──あの時。巌徒を自宅まで送ることを承諾して、車の中で京都の話をして──十年
以上前に修学旅行で訪れたっきりの巴と、捜査や会合で何度も行ったことのある巌徒と
では、多分に知識に差があったものの──それなりに会話も弾み、巌徒の住むマンション
の駐車場に車を停めて。
──そこで。
──「ついでだから上がっていけば」との巌徒の提案を受けたせいで。巴は今、巌徒の
自宅にいるわけだ。


ここまでの経緯説明をキレイに片付けたにも関わらず、巴の思考は相変わらず益体も
ないところをぐるぐる回り続けている。

居心地は悪くない。むしろ好い。警察局では他人任せにしているくせに、巌徒の淹れた
ほうじ茶は美味しかった。ソファはサイズは大きいが、スプリングが効いていた。何時の
間にやら蒸留酒で手酌を始めた家主は、客との会話を不快がってはいないようだった。
「──ところで、主席捜査官」先日担当した事件についての話が一段落ついたところで、
巴は疑問を口にする。「それは……その、そういう飲み方をするものなのですか?」
「そういう。って……あ。コレ?」
巌徒が、やだなあ、と笑う。「そんな。リカイできないモノを、見る目で。ヒトを
見ちゃ、ダメだよ」
「だって、いえ、ですが、砂糖……」
巌徒の手元には蒸留酒のボトルと大ぶりのグラス、そして小皿に載せた角砂糖がある。
「強めのヤツだから。カルバドスは、こうするのが。ボクはイチバン好きだな」
グラスの四分の一ほどまで注がれた液体に、巌徒は角砂糖を摘んで浸す。白い砂糖の端
が飴色に染まった。
齧る。
巴は思わず眉をしかめた。見ているだけで歯が浮きそうになる。
「歯に悪そうですが」
「アハハ。ボクの、歯。何本自前か、教えてあげようか?」
巌徒がちょいちょい手招きする。まさか本気で教える気ではなかろうが、と訝しみつつ
も、巴は湯呑みを座卓に置きソファに座ったまま巌徒へにじり寄り。
頭を抱えられたかと思うと。
口に、押し込まれる。
齧る。
砂糖の強烈な甘さと強いアルコールと果実の芳醇な香りがいっしょくたになって味覚を
乱打し歯をガタつかせ鼻へと抜けていったところで、酒を染ませた角砂糖を放りこまれた
のだと気づく。
「──っ! ちょっ、──貴方、もう、コドモじゃないでしょうに!」
巌徒は手を叩きゲラゲラ笑っている。ゴキゲンだ。
甘い。口の中がとにかく甘い。アイスティーの底に溜まったガムシロップをうっかり
ストローで吸ってしまった時の倍は甘い。
「だって、さ。“そんな飲み方ありえない”みたいなカオ、するんだもの。つい、ね」
「逆効果です!」
とにかく暴力的な甘味を流そうと茶の入った湯呑みへ手を伸ばし。
かけて。
肩を掴まれ巌徒の方を向かされ。今度は何か、と問う暇もなく。
「──」
口の中に、リンゴらしい甘酸っぱい香りとアルコール独特の刺激が広がり。ごく少量の
蒸留酒が滑らかに食道を落ち穏やかに胃を焼く。当たりはやわらかいにも関わらず、巴の
脳は急な酩酊に一瞬ぐらついた。
「──ホラ。ストレートは、強過ぎる」
舌先で巴の唇を舐めていって、巌徒はそんな風にうそぶいた。
体温が、近い。
「……アルコール」肩に置かれた手が背中へと回るのを感じながら、巴は呟く。「飲んだ
ら、車の運転、出来なくなるのに」
「トモエちゃん」
ソファに押し倒された。「キミ。今日、帰るつもりだったの?」
──巴本人にも、よく、分からない。
栗色の髪を、日焼けしていない手が、梳く。
「ヒトリじゃ。寂しいのに?」
甘やかすような。いたぶるような言葉に、巴は困惑したように瞬きする。予想外の反応
に、眼鏡の向こうで巌徒も怪訝そうな目になった。

「寂しい……ええ、そう、ですね」でも、と、巴は続ける。「寂しい、のは、そうです
けれど」視線がふっと彷徨う。昨夜の、今朝の、一人きりの家を、思い出す。「そんな
“寂しい”のを、妹に、ずっとさせてきたんだって思うと──」
仕事で、仕事以外の用で居ない姉を、妹はどんな思いで待っていたのだろう?

“検事になる”という名目で、“捜査官”宝月巴は何をしているのだろう?

──不思議だった。
──話す必要のないことまで話している自分が、不思議で。
──黙って聞いている巌徒も、不思議だった。

唇を合わせ舌を絡めると、残る砂糖が砕けて溶けた。

ソファはかなり大きいが、それでも体格のいい巌徒と女性としては上背のある巴とが横
になるとさすがに狭い。
ソファと、背もたれと、圧し掛かる巌徒。三方の退路を塞がれ巴は殆ど身動きできない
状態にある。最後の理性を働かせ、マフラーだのスーツだのはシワになる前に脱いだは
いいが、お蔭で上下の下着のみという格好だ。巌徒はシャツの前を開けただけだから対比
が一層恥ずかしい。
(……インナー、着けてない)
シャツから直に覗く胸元へ指を這わせ、巴は割とどうでもいいことを考えた。そりゃあ
自宅だもの、ラクな格好をしたいだろう。首筋から鎖骨にかけてを舌で愛撫されながら、
見えない位置にある身体を探る。背中へ手を差し込まれ、ブラジャーのホックを外される
間に、シャツの中に手を入れ脇腹をなぞる。加齢によるゆるみはあるが、鍛えた筋肉は
充分以上のものだった。
「トモエちゃん。くすぐったい」
言われて、慌てて引っこめる。ついでに腕からブラジャーを抜く。剥き出しになった
乳房へと巌徒が舌を這わせた。髭が当たってこそばゆい。洩れかけた笑いは殺せても、
身体が震えるのまでは止められない。巌徒は素知らぬ風で頂へと舌を近づけ、
「ひゃっ?!」
触れられていなかった側の乳房にユビでの鋭い刺激を受けて、混乱したところで今度は
反対側を口に含まれ吸われて、巴が身をよじる。片腕が空を泳ぎ、慌てて巌徒へと縋り
ついた。
「あんまり動くと。落ちるね、こりゃ」
声はいっそ楽しげだったが、巴は気が気ではない。胸を責められる間も、最後の衣服を
取り払われるときも、落ちないよう──万が一にも上に乗る巌徒を落とさぬよう、神経を
すり減らしていた。
そんな気遣いも巌徒ときたらどこ吹く風で、巴の秘所を指の腹で撫ぜ上げる。「ん」
ぴくんと引き攣る細い裸身はほの朱く染まりかけ、ようやっと準備を始めた頃合の風体
だった。
なのに、
「反応。イイね」
「え……、やだ、ウソ、……っ、あ」
茂みの奥は既に湿り気を帯びており、太いユビを第一関節まであっさり呑み込んだ。
アルコールの影響か、数時間前の情交の余韻がそうさせたのか。浅い場所でひろげるよう
に動かされると、もどかしげに腰が揺らめく。
巴の頬が真っ赤に染まる。咄嗟に脚を閉じようと試みるが、片方は払い落され、もう
片方は背もたれと巌徒の身体で挟まれ固定されて、カンペキに身動きが取れなくなる。
大きく開ける格好となった秘所では、深度はそのままに弄ぶユビが二本に増えている。
粘り気のある水音が巴の耳にも届いて、端整なカオが泣きそうにユガんだ。

巌徒は満足げに口の端を上げ、一旦ユビを引き抜き、
「あ」
間の抜けた声と続く忌々しげな舌打ちに、巴も視線を上げる。「あの、何か」
「や。シッパイした。忘れてたよ」
「? 何を」
「コンドーム。今日ので、切れてた」
ち、と巌徒は再度舌打ちをする。「手持ちのブンだけで。ウチ、置いてないんだよね」
「そういうものなんですか」
「だって、ココ。他のヒト、入れないし」
家政婦さんはベツだけど。不機嫌そうな巌徒を、巴はぼんやり見つめる。そうか、彼は
“こういうコト”をする相手を、家には呼ばないのか。──だからどうした、と聞かれる
と困るが。なるほど、そうなのか。
親指が。唇へ、当てられる。
「クチ、かな」巴が目を見開き微かに口を開け、何事かを言う前に親指が歯列をなぞる。
「トモエちゃん。コッチも、ダイブ上手くなったしね」
白い内腿が乾いた手の甲で撫ぜられる。「ザンネンがらなくても。先に、キモチ好く
してあげるよ」
巌徒はくつくつ笑っている。
巴は。身勝手なオトコを眺め──「主席捜査官」
「うん?」
「今日、は、」──頭の中で日付を確かめ計算して──「大丈夫な、日、なので」
沈黙。
「……“大丈夫な日”って。ナニが」
「え。いえあの、安全日といって、」
説明をしかけて。巌徒の疑問が言葉の意味が分からないから、ではなく、理解した上
での確認だったことに気づく。ついでに今自分がナニを口走ったかも。
昂ぶっていたアタマが急速に冷える。
「い、今のはなかったコトにしてください! くち、口ですね! では今から、」
言い訳を吐こうとする口を、巌徒のそれで塞がれる。甘い。砂糖と酒の甘さ。
「──孕むかも、って?」
唇をほんの僅か離し。吐息がかかる位置で、巌徒は囁く。「ボク。六十過ぎだよ?」
圧し掛かる身体は重い。けれど完全には掛けていないお蔭で、巴が潰れることはない。
手が、巴の熱い頬を滑って、
「嬉しいな」
本当に、嬉しそうに。獲物をとっ捕まえてアトは食べるだけの肉食獣のように嬉しげに
笑う。
「そういうコト、マダ、出来るオトコだって思われるのは」
「あ──の──」
手は。頬から頤へ、首を伝い鎖骨を撫ぜて。
「今日。“大丈夫な日”なんだよね──?」
囁きは。拒絶も逃亡も許さなかった。

挿入前に、身体じゅうぐずぐずに蕩けるまでに弄られるのはよくあること。巌徒が自身
を昂ぶらせるために巴のカラダを使うのも、よくあること。巴が素裸なのに巌徒が服の前
をくつろげただけの格好というのも、まあ、いつもではないが偶にあることだった。
だから散々に責められた後、濡れて解れた入り口にカタく勃起した性器をあてがわれる
ところまでは普段通りだった。のだが。
「あ、」
組み敷かれた巴の身体がびくんっと跳ねる。見開かれた瞳があっという間に潤み、視点
が定まらなくなる。腕を伸ばして覆い被さる巌徒に縋ると、どうしたの、と問われた。

「おねが、っ、しま、す、もっと、ゆっくり」
「してるよ」
「でも、これ、きつ……っ」
熱いもので貫かれる。広げられ、擦られる。圧倒的な質量に息が出来なくなりそうなの
に、まだホンの浅い部分しか埋まっていないことに混乱する。
コレは、何。
何度も受け入れたモノだ。数時間前にもココに収めたモノだ。なのにコレは、じわじわ
と這入ってくる、侵すコレは、
「トモエちゃん?」
手、で。手袋を脱いだ、素手で。額に貼りつく髪の毛を、どかされて。
「──、っ!」
瞬間。全身が硬直する。締めつけられて巌徒がカオを歪める。
絶頂、ではない。確かにキモチ好い。押し広がる熱が快い。呑み込んだエラの部分、
張り出す部位で擦られるのが堪らなく悦い。からっぽの奥がカタい肉を欲しがって狂った
ように蠕動している。
それでも。カラダが強張るのは、震えるのは。両腕どころか力なく落ちていた脚まで
をも使い目の前のオトコに縋らずにはおれないのは。
「や…だ……、これ、」
処女の如く、怯えるのは。
「こんなの、知らない……っ!}
自分のナカで。自分と他人の肉とが遮るものなく絡み合い擦れあう感触が、恐いから
だ。
巌徒が呆れたように呟く。
「単に。ナマでやってるってダケじゃない」
「知ら、知りませんっ、こんな、こんなに、」
「そりゃ。キミと、こうするのは。初めてだけど──」
そこで言葉が途切れ。まさかねえ、との前置きを経て、「トモエちゃん」
「キミ。ボクの前に、付き合ってる相手。いたよね」質問の意図を考える余裕はない。
素直に頷く。
「セックスも、したよね」頷く。
「……ナマでやったコトは」首を横に振る。
沈黙。
「じゃあ」声は、抑えた、掠れた。「コレが。初めて」
頷いた。
沈黙。ようやっと半ばまで埋まった肉が、巴のナカどくどく脈打っている。
「ナルホドねえ」
「──?! ん、っく、う──あ──!」
腰を押さえつけられ、引かれる。襞を逆撫でされて不快と紙一重の熱が溜まり、抜ける
前に先程よりずっと深い場所まで強く打ちこまれ熱が爆ぜる。「キミの、コイビトって。
シンシなヤツばっかりだったんだねえ──!」愛液と先走りとが混じり、進むも戻るも
恐ろしいほど滑らかに行われる。摩擦による痛みがないせいで、感じるのは大きなモノを
咥え込む圧迫感と、洞の埋まる悦楽だけだ。
奥を。剥き出しの亀頭で抉られて、巴の背が仰け反る。
処女めいた反応を示したとして、巴はもう生娘ではない。汗まみれのカラダは情交の悦
を知っている。最奥を突かれ、甚振られる。その快楽を知っている──眼前のオトコに
教えられたから。
突き上げる動きに、無意識に腰を合わせる。そうすれば彼が悦ぶのだと知っている。
彼のよろこぶ、ソコがキモチ好い場所になるよう仕込まれた。知っている、そして今から
知る、奥に直に精液を叩きつけられる、被膜越しでしか知らなかったオトコの熱を、巴は
受け入れるコトになる。

それは。それはとても、「だめ──!」
力強く律動する腰へ、足を絡め。太い首に腕を回し。どろどろ蕩けた部分、身体の奥
まで他人の肉を受け入れ締めつけて。巴は怯えて叫んだ。下腹部からの衝撃でもう意識は
何時飛んでもおかしくない。せりあがる熱は爆ぜる寸前に膨れあがっている。
ナニが。
ナニが、ダメなのか。
「ここ、は、」巌徒の家。巌徒のために揃えられた諸処。「ここは、貴方に、近すぎる
──!」──巌徒の好みで仕込まれ、開発された身体を深く強く貫かれて。巴の視界が
白く染まる。
「ひっ、あ、──、あ、ああああッ!」
だが。絶頂に押し上げたのは。脚も、腕も、締めつける襞も。全てをこそげ落として
引き抜かれる膨張しきった男根の摩擦と衝撃と。喪失感、だった。
汗まみれの腹に、粘る体液が降りかかる。巴自身の体温が高いせいか、粘液はぬるく
感じられた。
ぽつり、と。落ちる、汗と。荒い呼吸とを感じたのを最後に。巴の意識は落ちた。

後始末ののち、どうにも動けなくてうつらうつらしている巴へ、巌徒が寝巻代わりにと
トレーナーを持ってきて、ついでに毛布も被せていった。どうにか礼を言い、広いソファ
に横になる。染み込んだ、微かな、嗅ぎ慣れた体臭とスタイリング剤のにおい。他人の
においというものは、どうしてこうも、
「トモエちゃん」
呼びかけに目をこじ開ける。寝室に行ったとばかり思っていた巌徒が、巴を見下ろして
いた。「キミ。検事に、なるんだよね」
──検事に、なる。
そのために捜査官になった。そのために巌徒に近づいた。そのために、妹に寂しい思い
をさせている。
「はい」
返答は短く。分かりやすく。
そう、と。巌徒は呟いたようだった。「それじゃ、オヤスミ。トモエちゃん」きちんと
返答したかったのだけれど、眠気に負けて意識が途切れる。声が出せたかも分からない。
唯。
検事になればもう捜査官である彼と組むことは──例え“検事”と“捜査官”のカタチ
で同じ事件を担当することはあっても、今までのように、共に犯罪者を追うことはなく
なるのだと。
何時までも彼の“パートナー”ではいられないのを思い。それが酷く、寂しくて。
けれど、ここが。巌徒の元がどれほど心地好くても、巴の帰る場所は、妹との家しか
ないと、知っていた。


近づけ過ぎたのは失敗だった。そう認めざるを得ない。
流しにグラスと余った角砂糖を置いて、巌徒はその緑眼を眇める。
検事になりたい、と、彼女は言った。唯の検事ではなく、捜査官としての経験を積み
現場捜査に精通した、特別な検事になりたいのだと。
巌徒にも目論見があった。知識と技術と自分への忠誠心を叩き込んだ手駒を検事局の、
なるべくなら上の地位に就け、巌徒が警察局のみならず検事局をも掌握する、という目的
が。そのための宝月巴。そのための“パートナー”。
いつまでも自分の手元で、部下として使うわけにはいかない。独立して動かせる“駒”
として、そろそろ準備を始めるべきだった。具体的には、検事局への異動──巌徒から
離す手筈を整えなければ。

──仮定の話として。
自分がもう十歳か、二十歳、若かったら。ずっと手元に置いて、同じ現場で、同じ目線
で、同じ事件を追いかける。そういうのも、楽しかったかもしれないが。

ホンの少し口角を上げ。グラスの余り酒と角砂糖を排水口に捨てる。
夜の酒も、妄想も。今はもう甘過ぎた。

最終更新:2020年06月09日 17:34