言われても信じるにたる要素がなにもないからな」

 行き倒れてたし。
名探偵ってのは衣食住に困るほど稼げない職業なのだろうか?
まぁ、警察に協力しても賞状しかもらえないよな。金銭を国から渡されるはず無いよな。
切ないなぁ。

「むぅ~、じゃあ代わりに推理をしちゃいます」
「ほう、見せてもらおう」
「お兄さんはいまお腹が空いてるねっ!」
「そりゃ腹が減ったから食い物を買ったのに、それを目の前で全部食われたからな」
「ほらあたった」
「ほらじゃねえ」

 ダメだこいつ、なんとかしようがない。

「あっお兄さん!?」
「悪いけど、本格的にこれ以上時間を無為につかえないんだ。
 今夜寝る場所もないもんでな」

 俺は素早く距離をとって少女に別れを告げる。
…あぁ、そういや名前聞きそびれたな。

「ヘイ、そういえば君の名前は?」
「匂宮理澄、いい名前だねっ!」
「自分で言うな馬鹿」

 俺は今度こそと踵を返してその場を立ち去る。




 ……匂宮?



 変な名前、っていまの俺が言えた事じゃないか。
この時点の俺は、まぁこんな程度しか頭をまわさなかった。
大して気にしなかったし、その名について調べたり聞いたりも行わなかった。
『いまの俺と同じくらい変な名前』そこから導き出されるいままでの違和感の正体など、
少しばかし思考を回してみればすぐにたどり着きそうなものだというのに。

 しかし、いつもならどんな質問にも答えてくれる宇宙人は
すでに俺が殺してしまっていたのだった、悲しいことに。
いや、悲しくはないのだが。
しかし長門も俺がこうなってしまうのを防ぐためにあんな行動をとったと思うと
多少なり想うこともないでもない。観察観測が任務の長門が
それでもイレギュラーの異変を阻止しようとした。
しかも多分その結果をわかってなお行動した。
少し、感慨がわきかけたが。しかし朝倉とその行動の理念が似通ってる気がして、
逆に不快感を覚えた。


――――


 次の日、公園プラス新聞紙という類い稀なる悪環境で夜を過ごした俺は
起きて早々全身の痛みに意気消沈する。
毎朝これは勘弁願いたい、今度からは多少虫がいても芝生なりなんなりで寝る。
絶対だ。

 空は曇天、新聞紙が軽く湿ってるのでごみ箱にイン。
水道を借りて軽く顔を洗ってベンチに腰掛けて今後の方針を固めようと思う。

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最終更新:2009年05月13日 00:48