第97話 不協和音 (3)


まったく、俺はネーデ人に何か縁でもあるのだろうか?
あと数時間で禁止エリアになる場所に留まる奴はいないだろうと判断し通り抜けようとしたD-04で、俺はノエルと再会した。
仲間に会うのはこれで二人目。これで目出度く二人しかいないネーデ人の知り合い両方に再会したことになる。
もっとも、ノエルの方はとうの昔に冷たい体になっているのだが。
(……念のため診ておくか)
時計で時間を確認する。大丈夫だ、禁止エリアになるまでにはまだ時間がある。
本格的な検死なんて勿論無理だが、ゆっくり死体を眺められるほど安全なエリアなどそうそうない。
殺害犯の獲物ぐらいしか得られる情報はなさそうだが、情報はあって困るものじゃないからな。

――俺は弱い。この先生き残るためには、その事実を素直に受け入れるしかないだろう。
紋章術者のようにデカい一発も持ってなければ、剣士のようにリーチがあるわけでもない。
これが殺し合い開始直後なら、得意武器を持てなかった剣士くらいになら勝てるのだろうが、すでに12時間も経っている。
武器を得られなかった者達は既に全滅しているだろう。そして彼らを殺した強者達は、奪った支給品でさらに強力になっているはずだ。
そんな連中に真っ向から挑んで勝てると思う程、俺は自信過剰じゃない。そんなものは己の命を縮めるだけだ。
大事なのは現状をしっかりと把握すること。そしてその把握した手札をうまく使ってゲームを進めることだ。
そして今の俺の手札は、正直相当なものである。勿論悪い意味で。
大富豪の最強カードが11だった時に感じる「何だこれ」という感想をそっくりそのまま抱けるだろう。
まず自分の支給品がアクアベリーオンリー。子供の遠足のリュックサックにだってもう少し何か入っているぞ。
しかもそのアクアベリーすらアドレー相手に無意味に消費してしまった。いや、残っていても特に使い道はなかった気もするけど。

しかしアドレーの支給品だけは唯一のアタリと言っていいだろう。普通の人にとっては使えない代物かもしれないが、薬剤師の自分にとってはこの上なく有難いアイテム。
実際調合セットに含まれたアイテムを利用して先程2人も殺すことが出来た。まさに大富豪における八切りの8。弱い手札の中じゃ実質一番強いカードだ。
しかしこのカードはもう切れない。アルテミスリーフが半分ほど残っているだけなのだ。
そこまでして得たものは、正直割に合わない物ばかり。
まず七色の飴玉。これは論外。舐めると楽しい気分になるとか。アホか。

そしてパラライチェック。本来ならばアタリアイテムに思えるが、チサトが装備していなかった事が引っかかる。
もしこれが本当に自分の良く知るパラライチェックだとしたら、装備しない理由が特に思い付かないのだ。
もしかすると、このパラライチェックは自分のよく知るソレの劣化版なのかもしれない。
いや、それかもっと想像もつかない別のモノである可能性もある。
しかし、読み終わった後適当な場所に放っておいたままなのか、デイパックには説明書が入っていなかった。
故に、効果を断言できる日は一生来ないと言えるだろう。
そして、これが呪いやトラップの類だという『最悪の可能性』を考慮すると、『装備してみる』という選択肢は消滅する。
単なる紛い物という可能性があるだけで全幅の信頼はおけなくなっているのだ、ならばもう装備する理由はない。
といっても捨てる理由も特にないので、残しておいて何かの交渉の道具にでも使うとするのが一番だろう。

最後の一つはフェイトアーマー。装備しているとHPが少しづつ回復するというよく分からない仕組みの鎧だ。
凍結も無効にするらしく、紋章術師との戦いに非常に有効に思われるが、如何せん武器がない。
これだけ付加効果のある鎧なのだ。素手で撲殺する間敵の攻撃を防ぎ続けてくれるほど頑丈な出来ではないだろう。
一応痛みを和らげるために装備はしとくが、過度に期待して無茶をすることはよした方がよさそうだ。

やはり今一番必要なのは武器だ。どう考えても武器がいる。素手なのとナックルがあるのとじゃ天と地ほどの差があるからな……
だがしかしそう簡単に武器など手に入るものだろうか?
先程も言ったように、この殺し合いももう中盤に入っている。武器を持った人間を殺して奪うのには骨が折れることだろう。
チサト達にやったように騙し打ちで毒を盛ろうにも盛るための毒物がない。それになにより、俺を信用してくれる奴があとどれほどいると言うのか。
チサトとノエルだけでなく、すでにセリーヌとオペラが死亡している。クロードはゲームに乗っている。ディアスはかつての仲間ってだけで信用してくれるほどお人よしではないだろう。
つまり無条件で俺を信じれくれそうな人間は残すところあと5人。レナにアシュトン、レオンにプリシス、それからエルネスト。
俺を除いて現在生存者が33人と仮定すると、俺を信じてくれそうなのはだいたい6人に1人ということになる。
俺の予想ではこれは殺し合いに乗った奴と遭遇するよりも低い確率である。
そして未だに殺人鬼には会っておらず、無条件で信頼してくれる者には会ったばかり。確率からいって無条件で信頼してもらえる仲間には当分会えないと思った方がいい。
だとしたら誰かとの同盟を考えるべきなのかもしれない。信頼を得ることは難しいが、利害が一致する人間を見つけることは容易いはず。
人間的に信頼できなかろうが構わないのだ。すでに周りは敵だらけで、これ以上悪い事にはなりようがない状況なのだから。

「ん……? こいつは……ッ!」
数多くつけられたノエルの傷。それらを見ながら視線を足もとまでずらしていき、そして気付いた。
バーニィシューズ。
普段走り回らない紋章術師だろうとバーニィ並みの俊足を得られる魅惑のアイテム。これを求めてバーニィレースで破産する者も少なくはないらしい。
(ノエルを殺した奴はバーニィシューズの効果を知らなかったのか?)
とすると、ノエル殺人犯への認識を改める必要がある。てっきりノエルすら一撃でしとめられない人間だと思っていたが、どうやらバーニィシューズを履いたノエルを逃がさない程の実力者のようだ。
正直俺ならバーニィシューズを履いた奴にあっさりと逃げられる自身がある。犯人は機動力に優れているのか……
バーニィシューズを頂くとするが、これで安心だとは思わない方がよさそうだ。特にこの傷の大きさに合う剣を持つ機動力の高い殺人鬼と戦う際は逃げるという選択肢を消した方が良さそうだ。
そうなった時に一人ではやはり不利。俺が生き残るのに仲間の存在は必要不可欠だ。
だが一枚岩の大集団ではいけない。優勝狙いとばれた途端、その結束力で俺の前に立ち塞がれる。
利害関係のみで成り立っている集団か、もしくは武器はよくても本人に運動能力のない集団が望ましい。そういう所なら裏切る際にも勝算がある。
とりあえずノエルから脱がせたバーニィシューズを履き、金髪の青年の死体を診る。
大きな刺し傷以外に特に傷は見受けられず、大した情報は得られそうにない。
若干痙攣の後が見られるが、短い時間で道具もなしじゃ麻痺攻撃を食らったのかは分からなさそうだ。まあだが麻痺攻撃を警戒しとくに越したことはないだろうな。

「さて……行くか」
目的地は変更だ。本当ならここを突っ切って鎌石村まで行きたかったが、今の手札じゃあそこに行くメリットがない。
拠点にぴったりの場所に潜む殺人者がいる場合そいつの狙いはまず間違いなく奇襲であり、それはすなわち話を聞く気がない事を指す。
殺し合いをする気のない者がいる場合は集団と見ていいだろう。
『前衛が少ない場合は前衛になると言って武器を貰い、前衛がいる場合は前衛の連中が消耗するまで守ってもらう』というのが当初の作戦だったが、この作戦ももう使えない。
仮に後者になった場合、まず間違いなく前衛の奴にバーニィシューズを譲渡するはめになる。
現段階でバーニィシューズは俺の手札の最強カードになったのだ。それを早々に手放すわけにはいかない。
武器の譲渡をしなくて済みそうな、本当に利害関係のみのチームを組む。そのために俺は今から森へと引き返す。
生に執着し傷ついた奴が単独でいるとしたら、他者に見つかりにくい森の中だろう事が一点。
そして予想以上に煙を上げるホテルには自然と人が集まるであろうことが一点だ。
現れたのが話の通じない相手の場合今の装備ではピンチになるが、例の逃走が不可能そうな剣士が相手じゃない限りバーニィシューズで逃げられるはずだ。
まだガソリンが付着したままだから逃走経路が限られるが……その程度のギャンブルは仕方がないと割り切るしかあるまい。
山分けという条件を持ちかけて取りに行ってもらえば回収し損ねたガルヴァドスの支給品も手に入るかもしれないのだ。
この賭けのリターンは決して低いものじゃない。どちらかと言えばローリスク・ハイリターンな方。
だったら答えは決まっている。コールだ。鬼が出るか蛇が出るか、その賭けに乗ってやる。





 ☆  ★  ☆  ★  ☆





「別れようって……一体どうして!」
「クロードは誤解されてるんだし、その方がいいよ。」
誤解されているんだから、一緒に行かない方がいい。
かつて僕がジャックに提案し、そして後悔する原因になった提案を、今アシュトンはしてきている。
「駄目だ! この島では何があるのか分からないんだ、別行動なんて危険すぎる!」
アシュトンに悪気がないのは分かっているのに、つい声を荒げてしまう。
また同じミスを犯すわけにはいかないんだ!
「心配しないでよ。これでも一応クロードの足は引っ張らずにきたつもりだけど?」
「分かってるよ、アシュトンが弱いだなんて思っちゃいない。でもこの島には十賢者だって……」
「だから別れるんだよ、クロード」
アシュトンが急に立ち止まる。置いて行っては本末転倒なので、仕方なしに足を止めた。
「ねえクロード。プリシスを見てないかい?」
「いや……見てないけど……」
「僕は会ったよ。殺し合いが始まってすぐに、池の近くで」
プリシスに会った。それは素直に喜べることだ。プリシスは大切な仲間の一人だし、首輪を外せる可能性がある数少ない人物だ。
だけど、どうしても喜びの言葉が口から出ない。
プリシスに会ったのなら、何故アシュトンは単独行動をしているのだろう?
いつもの彼なら、プリシスを一人になんかしないはずなのに……
「でもね、僕は拒絶されちゃったんだ。だから傍にはいられない。心配だけどね」
馬鹿な……プリシスがアシュトンを拒絶したって?
確かにアシュトンに恋愛感情を持ってるってわけじゃなかったのかもしれないが、少なくとも嫌ってなんかいなかったはずだ。
それなのに、どうして……
「ああ、いいんだよクロード、そんな顔をしなくても……この島は“そういうルール”なんだもん。かつての仲間だって拒絶される可能性はあるよ」
確かにそうだ。一人しか生き残れないというルール上、仲間だろうが手放しでは信用できない。
積極的に仲間を殺して回る人がいなくても、疑わしい仲間を避けるのは当然のことと言える。
それでもやっぱりプリシスがアシュトンをっていうのは考えにくいけど、僕とチサトさんの前例がある。
何かしらの誤解を受けて拒絶されたという可能性もあるだろう。
「それよりも、クロードにはプリシスの護衛を頼みたいんだ」
「プリシスの……?」
「うん。変な大男が傍にいたみたいだけど、彼一人じゃちょっと心配だからね。クロードなら実力的に申し分ないし、プリシスに拒絶される心配もないからさ」
そう言ったアシュトンの表情はどこか悲しそうだった。
本当は自分で守ってあげたいんだろう。だけど、きっと彼はそれが出来ないでいるのだ。
理由は聞けない。見ただけで分かる戦闘の痕が、おそらく関係してくるのだろう。
僕のように戦闘する姿を見られたか、もしくは……誰かを殺すところを見られたのかもしれない。
暗いうえに服の色に溶け込んでいてわかりづらいが、アシュトンの体には血痕が付いている。
とはいえ、さっきからアシュトンが僕を襲って来ないことからも分かる通り、アシュトンに自ら仕掛ける気などない。
おそらくはあの冒険の時みたいに襲ってきた者を倒したにすぎないのだろう。
だがそんなことただの目撃者には分からない。分からせようにも逃げられたらどうしようもない。
僕がアーチェやチサトさんの誤解を解けなかったように、アシュトンもまた誤解を解くのに失敗したのだろう。
「だから、チサトさんは僕に任せて、クロードはプリシスの元に向かってほしいんだ。
 クロードが言ったように、十賢者みたいな強い奴らがたくさんいる今、プリシスの護衛は多いに越したことがないからね」
「でも、だからって……」
「頼むよ、クロード…………君にしか出来ないんだ」


君にしかできない。
そう言われて、僕の心は揺らぎ始めた。
確かに、もう12時間近く経っているのだからのんびりしている時間はないし、アシュトンには倒すとまでは行かなくても十賢者から逃げ果せるだけの実力がある。
その怪我の原因かもしれない馴れない両手剣が不安材料ではあるが、ギョロとウルルンのおかげで奇襲には対処できるだろう。
実際僕と違い自力で修羅場も乗り越えてきたように見える。
……あれ? むしろ未だに修羅場を乗り越えたことがない僕の方がおかしいのか?
ま、まあとにかく、確かにアシュトンの言う通り僕は心配しすぎなのかもしれない。
何よりアシュトンの誤解を解けるのは、実際にアシュトンが殺し合いに乗っていないと知ってる僕だけかもしれないんだ。
それぞれ仲間がいなくて誤解までされている身。誤解は広まりつつあるのかもしれないし、被害を少しでも減らすよう一刻も早く誤解を解いて回り仲間を作るか?
それこそ、今やらなければ後悔する事なのかもしれない。被害が大きくなりすぎてどうにもならないことになったら目も当てられない。
ジャックの時のように間抜け面して待っているのではなく、かと言って非効率的にも固まって行動するでもなく、僕は僕にしか出来ないことをやるべきじゃあないのか?
「……プリシスはどこに?」
「今は分からない。けど、僕もクロードも見てないってことは氷川村の方にはいないんだと思う」
「そうか……じゃあ、こうしよう。もうちょっと行けば確か分かれ道があるはずだ」
デイパックから地図を出して確認する。G-05で道が二股に別れていた。
「僕はここを右に行こうと思う。神社を覗いて、それから山を反時計回りに移動しながらプリシスを探す」
「……なるほど。じゃあ僕はホテル跡に寄って、それから平瀬村やらを覗いて反時計回りに移動してくよ」
決まりだ。一旦ここで別れて、それぞれ自分にしか出来ない事に全力を出す。
そして仲間を集めて合流し、プリシスと一緒に首輪を外す方法を考える!
「待ち合わせ場所は、そうだな……鎌石村にしよう。どんなに遅くても次の次の放送までには鎌石村に来ること」
「オーケイ、分かったよ。9時間後にはプリシスと会えるんだね……頑張らなくちゃ」
いや、僕がプリシスを見つけられるとは限らないんだが。
そう思ったが口には出さない。やる気を出してるならそれを殺ぐことはないだろう。
「ああ、そうだ、これ……使ってないし、アシュトンに渡しておくよ」
そう言って、ジャックの形見のレーザーウェポンを差し出す。
アシュトンの事を誤解したまま死んでしまったジャックは僕を恨むかもしれないが、これからのアシュトンの行動を見ていればきっと許してくれるはずだ。
「使い方はまだよく分かってないんだけど、ジャックが装備してたものだから使えるものだと思うんだ」
「……いいのかい? クロードにだって必要かもしれないじゃないか」
「いいさ。僕には愛用の剣があって、楯もあって、そのうえ敵意のある者を教えてくれるアイテムなんかも持っているんだ。これ以上僕が持ってたら罰が当たっちゃうよ」
そう言って、半ば強引にアシュトンへ押しつける。
これで少しでもアシュトンが生き残る確率が上がればいいな。
「それじゃ、僕は行くよ。後悔しないよう少しでも早く行きたいから」
「あ、うん、分かったよ。クロードの事を誤解してる人がいたら、ちゃんと誤解を解いておいてあげるから安心して。
 ……クロードが殺し合いに乗った、なんて聞いたら、きっとプリシスは泣いちゃうもんね」
「アシュトン……」
寂しそうにアシュトンが笑う。それからすぐにアシュトンは僕に背を向け走り出した。「それじゃ」と、ただそれだけ続けて。
「僕も……僕もちゃあんと誤解を解いて回るから! だから、だから死ぬなよ、アシュトーンッ!」
危険を顧みず大声で叫ぶ。素直な気持ちを伝えたかったから。声が届いたかは分からないけど。
アシュトンの誤解は解いておくから、アシュトンの居場所は作っておくから、無事にもう一度再開したい。
この気持ちに嘘はない。だから僕も走り始める。もう二度と同じ過ちを繰り返さないように。
迷いも吹っ切った。頭は冷静になった。僕にしか往けない道を見つけた。だったら後は走るだけだ。それでいいんだよね、父さん、ジャック――



放送の内容を聞き忘れた事を後悔するのは、それから数十分後の事だった。





 ☆  ★  ☆  ★  ☆





煙を見せつけられたのは、一体これで何度めだろうか。
走り始めてしばらくすると、木々の上に見える夜空に煙が立ち上るのが見えた。
最初に思い出したのはあの日襲われたトーティス村で、次に浮かんだのは焼け落ちた学校。
それからアミィ、名前も知らない女の子の亡骸、そしてアーチェ。
憎悪が腹の底から溢れ出し顔面に現れるのが自分でも分かるようだった。
「あの野郎……ッ!」
あの煙で分かった。奴はあそこにいる。あいつがまた誰かを焼き殺そうとしてやがるんだ。
そしてその場所も大体の見当がついている。
「くそっ、待ってろよ、チサト!」
あの時一緒にクロードと戦った一人と一匹。
あいつらは決して悪い奴なんかじゃなかった。時間があればゆっくり話もしたかった。
いや、過去形なんかじゃない。もう一度あいつらと話して、出来れば一緒にクロードの野郎と戦いたい。
だけどもうそれは難しい事なのかもしれない。
前回は準備が出来ていなかったからか何もすることなく撤退したが、クロードはご丁寧にアーチェを爆殺するほどの残忍な男。
目撃者は全員消すぐらいのことを平気でしかない男なのだ。
その男が俺達三人を野放しにしてくれるはずがなかったんだ!
「くそっ、くそっ」
もっとだ、もっと速く走るんだ俺!
もう二度とあんな想いはしたくないんだろ! 救える命を救いたいんだろ!
必死の思いで草を掻き分け前へと進む。走りやすい道を探す時間も惜しい。
ただ今は、今度こそ誰かを救えると信じて足を動かすだけだった。

どれだけ時間が経ったのか分からない。ただ恐ろしいまでに長く感じた。
頭の隅で、冷静な自分がこう告げる。「クロードの野郎はもう行っちまってるよ。チサト達は諦めて、息を整えたらクロード探索を始める方がいいんじゃないか」と。
それでも俺は止まらなかった。止まれなかった。
クレスみたいに完璧じゃないけど、時空の戦士の出来損ないもいいとこだけど、それでも何かが出来る筈だって。そう思いたくて、俺は森を駆け抜ける。
するとようやく森を抜け、俺の細い目に爛々と輝く炎が映った。
残念ながら見間違いの類ではない。どこからどう見てもあの時のホテルだ。
「ちく……しょおォ!」
この現実に動揺したのか、はたまた全力疾走したツケか、心臓が破裂するんじゃないかと思う程胸はバクバク言っている。
それでもそんなことを気にする余裕、俺にはなかった。
足に鞭打ちホテルの中に飛び込んで、精一杯声を出す。
「おい、誰か……誰かいないのか……!?」
その時だ。頭にコンと何かが当たった。クロードかと思い慌てて振り向く。
『男の腕には若干きついため火傷した手に優しくない』
そんな理由でエンプレシアを拳から外していたことを一瞬後悔し、石を投げた人物の姿を見てそれが徒労だったと知った。
ホテルからそれなりに離れた木陰から小石を放ったその影は、全く予想していなかった、だが予想出来ないわけじゃなかった人物のものだった。
「よう、数時間ぶりだな。金髪の兄ちゃんには会えたかチェスター?」
ボーマンの口元が笑みを形作る。その歪みが邪悪なものに見えたのは、おそらくは揺らめく炎のせいだろう。
そんな風に見えてしまうとは、どうやら俺は相当疲れているらしい。
「どうだ、俺の自慢の秘仙丹は効いたかい?」
その言葉に、俺の胸がチクリと痛んだ。





 ☆  ★  ☆  ★  ☆





短い眠りから目を覚まし、冷静になった頭で今までの行いを思い出して以来、アシュトン・アンカースは猛烈に後悔していた。
遊び間隔で男の傷口を抉ったことを。
紋章術師と思われる女性をいたぶるように何度も何度も斬りつけたことを。
変った服を着た少女の頭部を踏み潰したことを。
そして、レオンに対して行ったことを。
それら全てを、アシュトンは心の底から悔いていた。
(僕は馬鹿だ。何てことをしたんだ……)
休息を取る間は警戒をギョロとウルルンに任せ、自身は極力神経を摺り減らさないようにするはずだったが、“呑気に他事を考えられる程度の余裕”はアシュトンに冷静さと深い後悔を与えてしまった。
その事に気付いていたがずっと黙っていたギョロが、ようやくその口を開き本人へと尋ねてみた。
「……ふぎゃー(……どうした、アシュトン)
 ふぎゃふぎゃ、ふぎゃっふ(ホテルのある方向には既に火の手が上がっている。疲労が溜まっているなら無理してチサトを殺しに行く必要はない)
 ……ふぎゃっふぎゃぎゃ(……それとも、何か気になることでもあるのか?)」
気になること。それの中身が、今の二匹は気になっている。
アシュトンは今、何を考えている? 一体今のアシュトンはどうしたいんだ?
「ううん、そうじゃないよ…………ただ、今まで僕が殺してきた人達の事を考えちゃってさ」
「…………」
「少し、後悔してる。あの時の僕は馬鹿だった。ギョロ達にも迷惑だったよね、ごめん」
二人に申し訳なさそうに頭を下げ、これからのことを考える。
(ちゃんと反省しなくちゃな……)
情けなく眉を下げ、かつて光の勇者ご一行の台所番として活躍していたころのアシュトンの表情で。
アシュトンは、心の底から反省をする。

(次からは遊ばないでさっさと殺さなくっちゃね)

――致命傷を与えた後で首を撥ねずに暢気に男をいたぶったせいで、紋章術師に反撃の余地を与えてしまった。
――紋章術師を嬲り殺しにすることに時間を裂いたせいで、獲物を一人逃がしてしまった。
――少女の首を意味なく踏み砕く事に時間を使い、残りの人間を殺す時間を失ってしまった。
――レオンに要らない事をペラペラ喋るのに体力を使い、レオンを仕留め損なった。

“それらの事を”アシュトンは猛烈に後悔している。
後悔し、そして悪魔は成長する。
バーサーカーモードが解けて失ってしまった破壊力をカバーするように、頭はだんだん冴えてくる。
プリシスも大男という協力者を使っていた。光の勇者を始めとする歴代の英雄達には、必ずパートナーがいた。
一人で偉業は成せないのだ。むしろ仲間を上手く使ってこそ、ヒーローはカッコよくなれるのだ。エクスペルを救ったクロード・C・ケニーがそうであったように。
そこから殺人鬼は習んだのだ。仲間を作る事は大切である、と。



もっとも、彼がクロードを仲間にしようとしたのはそういった理由からではない。
理由は簡単。クロードに言った通り、今クロードが死ぬとプリシスが悲しむから。
プリシスに好かれたいと思っているという事は、未だにプリシスはクロードの事を想っているのだと認めている事になる。
その事に気付いてしまえば、クロードの死がプリシスに何を齎すのか予想するのは簡単だった。
そして、アシュトンは決めたのだ。クロードだけはまだ殺さないと。
クロードを殺すのは、集めた首輪を見せてプリシスの一番になってからだと。そうすれば、プリシスは泣かないで済む。だって一番はクロードじゃないのだから。
(そうさ、僕は君のためならどんなことだって出来る)
今のアシュトンは、ギョロとウルルンが思った以上に強かった。
確かにレオンを斬りつける時まではプリシスを“殺人の言い訳”にしている節があった。毎回毎回プリシスの事を口に出していたのもそのためだ。
だが今の彼はそうではない。冷静に考えて、“彼は自分が誤っていることを認めた”のだ。
それでもなお、彼はプリシスのために殺し合いに乗ろうと決めた。泥を被ってでもプリシスの望みを叶えたいと思った。
何故なら彼はプリシスの事が好きだから。
だからアシュトンは無理矢理手プリシスを手に入れようとはしなかった。プリシスが笑ってくれなければ、奪い取っても意味がないと思ったから。
プリシス自らが自分を好きになってくれないと意味がないのだ。

――プリシスも、きっとそうなのだろう。

冷静になりプリシスの行動の不可解さに気付いたアシュトンは、ある一つの結論を出した。
それは『プリシスは最後の一人になるつもりなど無い』というもの。
もし仮に最後の一人になるともりでいるのなら、何故裏切るかも知れない大男を傍に置き、自分に惚れていると分かっている男を遠ざけようとするのだろうか。
告白した時の反応からも、特別自分が嫌われているわけじゃないことくらいは分かっていた。
理由は考えたらあっさりと出てきた。僕を殺す気などなかったのだ。そもそも最後の一人になりたいのなら、あそこで追いかけてくるのが自然である。
つまり賢いプリシスは一人だけしか生き残れないと分かって『この戦いに生き残りたい』と考えたのではなく、『一番好きな人を生き残らせたい』と考えたのだ。
自分と同じ事を考え、本当は人を殺したくないけどクロードを生き残らせるために仕方なく人を殺すことにした。
見るからに危なそうな自ら手を下す踏ん切りのつかないプリシスが雇った戦闘狂といったところか。
だとしたらプリシスが殺し合いに乗ったと広めてしまったのはプリシスにとって不本意かもしれない。
だが、それによってプリシスが殺し合いに乗れるのなら、それは喜ばしい事なのだ。踏ん切りをつけさせてあげられるなんて、こんなに嬉しい事はない。
『プリシスに好かれる事』と『プリシスに嫌われるかもしれないがプリシスの役に立てること』なら、迷いなく後者を選ぶ。
それがアシュトン・アンカースという男であり、それが新たな彼の行動方針を支えている。
今は嫌われてもいいからプリシスの役に立ちたいと。あの日プリシスが言ったように、いつか1番になれる日がくるのだから、その時まではどれだけ泥を被ろうが構わないと。
(プリシスは気付いているんだ。クロードに想いは届かないって。だから2番目に好きな僕に失恋の辛さを受け止めてもらおうと、あの時生かしておいたんだね)
軽快か足取りで、アシュトンはホテル跡へと向かっていく。
大切な人の笑顔を、なんとしてでも守り抜くために。





☆  ★  ☆  ★  ☆








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最終更新:2009年05月11日 06:06