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ID | face | name | desc. |
1 | ハイレディン | 地中海で猛威を振るい、恐れられるバルバリア海賊の首領。オスマン帝国に帰順し、海賊でありながら大提督として君臨する。「赤髭」の意味である「バルバロス」の呼び名は兄から受け継いだ。 | |
2 | ジョン・ホーキンス | イングランドの私掠海賊。スペイン語に堪能で、女王の暗殺計画を阻止し、信頼を得る。アルマダの海戦にも参戦し、活躍した。フランシス・ドレイクの従兄弟。 | |
3 | フランシス・ドレイク | イングランドの私掠海賊。西インド諸島のイスパニア領で略奪をくり返し、恐れられた。アルマダの海戦ではイングランド艦隊副指令として参戦する。 | |
5 | チェーザレ | チェーザレ・ボルジア。ヴァレンティーノ公とも呼ばれる。幼い頃からの教育により18歳で枢機卿となる。ダ・ヴィンチを所領地に招き、善政を敷きながらイタリア統一を目指した。 | |
6 | ケマル・レイス | オスマントルコ海軍提督。船に大量の大砲を乗せ、組織的に砲撃を行う大規模砲撃戦を考案した。ピリー・レイスの叔父。 | |
7 | 鄭和 | 明の武将であり、200隻の大艦隊を率いる提督。明帝による外交政策のため、東南アジア、インド、アフリカにまで及ぶ遠征を行った。 | |
33 | ウルージ・レイス | ハイレディンの兄。海賊行為でモロッコ国境まで勢力を拡大しヨーロッパ諸国の通商に大きな影響を与える。奪った財は部下と分かち合う情の厚い一面もあった。 | |
34 | アンドレア・ドーリア | フランス海軍で活躍しつつも、神聖ローマ帝国に雇われ海軍提督となる。「地中海の鮫」の異名をとる。 | |
35 | アイドゥン・レイス | ハイレディンがオスマン大提督になった際に、アルジェ海賊の司令官になる。「悪魔殺し」の異名で知られる。 | |
36 | ピリー・レイス | 地図職人として優れた能力を発揮するオスマントルコの軍人。ハイレディンの配下として歴戦の提督となる。 | |
37 | グリマーニ | 商人、そして外交官としても優れる航海者。ある戦いで捕虜となるが、後にはヴェネツィアの元首となる。 | |
38 | ウルグ・アリ | レパントの海戦における、オスマン艦隊左翼司令官。後に大提督となり、海軍再建を行う。オスマン帝国の地中海制海圏の維持に尽力した。 | |
39 | アリ・パシャ | オスマン帝国の提督。レパントの海戦に、司令官として参戦する。中央部隊としてガレー船95隻を率い、奮戦した。 | |
40 | ジャンアンドレア | 「地中海の鮫」の異名をとるアンドレアを大伯父に持つ、ドーリア一族の若き傭兵隊長。レパントの海戦時には、ローマ教皇軍艦隊の右翼指揮官を務めた。 | |
41 | ドン・フアン | カール5世の庶子。24歳という若さでローマ教皇軍軍総司令官に推挙される。レパントの海戦において総司令官を務め、アリ・パシャと激突した。 | |
42 | サンタ・クルズ | イスパニアの海軍貴族。アンドレア・ドーリアと共闘の経験があり、豊富な経験と知識から「海軍の父」と称されるようになる。 | |
43 | アロンソ | 正式な名はアロンソ・ペレス・デ・グスマン。イスパニア無敵艦隊の総司令官に任命されるが彼には海戦の経験がなく、船酔いに苦しむことになる。 | |
44 | フロビシャー | イングランドの航海者。グリーンランド西の航海に3度成功する。ドレイクの西インド諸島遠征にも追従し、アルマダの海戦でも活躍を見せた。 | |
45 | エフィンガム | ハワード・エフィンガム。最高司令官としてアルマダの海戦に挑む。水兵たちにイングランドの国庫から給与が支払われないことを知り、自らの財産からそれらを支払った。 | |
46 | アゴスティノ | バルタザールが頼りとする部下で、諜報活動を主な任務としている。気さくで威勢も良く、仁義を重んじる昔気質の男。 | |
47 | バルタザール | イスパニアが誇る海賊狩りの精鋭・黒鯱傭兵艦隊の隊長。世渡り下手で貴族とはよく意見の衝突を起こすが、部下からの信頼は厚い。 | |
48 | ゴードン | イングランド海軍所属。ライザの部下として数々の活躍を見せている。変装もこなす。 | |
49 | ライザ | イングランド海軍所属。誇り高い軍人らしくあろうとするあまり、自らの感情を抑える一面がある。 | |
50 | ハイレディン | 地中海で猛威を振るい、恐れられるバルバリア海賊の首領。オスマン帝国に帰順し、海賊でありながら大提督として君臨する。「赤髭」の意味である「バルバロス」の呼び名は兄から受け継いだ。 | |
51 | ハイレディン | 地中海で猛威を振るい、恐れられるバルバリア海賊の首領。オスマン帝国に帰順し、海賊でありながら大提督として君臨する。プレヴェザの海戦ではオスマン帝国艦隊指揮官を務め、ローマ教皇軍と激突する。 | |
52 | フランシス・ドレイク | イングランドの私掠海賊。西インド諸島のイスパニア領で略奪をくり返し、恐れられた。アルマダの海戦ではイングランド艦隊副指令として参戦する。 | |
53 | ジョン・ホーキンス | イングランドの私掠海賊。スペイン語に堪能で、女王の暗殺計画を阻止し、信頼を得る。アルマダの海戦にも参戦し、活躍した。フランシス・ドレイクの従兄弟。 | |
54 | ヴァスコ・ダ・ガマ | ポルトガルの探検家。航路開拓の命を受け、リスボンを出発しインドへ至る。航海が成功した後は「インド洋提督」の称号を得た。 | |
55 | クリストバル・コロン | サンタ・マリア号船長。有力貿易商の家に生まれ、若い頃から商売と航海の生活を送り後に遠洋探険家となって大西洋横断を成功させた。出身はジェノヴァ共和国だという説がある。 | |
56 | ミケロット | チェーザレの腹心であり友人。彼のチェーザレに対する忠誠心は強く、さまざまなチェーザレの謀略は彼の手により執行されていたという説があるが、真相は不明だ。 | |
57 | トレヴィザン | ヴェネツィア海軍提督。応援として駆けつけたコンスタンティノープル防衛戦では艦隊の指揮を執った。迫り来るオスマントルコ軍を前に、一歩も引くことなく戦い続けた勇将。 | |
58 | トレヴィザン | ヴェネツィア海軍提督にして、ビザンツ帝国海軍提督。応援として駆けつけたコンスタンティノープル防衛戦において艦隊の指揮を執る。迫り来るオスマントルコ軍を前に、一歩も引くことなく戦い続けた勇将。 | |
59 | チェーザレ | チェーザレ・ボルジア。ヴァレンティーノ公とも呼ばれる。幼い頃からの教育により18歳で枢機卿となる。ダ・ヴィンチを所領地に招き、善政を敷きながらイタリア統一を目指した。 | |
60 | ケマル・レイス | オスマントルコ海軍提督。船に大量の大砲を乗せ、組織的に砲撃を行う大規模砲撃戦を考案した。ピリー・レイスの叔父。 | |
61 | 鄭和 | 明の武将であり、200隻の大艦隊を率いる提督。明帝による外交政策のため、東南アジア、インド、アフリカにまで及ぶ遠征を行った。 | |
62 | エンリケ | ポルトガル王国の王子。彼自身に航海の経験はなかったが、多くの地理学者や航海者を積極的に援助した。その理由はインド航路の開拓だったといわれる。 | |
63 | ディアス | バルトロメウ・ディアス。ポルトガルの航海者。ヨーロッパ人として初めて喜望峰に到達した人物。これにより、ポルトガルのインド航路開拓の可能性が生まれたという。 | |
64 | アルブケルケ | ポルトガルの軍人。インド洋に渡り、香料・香辛料交易の要となる港を確保し、多くの功績を得る。後にアルメイダの後継としてインド総督に任命される。 | |
65 | アルメイダ | ポルトガルの軍人。グラナダ攻防戦での活躍をポルトガル王に気に入られ、インド総督に任命される。拠点としたコチンでもマムルーク朝と交戦し、これを打ち倒した。 | |
66 | ハリル・パシャ | チャンダルル家の者。2代目スルタンの時代から帝国の発展に大いに貢献し、ムラト2世の治世に大宰相となった。ムラト2世の息子メフメト2世にも仕えたが、コンスタンティノープル攻略戦には反対だったようだ。 | |
67 | 王景弘 | 鄭和が率いる大艦隊の副提督。航海の特性上、冒険家、そして外交官としても活躍した。 | |
68 | アルヴィーゼ | オスマントルコとの海戦で功を上げ、ヴェネツィア国民の支持のもと元首時補佐官となった若き執政官。極めて冷静沈着で、行動は理性的である。 |