「それで。どうだった?」
情事の後、不意に問われた。
大きなものを受け入れた後、未だ熱を持つ部位が、微かな痛みと疼きを訴える。
微細な身体の挙動を無視し、巴は厳徒の問いをセイカクに把握した。出来れば
受け取り側の手間を省くため、目的語を略さずにいて欲しいものだ。
「狩魔検事と御剣検事……どちらも噂通り優秀な方のようです」
「狩魔のカンペキ主義は相変わらずだったね。いやいや」
「カンペキな証拠とカンペキな証人を用いての、カンペキな立証。彼が四十年近く
無敗を誇る理由が解りました」
ついでに、師に比べ弟子はやや潔癖なキライがあるようだった、と付け加える。
「ナルホドね」
厳徒はうんうんと頷きワイシャツに袖を通す。泊まらないのだろうか。珍しい。
「や。他人の意見は参考になるね」
巴は頷き自らも身支度をし。
(ああ、そういえば)
「似ているかもしれません」
ふっと考えを洩らした。
「似ている?」
「主席捜査官と、狩魔検事が」
「……ふうん」
かち、と、厳徒の鼻先で眼鏡のフレームが音を立てる。色付きレンズ越しの瞳は
表情が読み難い。
「キミはそう見たワケだ」
「……?」
戸惑う巴を前に、厳徒は口の端を緩め、
「ボクからすれば、トモエちゃんと御剣ちゃんの方が似ていたケド。ね」
「私、ですか?」
「そう。どっちかというと昔のトモエちゃんかな。希望いっぱいユメいっぱいだった」
皮肉にしては悪意が過ぎる、辛辣な口調。
「御剣ちゃんも。トモエちゃんと同じくらいアタマが良い子だといいんだケド。ねえ?」
早く“法”と“正義”だけでは“悪”を裁けないと悟ればいい──厳徒の言葉に
巴は沈黙を守る。
御剣は確かに甘いのかもしれない。それでも、正義を貫こうとする彼の姿勢は
認められるべきだ──その一言がどうしても口にできなかった。



厳徒と巴がオフィスを共有してしばらくが経った。
その間、打ち合わせ以外でオフィスに一緒にいたことは、数えるほどしかない。
考えてみれば当然の話だ。捜査官としての仕事があるときは現場と資料室と会議室
を往復するのが常、オフィスの机には報告書作成と僅かな休憩以外で座る機会がない。
加えて厳徒は地方警察副局長としての仕事も抱えている。席を暖める余裕は、巴
に輪を掛けて少ないはずだ。
更に言えば、緊急の用件に備え主席捜査官と副主席捜査官の休日はずらしてある。
担当の事件がない日はどちらか片方しか出勤していない、というのもざらだった。
「あ、お姉ちゃん! 待ってたよー」
お蔭で妹との待ち合わせに気兼ねなく使える。
巴がオフィスに入ると、スチール椅子に腰掛け足をぷらぷら揺らしていた茜が
ゴキゲンな様子で手を振った。
機嫌の好い理由は直ぐに分かった。
「どうやらお迎えが来たようだな。さて、流れ者は去るとしよう」
「あ、はい。罪門さん、また今度!」
親指でテンガロンハットを押し上げる男、出てくる場所と時代を間違えた格好の
彼が腕利きの捜査官とは、初見の人間には解るまい。
「妹の相手をしてくれたのね。有難う」
「いや、バンビーナと話すのはナカナカ新鮮なもんだ。ウチは弟だけだからな」
「ばんびーな……?」
後ろで首を傾げる茜へ向けて、罪門恭介はテンガロンハットのつばを軽くはじいて
みせて、別れの挨拶にする。
「それじゃあ、あとは姉妹水入らずで楽しむんだな」
「恭介、何か用事があったのでは?」
彼は気のいい男だが、同時に多忙な捜査官でもある。中学生の女の子の相手だけ
するわけにもいかぬ立場なのだ。
罪門が自然な動作で肩をすくめる。
「なに、今日じゃなくても構わない用事さ。……明日の朝、カオを出してくれ。
今日は妹とゆっくりするんだな」
「――分かったわ。ありがとう」
仕事の話だ、と悟る。
おそらくは難事件、任務に就けば帰宅も家族との会話すらままならなくなる、
大口の捜査。
せめて今夜くらいは妹と一緒にいるといい──罪門の気遣いに、巴は感謝する。
茜はそんな大人二人の無言の遣り取りなぞ露知らぬ様子で、パイプオルガンを
物珍しそうに眺めている。
茜の横顔は幼い。まだたったの十四歳なのだ。
──だから自分が守り、育てなければ。
これからしばらくは寂しい思いをさせてしまうだろう。今夜がその埋め合わせに
なればいい。
「では、行きましょう、あかね」
「うん!」
(私が、この子を)
守らなくては──。



翌日。
連続殺人事件特別捜査本部が発足した。分類番号は“SL-9号”。
捜査の陣頭指揮を取るのは、地方警察副局長兼主席捜査官・厳徒海慈と副主席
捜査官・宝月巴の両名。警察局内で断トツの検挙率を誇る名コンビであった。

「連続殺人、ってコトは被害者が既に複数いるってコト。……グズグズしてる暇は
無い。会議、始めようか」
捜査会議室での厳徒の言葉に、居並ぶ捜査員らは真剣な面持ちで頷く。巴もその
一人だ。
「捜査資料には目を通してあるだろうから。多田敷捜査官。事件の概要だけ説明」
捜査責任者の多田敷道夫が起立し、スライドを操作する。

最初は──不謹慎な言い方だが──単なる殺人事件だった。平凡な、恨みをかう
機会もなさそうな主婦が殺された。その事件の初動捜査を担当していたのが多田敷
捜査官だ。
前述通り、殺害の動機が全く見つからない被害者に困惑しているところに、この
近辺で次の殺人事件が起こった。
場所も日時も近いふたつの事件、その関連性を現場は疑い始め──三件目、やはり
殺人事件が発生する段に至り、ようやっと『連続殺人事件』と定義されたのだ。

「……被害者同士の接点は、全くないのでしょうか?」
「三人は知り合いでも何でもありませんでした。共通の知人、のセンも今のところ
ありませんわ」
巴の問いに、捜査員の市ノ谷響華が答える。
「共通点……と言えば、一番目と三番目の被害者の家が同じ町にあるコトくらい。
道ですれ違ったコトはあるかもしれませんが、それだけでは知り合いとも言えない
でしょうねえ」
「……無差別の通り魔だとしたら、ヤッカイなことになるな」
発生現場の地図を睨みつけ、罪門恭介が呻いた。部屋に緊張が走る。

「カンゼンな無差別は有り得ない」

びしり。と。声が響く。
「被害者同士に何もなくても。犯人には必ず“動機”が存在する。犯行を誘発する
ナニかが。ね。被害者本人じゃなくて犯人自身にあるのかもしれない。犯行の場所。
時間。犯人自身の生活。ナニかがある。必ず、さ」
厳徒の口元は、笑みの形を刻んでいる。

しかし目は。

「そこが犯人に繋がる“道”だ。――じゃ。ガンバろうか」

鋭い視線が人好きのする笑顔の奥へ隠される。
雰囲気に呑まれていた捜査官らが、我に返ったように、ハイ、と唱和した。
「三人目だし、マスコミさんもウルサくなってるし。早期解決といこうか。
あ。ナオトちゃん? 検察局の対応ってどうなってる?」
「はい、立件への要件が揃い次第、起訴に移れるよう手配してあります」
きびきびとした返答。罪門“捜査官”の顔がふっと自慢げに綻ぶのが、巴からも
見えた。
罪門直斗“検察官”。将来を嘱望される若者で、罪門恭介の自慢の弟。
「お! いいねいいね。そーいうヤル気!」
これが殺人事件の捜査本部だろうか、と思うような陽気さで厳徒は笑う。
「さっきも言ったけど、大きな事件だ。会議はこれくらいにして、動こうか」
厳徒が時計に視線を走らせて。
「じゃ。ボクと多田敷ちゃんはこれから記者会見だから。アトは、トモエちゃん。
ヨロシク」
「はい」
厳徒と多田敷が退出するのをきっかけに、他面々も三々五々動き始める。巴も
現場に向かうべく準備する。
「現場に行くならオレも付き合おう、セニョリータ」
「ええ、お願いするわ」
罪門と連れ立ち地下駐車場へ向かう。
道すがら見る男は、随分と。
「興奮しているみたいね、恭介」
「そう見えるかい? 弟との初めてのシゴトだからな。ちょいとばかりキンチョウ
してるんだろうさ」
「キンチョウ……いえ、貴方、とても楽しそうに見えるわ」
苦笑に似た沈黙──「楽しい、か。そうかもな」
「アンタやガント副局長、“ゲロまみれのおキョウ”に多田敷、俺たち兄弟。最高
のシェリフたちで最高に凶悪なオオカミを狩る──ナカナカ経験できるコトじゃ
ないだろ?」
テンガロンハットの下、罪門の目は輝いていた。
巴自身も似たようなものだ。
彼らとなら事件を解決できる、否、解決してみせる。昂揚と自負とがふつふつと
湧き上がる。
「頑張りましょうね」
「ああ」

ぼつ。と。


決意に正に水を差すように。
警察局エントランスから出たばかりの巴の肩に、水滴が落ちた。
見上げる間に、曇天の空から次々と雨粒が落ちてきて、次第に激しくなる。
「雨か」
罪門が舌打ちする。
「現場の証拠が流れないといいけど」
「急ぐぞ」
「ええ」
雨の中、二人の捜査官は駆けだした。


当初の楽観的予測とは異なり、捜査は難航した。
捜査が困難、なだけならば予想の範囲内ではある。しかし、他にも問題が持ち
上がった。
バッシングである。
しかも内と外、両方から。
マスコミは連日事件の猟奇性と警察の無能ぶりを報道し、犯罪コメンテーターと
いう人種が鼻高々と『ぼくのかんがえたはんにんぞう』を披露し。
世論に慌てた上層部はまだかまだかと捜査に支障が出るほど捜査官をせっつき。
「……そんなに言うなら、この人達が犯人を捕まえるべきだね」
「タレコミなら毎日入ってきてるだろう? 証拠もクソもない“告発”が、な」
テレビを前にしての多田敷と罪門恭介の会話を聞くともなしに聞きながら、巴は
事件の資料を読み返していた。
何度も読みこんで、暗唱できるほどになった情報。
ただ、見えてこない。
“真実”はまだ見えない。
コーヒーのいい匂いがした。
「――根を詰め過ぎるとロクなコトになりませんわよ」
鼻先のマグカップと、取っ手を握る白い手を交互に眺め、
「どうぞお上がりなさいな、宝月捜査官」
「あ、え、ええ、ありがとう」
苦笑と共に再度差し出され、慌てて巴はマグカップを受け取る。響華も同じく
コーヒーを手に、巴の隣席に腰を落ち着けた。
「休める時に休むのは、悪いコトじゃあございませんよ」
「そうね……でも、落ち着かなくて」
資料を閉じ、マグカップを傾ける。少しぬるめのコーヒーは飲みやすかった。
時計を見る。
午後三時十一分。
捜査会議の開始時間をとっくに過ぎている。
厳徒と罪門直斗の姿は無い。

警察局長から呼び出しを受けたまま、まだ帰ってこない。
「そう落ち込むもんじゃあないよ」
ざっけない口ぶりに驚く巴へ、響華が微笑んだ。
「この“ゲロまみれのおキョウ”……色好い情報を用意しましてよ」
「――青影丈、という人物についてかしら」
響華は頷く。
青影丈は事件の容疑者のひとりで、響華が聞き込みに当たった。ナニか見つけた
のか。
何時の間にやら男二人もテレビを消音モードに切り替え、響華の話を聞いている。
「残念ながら証拠はまだ──けどこのおキョウの──」
「や! 皆、お待たせー」
響華の台詞がクソ大きいドアの開閉音と、クソ暑苦しい挨拶に遮られる。
何とも言い難い雰囲気のなかへ、厳徒は気にする様子もなく入ってきた。普段
通りの態度──しかし一緒にやってきた罪門直斗が疲労を全身から滲ませているの
を見ると、笑い声がいっそ空疎に聞こえる。
「もう参ったよ。局長ちゃんたらマスコミさんに突き上げられてアセっちゃって。
ま。退職金が出るかどうかの瀬戸際だから仕方ないけど。未解決連続殺人事件で
引責退職と任期満了円満タイショクじゃ、ゼンゼン違うからね」
にこにこ笑ってはいるが、発言内容は辛辣だ。
「それで? 皆で何のハナシ?」
「――厳徒副局長。事件の容疑者についてお話が」
空気が急に引き締まる。
「――聞こうじゃないか。おキョウちゃん、始めて」

青影丈が怪しい。響華は断言した。
「聞き込みの最中……“ピン”ときましたの。このオトコだ、と」
艶やかな栗色の髪が揺れ、その下から鋭い眼光が覗く。
「うまく隠したようですが……このおキョウの目は誤魔化せないのさ!」
「けど、証拠はない」
冷静に水を差したのは罪門直斗。コーヒーが効いたのか、幾分か顔色がマシに
なっている。
「青影丈との話以外で、何か気になることはなかった? おキョウさん」
「……」
しばしの沈黙。「……車」
「青影の車ですけど、車体にキズがありましたわ。そう……事故、のような」
事故。「そういえば」多田敷が、ふと思い出したように声を上げた。
「事件発生の前に、ひき逃げ事件がありました。まさかその犯人が──」
「……だとすると、殺人事件とはカンケイない、ってコトになる。オレたちが追う
のはひき逃げ犯じゃあない、殺人犯だ」
「あっ!」
罪門の指摘に、響華が悔しげな声を上げる。

(関係ない──)

しかし、本当にそうなのだろうか。何か、何かが引っかかる。

被害者の資料をもう一度探る。
戸鉢里恵。
名栗武文。
草葉影丸。
最初の被害者『戸鉢里恵』の資料を手に取る。平凡な主婦。外出よりも家を好む
性格だったのだろう、買い物と町内会でのなんやかや、偶の友人との外食、そして
犬の散歩以外では、出歩く機会さえ殆どなかったという。
そんな彼女の、何処に殺される理由があったのか。
犯人の、彼女を殺さなければならない理由とは何だったのか。
(一体、何が)
巴を引き留めているのか。

ひとつの文章を見つける。
「――!」
日付は、殺害の二日前。

「関係は、あるかもしれない」

巴の言葉に全員が注目した。厳徒が面白げに先を促す。
「第一の被害者である戸鉢里恵、彼女は殺害の前に警察で事情聴取を受けている」
そこで一旦間を置く。
資料には聴取の内容までは書いていない。ここからは巴の想像になってしまう。

組み立てたロジックの正否を問うのは後でいい。

「これが、彼女の近辺で起こったひき逃げ事件に関するものなら、SL-9号との
関係もあり得るのでは?」

今、必要なのは、次に繋がるステップだ。

「多田敷ちゃん。ひき逃げ事件の資料、持ってきて」
厳徒の命令に多田敷が急いでパソコンを操作する。警察局内の共有データベース
にアクセス。ひき逃げ事件の情報を検索する。
横で罪門が渋い顔をし、弟が苦笑いして囁いた。
「兄さんもパソコン覚えなよ」
「うるさい」
「……ありました。スライドに出します」

多田敷がパソコンを操作する。壁掛けスクリーンにひき逃げ事件の概要が提示
された。発生した日時、場所、そして目撃証言。

「トモエちゃん。ビンゴ」

厳徒の呟きが、静まり返った会議室にやけに響いた。
目撃者の名前は『戸鉢里恵』。
連続殺人事件の最初の被害者。
「ひき逃げの発生場所は?」
「此処──なんてこった、被害者のイヌの散歩コースだ。おキョウ、トンデモナイ
当たりを引いたな」
「……でもないようだよ」
否定の言葉は響華自身から。
「目撃証言の、ココ。ひき逃げしたクルマの型についての証言……『路地を、白い
ワゴンが走っていって、ヒトをはねた』……残念ながら青影丈のクルマはクーペさ」
話していた面々に失望の色が広がる。
「あの」
そんな中、巴は戸惑いながら、
「ワゴン車と、クーペ、という車種とで見間違えた可能性はないの?」
「さすがに無いでしょう」
多田敷が首を横に振る。
「ワゴンとクーペでは型も大きさも違いますからね。聴取の際の車種の確認には
車のカタログを使っていますし、見間違いということは無いかと」
「そう……」
ならばひき逃げとは無関係なのだろうか──
「多田敷ちゃん。キミ、ポニーとマスタングの違いって分かる?」
「は?」
いきなりの質問は厳徒からだ。多田敷は目を白黒させている。
「馬だよ。馬の品種。じゃあ罪門ちゃんは分かるかな」
罪門、で、兄弟が一緒に顔を上げる。同じ名字がいると不便だねえ、と厳徒は
笑った。
「……西部のオトコが、馬を見分けられないワケがない。副局長もご存じのハズ」
「そうだね」
恭介の返答に厳徒はうんうん頷き、「でも、多田敷ちゃんには分からなかった」
「人間なんてさ、自分の興味ないことは覚えようとしないモンだよ。被害者の彼女、
免許も持ってなかったでしょ。クルマに興味があったとは思えないな」
「しかし、カタログで確認し、その上での証言です」
「昔。ボクが担当した証人で、軽トラとジープを見間違えたおじいちゃんがいたよ。
間違いの理由がケッサクでさ。おじいちゃん田舎のヒトで、車なんてトラックか
トラクター、後はパトカーくらいしか見たことなかったの。
で。カレ。言ったんだよね。『大きなクルマはみんなトラックだろう!』って。

 

最終更新:2020年06月09日 17:39