鎌田祐哉

プロフィール


  • 選手名 - 鎌田 祐哉(かまだ ゆうや)
  • 背番号 - ヤクルト時代 20(01年~09年) → 48(10年~同年途中) → 楽天時代 34(10年途中~11年) 統一時代 29(12年)
  • 出身地 - 秋田県秋田市
  • 身長/体重 - 184㎝/76㎏
  • 投打 - 右投右打
  • 球歴 - 秋田経法大附高(甲)-早稲田大-ヤクルト/東京ヤクルト(00年ドラフト2位)-東北楽天-統一
  • 顔文字 - (´_`)
  • 実況板でのあだ名 - カマーダdこけし民芸品、秋田兄弟(石川とセットで)
  • 関連用語 - wsd

入団前


  • 下新城小、秋田北中では1年後輩で後にプロでチームメイトとなる石川がおり、一緒にプレーしていた。
  • 秋田経法大附高時代は2番手投手で、甲子園に出場するも、一度も投げずに敗退。
  • 早大時代は3つ上の高橋由伸(巨人)を打ち取り、「高橋キラー」と呼ばれた。通算13勝を挙げる。
  • 4年生の頃には2学年下の和田毅(ソフトバンク)にエースの座を明け渡し、リリーフに回る事が多かった。
    しかし、切れ味のあるストレートと縦のスライダーを武器に、要所を押さえるピッチングをしてきた甲斐あり、
    その年のドラフトで2位指名を受けた。後に2000年ネタドラフトと呼ばれるドラフトである。

ヤクルト時代


  • プロ入り後早速1軍入りを果たすが、4月に2軍落ち。そしてそれから間もなく、ドアに左手の親指を挟んで骨折する。
    怪我は1ヶ月程で回復し、後半戦のころには1軍復帰。01年9月26日の中日戦で先発投手が一枚足りなくなり、
    急遽名前が挙がったのが鎌田だった。その試合で6回2/3までノーヒットノーラン、初先発で初勝利をマークした。
  • 3年目には完封勝利もやってのけ、その年の秋季キャンプでも指定強化選手に選ばれる。
    -4年目には20勝の目標を掲げるも、逆球で炎上を繰り返し結局1勝3敗と言う散々な結果でシーズンを終えた。
    この20勝宣言はあまりの期待外れ、スカシっぷりから今でも失笑される発言としてネタにされる事もある。
  • 5年目、戸田の先発として投げ続けるものの、結成していたカマドウマのうち鎌田だけが1軍昇格することなく
    シーズンが終了してしまった。
  • なお05年シーズン中盤、先発のコマが足らなくなって、いよいよ1軍昇格か?と思われたが、マウンドに上がったのは
    中継ぎの河端であり、古田伊東投手コーチなどの首脳陣の
    信頼が得られてなかった事に、不信感を募らせているという噂もちらほら。
  • 05年オフに古田監督が就任すると、この年のロッテ日本一の原動力となったリリーフの薮田の様になれないかとの
    期待がかけられる。
  • 06年8月1日に1軍昇格を果たし、8月13日の横浜戦で2年ぶりの先発を果たす。
    ちなみにその試合の横浜の先発は元ヤクルトのベバリンで、お互い崖っぷちの中の投げ合いだったが、
    5回3安打無失点の好投で、723日ぶりの勝利を掴んだ。この年は3勝1敗とまずまずの復活を遂げる。
  • 07年、開幕前に肩腱板不全断裂の怪我を負い、戦線離脱するがシーズン中盤から敗戦処理として復活。
    22試合登板ながら、防御率1.16とリリーフ陣崩壊の中1つの光明となった。
  • 08年は中継ぎとして期待されたが、前年は31イニングで1本しか打たれなかったホームランを21イニングで
    5本も打たれるなど炎上が目立ってしまった。
  • 09年も引き続き中継ぎとして登板したが、結果は残せなかった。

楽天移籍報道


  • 06年4月18日のサンスポで、投手難にあえぐ楽天に東北出身の鎌田を金銭トレードとの報道があった。
    4年目以降全く結果を出せなくなった鎌田本人にも良いきっかけと評されたが、4月21日のサンスポで
    あっさり破談と報道された。
  • 実際トレードの打診はあったようだが、現場の意向で断ったようである。
  • 10年6月14日、渡辺(楽天)のトレードにより移籍が決定。
    楽天とのトレードはネット界隈を中心に絶えることがなかったが、4年越しの噂がついに真実となった形である。

楽天移籍後


  • 楽天では一軍に上がることができず、11年オフに戦力外通告された。

台湾へ


  • 12年は台湾の統一セブンイレブン・ライオンズでプレー。16勝を挙げ最多勝をマークした。

ネタキャラ


  • 長身でファッション雑誌にも載ったことがある。
  • 実況版ではかつてナルシスト、嫌みを言わせるキャラとして定着。実況予備板toda機能を使うと
    投稿日の欄に鎌田の顔文字とランダムに嫌みの利いた台詞がでてくる。
  • 愛称はカマちゃん(by石川)
  • 偵察メンバーで1番センター鎌田となった試合の勝率がなぜか高く、皮肉なことに投手としてより
    偵察メンバーとしての貢献度が高かった。
    04年までのヤクルトにおいては一番打者が長年のネックになっていたため、毎試合1番鎌田を起用するようにとの声もあった。
    しかし05年以降は青木の1番定着により消滅。
  • 06年1月に放送されたスワローズTVでの古田監督と早稲田大学ラグビー部の清宮監督との対談で、清宮監督の
    「ヤクルトには早稲田の選手がよく入団しますね?」との問いに「鎌田はいまいち」と古田監督に答えられてしまう一コマがあった。

年度別成績


年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率
2001ヤクルト810015.19710.59
2002ヤクルト11320503116213.78
2003ヤクルト306701158327413.21
2004ヤクルト1613064.24424456.26
2005ヤクルト---------
2006東京ヤクルト1331032.0318185.06
2007東京ヤクルト2201031.0171151.16
2008東京ヤクルト1602021.0199166.86
2009東京ヤクルト901012.010475.25
2010東京ヤクルト---------
2010東北楽天---------
2011東北楽天---------
2012統一261670171.111932603.15
NPB通算12514170341.02441061534.04











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最終更新:2012年12月09日 17:01