窓から見える景色は、やはり何処か色褪せていた。
空の色も、うっすらと灰色がかったような色をしていて、もうそれが何年も続いている。
記憶に残る、まだ人が生きていて良い時間の中にいた頃の景色を、女はぼんやりと思い出していた。

なんだかんだ言って、世界はやはり美しかったのだ。
あの頃の自分にはそれらを受け取る資格がなかったのだ、と彼女は無言で自嘲した。

もしあの時代に、ただの人間として生きて、そして老いて死ねたなら。
それはそれで、良かったのかもしれない――そんなことを考えながら。

『……いらっしゃい。久しぶりだな』

白い扉を静かに開けてから少しの間を置いて、力無くも暖かい声が響いた。
掠れたその声を聞いて、女は「彼」がまだ話せたことに少し驚きつつも、それに応えてベッドのすぐ側の椅子に腰掛ける。

「気分はどうですか」
女は老人の、皺だらけになった木の枝のような手を取ると、
横になっている老人本人に問いかけた。

『いや、今日は中々悪くないよ。……天気も良いし』
老人はそう言うと、首だけ動かして窓の外を眺めた。
それに応えるように、女も銀の髪を揺らして景色を見つめる。

『……やっと冬も明けたんだ、せめて今年の桜を見てから逝きたいもんだよ』
老人は一切の影のない穏やかな笑顔を、深い皺を寄せて見せた。
その黒い瞳は、淡い桃色の景色に思いを馳せるように、きらきらと輝いていた。
「先生から外出許可は貰ったんですか」
『一応ね。でももう、私一人じゃ歩けないし、どうなるかね。……それにしても、セリア』
「はい」

老人の言葉に反応し、セリアと呼ばれた女が向き直る。
すると、老人の皺だらけの両手がセリアの手から抜け、ゆっくりと彼女の白い頬に触れた。
セリアは特に抵抗せず、微笑んだまま受け入れる。

『お前さんは、本当に何も変わらないんだな』

静かな病室に、掠れた声が響く。
深い皺が刻み込まれた横顔と、皺のひとつもない白い横が向き合う。
セリアは何も応えずに、旧友の黒い瞳を見つめたままだった。

『私のお迎えはそろそろだが、お前さんはあとどれくらい生きるつもりなんだね。 死のうと思えば、いつでも死ねるんだろう?』

声が壁に吸い込まれ、静かになった。
セリアは青紫の瞳を黒い瞳から離さず、静かに口を開いた。

「"さあ?"……としか」

そして、息を吐いてまた微笑む。
……今度は、少し疲れたような、乾いた笑みだった。

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最終更新:2011年08月07日 15:41