オカシイ世の中覚え書き

海自イージス艦と漁船衝突、親子が不明…千葉・野島崎沖 (読売新聞)

19日午前4時7分ごろ、千葉県房総半島野島崎南42キロ沖の太平洋上で、海上自衛隊のイージス艦「あたご」(艦長・ 舩渡 ( ふなと ) 健1等海佐、排水量7750トン)と、新勝浦市漁協(千葉県勝浦市)所属の漁船「清徳丸」(全長約12メートル、7・3トン)が衝突した。

 この事故で清徳丸の船体が真っ二つに割れ、乗っていた親子2人が行方不明になった。

 あたごは世界最高水準のイージスレーダーを装備する最新鋭艦。海上保安庁は、業務上過失往来危険容疑で近く舩渡艦長らから事情を聞く。

 石破防衛相に事故の報告があったのは発生1時間半後で、福田首相は省内の連絡体制の不備を批判した。

 海自の艦船と漁船の大規模な衝突は、1988年7月に死者30人を出した横須賀港沖の潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」の事故以来20年ぶり。

 第3管区海上保安本部(3管)によると、行方不明になっているのは清徳丸の船主で勝浦市川津の 吉清 ( きちせい ) 治夫さん(58)と長男の 哲大 ( てつひろ ) さん(23)。

 3管には午前4時23分、あたごから「本船と漁船の清徳丸が衝突し、清徳丸が二つに割れて浮いている。人員等は見当たらない」と通報があった。あたごの艦首が清徳丸の船腹に横から衝突したとみられ、読売新聞の取材用ヘリからは、あたごの艦首右側に、衝突した時にできたとみられる傷跡が喫水線付近に確認できた。3管などでは、割れた船体が沈まないよう「エアリフター」と呼ばれる機器を取り付け、特殊救難隊員らが船中を捜索したが、船橋部分は切断されて水没し、船体からは2人は見つかっていないという。

 事故当時の現場は北北東の風約7メートルで、波の高さは約0・5メートル。視界は良好だった。新勝浦市漁協川津支所によると、清徳丸は19日午前2時ごろ、僚船の「金平丸」など7隻とともにマグロのはえ縄漁のため勝浦市の川津港を出港。伊豆大島沖でエサとなるサバを釣って漁場の八丈島沖に向かう計画で、同日午後9~10時に帰港を予定していた。事故の一報を受けた漁協川津支所が、金平丸に連絡を取ったところ、「護衛艦を見た」と話していたという。

 海上幕僚監部は事故調査委員会を設置。あたごは通常の宿直体制をとっていたという。

 海上衝突予防法では2隻の船がすれ違う場合、右側通行が原則で、航路を互いに横切る時は、一方の船を右側方向に見る船が回避する義務がある。ただし漁の最中の漁船には常に優先権があるため、もう一方の船が針路を譲らなければならない。衝突現場はサバの漁場付近。漁船は漁の最中、マストの一番上にある緑と白の全周灯をつける義務があるが、清徳丸が当時、漁をしていたかどうかわからず、全周灯をつけていたかどうかも不明。海保は双方に前方不注意の可能性があったとみている。

 あたごは全長165メートル、幅21メートルで乗員は約300人。昨年10月25日に舞鶴港を出港して、11月8日に米国ハワイ沖に到着し、今年1月21~25日、迎撃ミサイルSM2の発射試験を行った後、今月6日に日本に向かい、19日に横須賀港に入港する予定だった。

 吉川栄治海上幕僚長は午後1時から記者会見し、「あたごが回避行動をとったと聞いている」と述べた。

[ 2008年2月19日13時41分 ]

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最終更新:2008年02月22日 11:31