ご苦労なことだ。
厳徒自身も含めて。
「ガンさんが捜査やるの? 上級捜査官が?」
「ま。ね」
一拍置き。
「次期局長ご推薦なもんで」
「――お疲れ」
事情を知る彼はそれ以上は何も言わなかった。
というより、河原からの「腕部発見しました!」の声の方が雑談より重要だ。
「今行く! ――ガンさんは」
「見たいな」
ライトで白と黒に塗り分けられた夜は。人いきれと、腐臭で淀んでいた。


現場の処理が全て終わったのは、十一時近くになってから。
申し送りと、明日以降のとりあえずの指示を出して、厳徒の仕事も終わる。

――厳徒海慈の、捜査官としての仕事は、今日はそれでおしまい。
だから、真っ白い顔した新米上級捜査官を家まで送っていったのは、彼にしては
非常に珍しい“サービス”だった。

言葉少なな巴の指示に従い、車を住宅街に滑り込ませる。
厳徒がハンドルを握る間、助手席の彼女は俯いたまま、膝に載せたローヒールの
パンプスを見つめていた。彼女が履いているのは四時間前に買ったばかりの運動靴。
白かったそれは既に土で汚れている。
やがて車はひとつのマンションの前に止まり。
「主席捜査官」
巴が、口を開く。
「何」
厳徒は答えながら助手席扉のロックを外す。かこん、と鍵の上がる音が響いた。
「捜査に参加させてください」
真直ぐな声だった。
返答は、「あ。そ」対照的に不誠実なものだった。
「主席捜査官! 私は──!」
「あのさ。遺体見たばっかりで興奮してるのは分かるけど──少し、落ち着いて
くれる?」
ハンドルに半身を預けつつ横目で見た彼女は、黒いスーツと。硬すぎる面差しの。
かり、と。
彼女が、無意識の行動なのだろう。
自分の、爪を、噛む。
ひどく子どもじみた仕草だった。

――ああ、若いな。と思った。
まだ、理想だの信念だの正義感だので動ける──(……?)──違和感、が。彼女
の目、これは、正義感、とか、被害者への同情、とか、否勿論それらも含まれては
いるのだろうが。果たして“それ”だけで構成されたものだろうか──?
「被害女性の、状況ですが」
巴が口火を切る。
「死後三日から五日が経過。年齢は二十代から五十代。身元確認の出来る所持品は
なし。……右腕、が、損壊。生活反応は確認できず、死後に切断されたものです。
他、外傷が、腰部と大腿部の骨折及び右側頭部の陥没。こちらは生前のものです」
突然並べたてられる言葉を、厳徒はしかし止めない。促すことはしないが、無視
もしなかった。
「骨折が、乗用車による接触事故の典型的パターンを示しています。死因は、車との
接触によるものと推定されます。おそらくは犯人が被害者を撥ねた後、何らかの理由
で遺体を損壊、遺棄したものと思われます」
「──ナルホド。や、ナカナカの意見だね。トモエちゃん」
見るべきトコロは見ている、というアピールか。
「それで。今の、何処までが確認の取れた“証拠”で、何処からがキミの単なる
想像?」
「……っ。遺体の、損壊状況は、鑑識捜査官の所見によるものです。これは“証拠”
として提出できます。あとは」
私の想像です、と呟く彼女の顔は、何というか、とても。
「トモエちゃん」
「――はい」
「捜査したいのって、セーギカンとか、被害者がカワイソウだとか。そういうの?」
「いいえ」
真直ぐ上げた視線は。
笑ってしまうほど──ひたすら“まっすぐ”としか形容のしようがない代物で。
「私がいれば、捜査がはかどるからです」

――私は、優秀、ですから。
続く傲慢な台詞をいっそ清々しく見せていた。

そういうのは。
キライじゃ、ない。

「明日。午後一時」
だから厳徒は僅かに笑みを含み。
「警察局の、ボクのオフィス。遅れないように」
巴は頷き。ようやっと車から降りて。

「そうそう。スーツ。すぐにクリーニング、出すといいよ」
車の外、巴がうろたえた様子で胸元を隠す。乾いて、吐瀉物の跡が目立つ箇所を。
厳徒が言うのは“そちら”ではないが。
「今は嗅覚がマヒしてるから気づいてないだろうけど──死体のニオイって、残る
モノだから。ね」
握りしめた手の関節が、白くなるのが見えた。
「じゃ」


──折れない芯のある人間だ。野心か信念かはたまた理想かは知らないが、心の
何処かに絶対的な物差しを抱えている人間の目をしていた。
強情で、従えるのに苦労する。
代わりに。
一度手懐けてしまえば扱いやすい類の、人間。
「ま。いいか」
ハンドルを握り、厳徒はひとりごちる。
一度試してみて、使えなければ切ればいい。
あの目。
少なくとも試す価値はありそうだ。
ひどく。楽しい気分だった。


翌日。警察局、厳徒のオフィスに、巴は時間通りにやってきた。
失礼します、とかっちり挨拶をする彼女はどこからどう見ても才気溢れる新人
捜査官で。
「何かあった?」
「……何故でしょうか」
「眉間にシワ。ビジンが台無しじゃない」
巴はしばし黙りこみ、やがて振り切るように「大したことではありません」と言い
きった。
「こちらに伺う前に、副局長とお会いしただけです」
「それだけ?」
「少々、お話を」
話だけでこの仏頂面とは、さてあの男は彼女にナニを言ったのやら。
「セクハラでもされた? やだねー。モテない男は……アレ?」
掛け値なしの冗談だったのだが、巴は一瞬ものすごく嫌なことを思い出したという
顔をする。
「根拠の……ええ、根拠のない中傷です。下らないことです」
何故か巴は“コンキョ”という単語を二度繰り返した。
ふうん、と厳徒はしばしそんな彼女を観察し、
「じゃ。気分転換にドライブ行こうか」

「――え?」
ぽかんとする巴の鼻先で、車のキーをくるくる回してみせる。
「天気もいいし。ついでにゆっくりお茶でもしてく?」
「あ……貴方! いえ、主席捜査官! 何を考えているんですか!」
怒られた。
「今は事件の捜査中で、……これじゃ副局長の言う通りの……」
(ああ。そういうコト)
ほとんど独り言の後半部分を聞き、ようやっと彼女の態度の根拠を理解する。
「何? “女好きで片っ端から手を出すから気をつけろ”とでも言われた?
それとも。“もうカンケイがあるのか”とか」
顔色からすると後者が当たりのようだ。
厳徒は笑声を上げる。
「やだなー。ボクはそんながっつかないって。ホラ、ボク、見た目通りモテるから」
しかし巴の警戒心は解けない。
内心舌打ちをする。少しばかりやり過ぎたようだ。以降は気をつけるとしよう。
「あらら。……からかい過ぎたな」
ゴメンゴメン、とわざと大袈裟に謝り。
表情はそのままに口調を改める。
「被害者の身元、判明したから。所轄まで一緒に。どうかな」


被害者の身元確認が迅速に行われたのは、彼女の捜索願いが所轄署に出されていた
からだ。
三十代の女性。家族と同居していて、夜に「コンビニまで行ってくる」と言って
出掛け、それきり帰らなかった。
「最初はよくある家出人かと思ったんですよ。最近色々あるでしょう? 仕事も今
の生活もうっちゃって、ふらーっとどっか行きたくなるってコトもあるだろうし。
でもまあ、そこは親ですから。ウチに届出て、こっちも捜査して」
「で。昨日のアレ、と」
「事故のセンなんですよね? 現場を発見して保存してあります。すぐにも案内
できますよ」
「や。急に押し掛けたのに、協力アリガトウございます。いやホント」
ショチョーさん、と呼びかける厳徒の声は愛想が好い。
下手な態度に気を良くしたのか、テーブルを挟んで座る所轄署署長の顔が、目に
見えて緩む。
「しかしわざわざ本局からいらしゃるとは、大変ですなあ」
「そうでしょう。そうでしょう。今の局長も、今年で退官ですし」
署長と厳徒がのんびり会話する、その横。厳徒の隣では、巴が目の前の湯呑みと
羊羹を前に微妙な顔をしていた。この場を早々に切り上げて現場に直行したい、と
いう風情だ。
連れの要望をさくっと無視し、厳徒は会話を続ける。

いくつかの世間話の後、
「厳徒主席捜査官、遺族の方に顔を出されますか?」
「いや。今日はエンリョしときますよ」
この格好ですし、とオレンジの派手なスーツを指差す。
「また後日。改めて。――事件解決の報と一緒に、ね」
「ああ、分かりました。じゃあ、ウチからひとり案内をつけますんで──」
ようやっと腰を上げる署長、にこにこ笑って礼を述べる厳徒、そして、
「主席捜査官。もし宜しければ、私だけでもご遺族の方に挨拶をしてきます」
控え目に提案する巴への返答は、
「あー。いいよ。要らない要らない」
如何にも“ムダなことはするな”といった風だった。
「今、ムスメさん“返って”きたばっかりだし。マトモな証言は無理でしょ。面倒
は所轄に任せて、ボクらは現場。見に行くよ」
署長は先に立って歩いている。
だから今の言葉は、巴ひとりに向けてのものだ。
「そんな言い方──」
「あのさ」
厳徒が足を止める。
巴の歩みも止まる。
「ボクらの仕事って、ナニ?」
厳徒が浮かべている表情は、分類としては笑顔に入る。裏から滲み出る感情が何
であっても、少なくとも、造形は。
「泣いてる人間にぐだぐだ構うコト? 『今からハンニン探しますから!』って宣言
するコト? ――違うね。
犯罪者を、しかるべき場に引きずり出して、ツミを償わせるコトだ。
安っぽい同情は正義の味方に任せておきなよ。ボクらは法の番人なんだから」
ボクの言うこと理解できるかな、とまでは、言わなかった。
言わずとも理解して貰わねば。その程度の理解力もない人間では、困るのだ。

 事件現場は住宅街の端、林に面したうら寂しい一方通行道路。ガードレールもなく
掠れた白線が引いてある。一軒家があるが、空き家になって久しいとのことで目撃
証言は望めない。街灯こそ立っているものの、正直な話、夜に女性がひとり歩きする
環境ではなかった。
きっと。慣れた道だったのだろう。
災禍が我が身に降りかかることも考えられないくらい、何度も何度も通った場所。

――との感傷は、厳徒とは無縁だった。
勿論、被害者の気持ちを思いやったり、世の理不尽に憤ったり出来る刑事もいる
ことにはいる。厳徒がそのタイプではない、というだけだ。
「現場って、アレ?」
車から降りて開口一番、パトカーで先導してくれた制服警官に訊ねたのは、派手
に崩れたブロック塀についてだ。
しかし警官は首を横に振る。
「あちらは別の事故ですよ。飲酒。処理も終わってます」
「飲酒運転ですか」
バックからカメラを取り出していた巴が、警官の台詞に反応する。
「凄かったですよー。今週の月曜……いや、日付変わったから火曜か」
「被害女性が家を出たのは──月曜、二十一時でしたね」
「みたいですねえ。ワタシ、その日は当直だったんですけど、朝の四時に事故った
本人から通報が入って。四時ですよ、四時。で、行ってみたら塀はこのとおりだわ
車は大破だわ、なのに運転者はぴんぴんしてるわ。もう呆れましたわ」
「そんな時間に? 運転者はどんな人物だったのですか」
「フツーの会社員でしたね。なんかイヤなことでもあったんですかねえ。後部座席
にビール缶やらウィスキーボトルやらが散乱してて。もう酒とゲロで車ん中はすごい
臭いに……あ、すみません。女性にこんな話」
「いえ、お気遣いなく。
私は捜査官ですから」
「ははあ」
言葉だけなら感嘆だが、態度には微妙に呆れが混じっている。
それを努めて見過ごし、巴が事件現場に案内するよう促す。

こちらです、と示されたのは、林側の道だった。
白線を跨ぐようにして残る黒ずんだブレーキ痕と、
「……血痕、でしょうか」
「血液鑑定は──そう。終わってるの。なら確実だね」
微かに、しかし確かに引かれた赤黒い線。ブレーキの跡から始まり、林の中へと
消えている。
「はねられたアト、道路に転がって骨折、死亡。だな」
巴がカメラを構える。その手が震えていた。
素人じゃあるまいし、と思い、彼女の顔をかすめ見て、
(――ああ。そうだな。シロウトじゃあない)
そこに、個人的な怒りよりも職業的な熱意の分が多いことを確認する。
彼女は若く、アマいのだろうが。捜査官だ。

「……ブレーキの、アト」
不意に、巴が呟いた。

「何か見つけた?」
「見つかりません」
見つからない?
得心がいかない、という口ぶりで、彼女はもう一度繰り返す。
「ブレーキ痕がひとつだけです。事故は二度起きたのに、人身事故のコンセキしか
ありません」
ふうん、と厳徒も路面を観察する。急ブレーキを掛けた際、タイヤと路面が急激に
摩擦することで残るアト、それがブレーキ痕だ。それが無いということは、
「ブレーキをかけずに突っ込んだ、ってコトかな」
ぐしゃぐしゃに崩れたブロック塀、スピードをどれだけ出していたかは知らないが、
これで運転者が無事だったというのは、「ズイブン、運のいい話だ」
腕時計で時刻を確認。午後三時半。
まだ色々とやれる時間だ。
「あ。ちょっと、キミ」
厳徒が、手持無沙汰な警官へ話しかける。
「こっちの事故の資料も見たいな。署に戻るからさ、キミ、用意してくれる?」
「はあ」
警官は首を傾げ、
「調べますけど……カンケイ、あるんですか?」
「だってさー。どうよ、トモエちゃん」
巴は一瞬沈黙し、
「……同じ場所で、一日を置かずして、二つの“事故”が起こる。不自然、です。
それに、もし関係がなくとも何らかを目撃しているかもしれません」
「ははあ」
警官は制帽を取り、頭をかりかり掻いて、
「関係……関係ねえ。まあ、署に連絡して、資料を用意させますよ」
捜査官ってのは何考えてるんだろうなあ──とでも言いたげにパトカーへ身体を
突っ込み、無線で連絡し始めた。
「――同一犯を疑ってるワケ?」
その背を横目に、巴に訊ねる。
巴は唇を結び、
「……同じ人間が、同じ場所で、二度事故を起こす。しかし片方は隠蔽し、もう片方
は自ら通報する。……“不自然”、だとは思います」
けれど、と彼女は続けた。
「ごく普通の会社員が、平日に朝まで飲酒し、車を運転するというのも“不自然”
ではないでしょうか」
それは、決して“有り得ない”ことではない。
けれど、どうにも“不自然”だ。
「納得がいかないトキ、捜査官ならどうするべきか。知ってるよね」
巴が顔を上げる。厳徒を見る。視線が合う。
厳徒はにやりと口の端を上げる。
「証拠品。事件の証明は、全て“証拠”で行われる。──お手並み拝見といこうじゃ
ないか。宝月上級捜査官」

 

最終更新:2020年06月09日 17:35