轟くファンファーレに花火。
 輝く太陽を据える空の下、中央政府のケフィーヤ、シャングリラ宮殿前の広場に正装をして一人の男が立っていた。
 彼の周囲にはずっと年老いた人々が群がり、死肉に蠢く虫のようにみえる。
 男の隣に一人の女性が葡萄酒の入ったグラスを片手にやってきた。
 彼女は虫の天敵なようで、虫たちはちらちらと二人を見やりながら少しずつ距離をとっていく。
「ごきげんよう」
 青年と少年の境目にいる彼は声をかけられてようやく隣にやってきた女に気付いたらしかった。
 旧御蓮軍の軍服に、ベレー帽。左目には眼帯。セミロングの髪は黒い。
「退屈そうだね」
「……あなたは?」
 ビー玉のような目で男は女を見つめた。
「レインディアーズの芳田だ。」
 ふと、男の脳裏にあの戦いで現れた青い機体がうかぶ。
「今回の戦闘での証人として呼ばれたんだ。本当は彼方が来るはずだったんだが、何が起きるかわからないからね。この恰好も威嚇のためさ」
「かなた……」
「きみのいとこらしいが」
「聞いたことは、あります」
 青――白――黒と金。それぞれが交差しあい、消え、落ちてゆく黒と金。男の記憶の中には、ずっと何かが引っかかっているけれど、それが何だったのかすら思い出せなかった。
 ――彼が記憶の引き出しを開けようとする手を誰かが掴んでとめて、そっと誰かは手をもったまま、別の何かに興味をむけさせる。
 意識の中に誰かがいる事も次の瞬間には忘れて、男はずっと前方の繭を指差した。
「あれ、なんです?」
 黒と金色の巨大な繭。
 男の目には先ほどからそれが映っていたが、今までたいした興味はなかった。
 芳田は自分の顎を撫でながら訝しげな顔で呟く。
「聖戦のために作られたアームヘッドって聞いたな」
「……そう、ですか」
「もう少し近くで見てみようか。きみのものになる機体だ」
 男の手を取り、芳田は人を避けながら黒と金の繭の前へにやってきた。
 繭の周りには囲うものは何もなく、男は吸い寄せられるように一歩前へ踏み出してその繭に触れる。
《私はお前を知っているぞ》
 ――瞬間、繭が花のように咲いた。それは数十枚の翼を持つ鳥だった。
《私はお前を知っている。だが、誰かは知らない》
「……何を言っている?」
 これは、鳥の声である。男にしか囀りは聞こえない。
 怪訝そうな顔をして男に近づく人々の手を、何かを感じ取って芳田が振り払い、そっと自らの口元に人差し指を立てて傍よせた。
《名無しを知っているか》
「何の話だ」
《夢を見ていた。夢の中でナウ・シンギュラリティはエイジアとお前の間をつなぐ男が居たと。夢の中でそう言っていた。その男は名無しであり不必要な音符であり修正され消え失せ今は無かったこととなっていると、彼女は言っていた》
 鳥はだらだらと何かを呟き続けた。
「だから、何の話だ」
《何の話? 私は、今、何を?》
 男はいらだちながらかぶりをふった。
「おれが知るわけないだろう」
《お前は、わたしの三番目の主となる》
「は?」
《わたしは、ロウ・バード――》
 鳥は翼を収縮させ、死ぬように再び繭へ戻っていく。
《――セイントメシア・ディミニッシュ》
 繭は沈黙した。
「霙茲、話は終わったかい」
 芳田が笑いながら男へ語りかける。
「あ、はい……」
 微笑み、芳田は後ろにいる誰かを顧みた。そこには、車いすを押す一人の女性が居た。
「きみが、空条霙茲か」
 女には首から下の右半身がごっそり失われている。
「私は、中央政府軍大佐のマリヤ・エイジア。……左手で失礼」
 差し出されたマリヤの左手を、男は握り返した。
「中央政府から、きみにこのセイントメシア・ディミニッシュを献上する」
 堅い口調でマリヤは言い、いつの間にかその場は平和的な拍手と解決に流し込まれている。
「……ありがとう、ございます」
 男は、なにか喉のつかえを感じた。
「頼みがある。試しに私と一緒に飛んでくれないか」
 銀紙を折り曲げたような笑顔。男はそれを見て微笑みかえす。
「……わかりました」
 頷いてから顧みると、すでに繭は鳥となり、コックピットが開いていた。
 男は車いすを押してマリヤを先にコックピットの後ろへ座らせると、その前方に自分も腰かける。
 ハッチが閉まると、男はさも当然のように初めての機体を操作し、浮くように上空へ飛び立った。
「もっと高く、飛んでください」
 マリヤが後ろからそう言う。
 海岸線がわかるほど高く飛び、気が付けば男の右横にマリヤの顔があった。
 するりと男の首にマリヤの左腕が巻き付く。
「おとすの?」
 マリヤは応えなかった。
「……ねえ、おれで、こいつに乗ったのは三人目?」
「二人だけよ」
 そういうと、マリヤは左腕に力をこめる。
 男は抵抗するそぶりさえ見せず、気絶したようにぐったりと脱力した。
 マリヤは腕だけで器用に前の座席に行くと、ぐったりしている男の膝の上に座り片手で操縦桿を握る。
 空にあるアームヘッドを操作して地面に墜とすには彼女の腕ひとつで十分だった。
「普通、腕一つじゃおちないよね」
「墜とすには一本あれば――」
 そう言ってから、マリヤは目を見開いて後ろを振り返る。
 平然とした顔で、男が目を開けていた。
「――っな、あなた……」
「マリヤさん、力弱すぎ」
 ぐっと半身を軽く起きあげて、男はマリヤの腰に手を回して抱きかかえると、簡単にマリヤは彼の膝の上におさまってしまう。
「離せ」
「いいこいいこ」
 男は右手でマリヤの頭を撫でながら左手と右足で器用にアームヘッドを操縦し降下させていった。
「……私のこの身体は、お前らの仲間だったラスターによるものだ」
 凄まじい怒気でマリヤは男の顔を睨む。
「復讐ですか」
「そうだ」
 男はいまだ茫々と、わかったようなわかってないような顔で頷いていた。
「おれもこないだの戦いで仲間を沢山失いました。だから、代表して貴女に復讐します」
 マリヤはあざけるように笑い――
「やってみ――」
 ――瞬間マリヤの両目が大きく見開かれる。
 彼女の右耳を、甘噛みしていた。
「なっ、なにやってるんだ!」
「これはふくしゅうです」
 もごもごしながら男が言う。
「っく……!」
 顔を真っ赤にしながらマリヤは目を閉じた。
「私を辱めるのがお前の復讐だと言うのなら、私は受け入れよう」
「いや、趣味です」
「お前だけは殺す!」
 マリヤはじたばたしながらなんとか男の腕から離れようとする。
「そういえば、今どこに住んでるんですか?」
 耳から口を離しながら器用に降下を続け、男が言った。
「……軍の女子寮だ。今月いっぱいで辞めるがな」
「じゃあ、一緒に部屋探します?」
 律儀に答えたマリヤが抵抗をやめビタッと固まる。
「おれ、これから一年くらい事後処理でケフィーヤに居ないといけなくなって」
「お前はバカなのか?」
「えっ、だめですか。せっかくだし」
 わずかな衝撃。セイントメシア・ディミニッシュは地面に着地した。
「まあ、同居は冗談ですけど、何かあったら呼んでください。なにかの縁ですし」
 男はメモ紙をとり出すとさらさらと連絡先を書き、マリヤに渡す。
「あっ、復讐はやめてくださいね」
 コックピットハッチを開け、明るい光を背に男は笑った。
「じゃあまた」
 ぴょんと軽快に、飛び降りる。
 マリヤは、深呼吸のようにため息をついた。


   ◎◎◎


 ケフィーヤの石造りの建物に囲まれた歴史のありそうな路の上を車いすに乗った少女と黒い髪の男が歩いていた。
 建物は黒ずんで汚れ、人も少なくどこか寂しさを感じさせる。
 船団が次々と旅立ち続ける終末にあっても、中央政府といわれるからにはそれなりに治安は安定している方の街であった。
「奇遇ですね、マリヤさん」
 黒髪の男は嘘臭く笑いながら車いすを押す。
「あんたが笑いながら言うと嘘臭いわ」
「笑うのって慣れないんですよ」
「じゃあ笑わなければいいじゃない」
「でも、おれとしては、笑いたい」
 車いすに乗った赤毛の女はため息をついた。
 彼女の顔を上から眺めて、霙茲は言う。
「マリヤさんに会うと、いつもため息をつかせてる気がします」
「敵に懐かれる側の身にもなりなさいよ」
「敵なの?」
「敵よ」
 霙茲はわかったようなわかってないような顔で頷いた。
「どうやったら友達になれますか」
 唇を尖らせばつが悪そうに黙るマリヤの右の頬には真新しいガーゼがある。
 車とぶつかってこけた彼女を霙茲が助けたのだ。車に乗っていた側も見ていた側も当たり屋が多いので助けることはあまりなかった。
「止めて」
 霙茲は素直に言葉に従って止まる。
 マリヤは一人、右手についている操縦用のスティックで前へ進み、くるりと半回転して霙茲の顔を見る。
 すると、霙茲はその場で正座した。
「……べつにそのままでもいいわよ」
「真剣な話は相手と目を合わせろとアウルが言ってた」
 一瞬黙って、マリヤは続ける。
「霙茲。これからつきあいなさい」
「わかった」
「……ねえ」
 茫々と、従順に頷く霙茲にばつが悪そうな顔でマリヤが聞いた。
「どうして、私についてくるの」
「そうしないと、いけないような気がして」
 マリヤは一瞬黙って、ため息をついたあと呟くように言う。
「私もよ」


   ◎◎◎


「……マリヤ」
 世界は、俺がいなかった世界に戻っていく。
 こんなことならケフィーヤの街できみと不味いドーナツを食べたあの日に、好きだと言えばよかった。
「消えたくない。なにか、一つでもいい。俺が、存在した、証明を……」
 おれの右手を何か羽毛のようなものが掴む。
 ――Lu lu lu……
 ――Ta ta ta……
 ――Do do do……


 そして、この世のどこにもいなくなった。

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最終更新:2015年04月08日 21:47