※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

人名・た~わ

高橋名人(たかはしめいじん)

 ご存知、「ファミコン名人」。本名は「高橋利幸」だが、こちらの呼び名が一般的である。
 いわゆるファミコンブーム時代に所属するソフト会社、ハドソンの広告塔として活躍する事に。秒間16連射であっというまに有名となり、当時の子供達のカリスマとなった。
 高橋名人をその名を轟かせた16連射で有名なゲームは『スターソルジャー』が挙げられる。このゲームを使った全国キャラバンも開かれ、スターソルジャーの人気拡大にも大きく貢献した。
 余談だがこの16連射、一時期「コントローラーにバネを仕込んでいる」という噂が流れ、それに対して実際にバネを仕込んだコントローラーで実演して見せた。結果は「バネのせいで余計押し辛くて連射できない」というものであった。(間に異物を挟めば押しづらくなるのは当たり前である。しかもバネは反発する。)また、シュウォッチで計測したところ実際は秒間17~18連射だったという逸話も。
 連射のわずらわしさから連射機能搭載のコントローラーを開発したり、ゲーム開発にも一枚かんでいたりとゲームデザイナーとしても活躍しており、ただの客寄せパンダでは無い確かな能力を見る事ができる。バランスがシビアなことで知られる『邪聖剣ネクロマンサー』のテストプレイにおいて、全てのパーティーでクリアした実績もあり、シューティングやアクション以外のゲームも上手い。
 PTAからの無言のプレッシャー、業界の後の事を考えて言った「ゲームは1日1時間」はあまりにも有名。なお、この発言を取り上げる際、彼が主役となった『高橋名人の冒険島』がとても1時間ではクリア出来ないという事を良く言われたりもする。
 なお、本人をモデルとした『高橋名人の冒険島』シリーズでは茄子がマイナスアイテムになっているが、実際は嫌いでも何でもない。むしろ浅漬けが好きだそうである。プラスアイテムとして設定されているミルクのほうが苦手 *1 だという話も。
 また元々、社内でもそのキャラクターで親しまれており、パソコン用アドベンチャーゲームに登場させられたりもしていた。かつてはプレゼンターとしてハドソン及び関連会社ゲームを紹介したりする『名人』という役職についていたがハドソンの環境の変化から2011年5月31日付でハドソンを退社し、ゲッチャ・コミュニケーションズに転籍。同社でケータイゲームなどの宣伝をおこなっており、ニコニコ生放送で公式放送を担当している。

田中 弘道(たなか ひろみち)

 FF黎明期を支えた人物で、『FFIII』や『FFXI』・『FFXIV』、『聖剣伝説2』、『ゼノギアス』、『デュープリズム』などに大きく関わる。愛称「ひろみちお兄さん」。
 『FFXI』初期から『プロマシア』はジョブ差別や延命措置の多さ、プロマシアミッションのあまりの高難度、「ジラートで新しい狩場を増やしたからソロ不可能な問題は回避した」などのとんちんかんな発言から批判の的になることが多かったが、『アトルガンの秘宝』発売後に再評価の機運が高まる。
 近年では『ファイナルファンタジーIII (DS)』や『サガ2秘宝伝説 GODDESS OF DESTINY』なども手がけ好評となるも、『FFXIV』の不評の責任を受けるかたちで当作品のプロデューサーから退任。2012年6月のユーザーイベントの際、健康上の理由からスクウェア・エニックスを退社することを表明。その出来事に内外からは氏を惜しむ声が寄せられた。

多和田 吏(たわだ つかさ)

 作曲家。古くは『ラジカルボンバー 地雷くん』や『伊賀忍者伝 五神の書』等のジャレコゲームを担当。
 『妖精物語ロッドランド』や『E.D.F.』、『SFCドラゴンクエストIII』を手がけている。
 2002年に任天堂セカンドパーティーであるジニアス・ソノリティを設立し取締役に就任、『ポケモントローゼ』や『ポケモンバトルコロシアム』のBGMを担当している。
 コンセプトは誰得ゲー・内容はお使いゲーの『イーハトーヴォ物語』を有名にしたのは、何より彼の手がけた音楽によるところが大きい。ヒーリングミュージックの評価が特に高いが、激しい曲調もこなせる万能の作曲家である。
 現在はフリーになり、海外を拠点に作曲活動している。

豊田 淳(とよだ じゅん)

 かつて『テイルズ オブ』シリーズをプロデュースしていた人。  料理やスキットなどのシリーズおなじみのシステムをいくつか発案した人物でもある。
 担当作品は『ファンタジア』、PS版『デスティニー』、『エターニア』、『レジェンディア』と吉積信が手をつけていないゲームばかり。~   吉積は色々と問題のある人物であるため、古参のファンは豊田氏にシリーズ制作に復帰を望む者が多い。
 吉積や、吉積の後釜である馬場英雄との違いとしては、主人公の性格がそれほど尖っていない事であろう。それゆえキャラやゲーム自体に親しみやかった事があげられる。

ナーシャ・ジベリ

 イラン出身のプログラマー。
 アメリカでAPPLE II用ゲームソフト制作会社「シリウスソフトウェア」を立ち上げるも設立から1年で退社し、「ジベリソフトウェア」を設立。
 しかし、あのアタリショックでジベリソフトウェアが倒産 *2 してしまい、その後は別のゲーム会社を経営していた友人に坂口氏を紹介されるまで世界中を彷徨っていた。
 坂口氏が自分のゲームのファンだったことからスクウェアに入社し『ファイナルファンタジーII』『ファイナルファンタジーIII』『聖剣伝説2』等を手がけている。 *3
 電話越しに何も見ずにバグの修正コードを指示 *4 したり、坂口氏ですらサジを投げたアイディアをオマケ付きでアッサリ実現したり、バグを逆利用した高速スクロールをして見せたりと、その手腕は天才的(APPLE IIでゲームを作っていた頃から『天才プログラマー』と称賛されていたほど)。
 「FFIIIが移殖されないのはナーシャの作ったソースがわけわからないから」などという都市伝説級の噂まで出るほど *5
 一方で氏のプログラミングは極端に脆弱で繊細な面もあり、FFIIIアイテム増殖バグや聖剣2ボスバグ等、プログラムの脆弱性をついた操作を行なうとフリーズしたりオーバーフローしたりする欠点があった。
 『聖剣伝説2』以降スクウェアを退社、現在はカリフォルニア州でゲームとは無縁の日々を送っているとされているが、坂口氏とは現在も交流があるらしい。

南雲 玲生(なぐも れお)

 『beatmania』の企画原案・制作を担当した正真正銘のBEMANIシリーズの生みの親。現在は株式会社ユードー代表。 *6 初期beatmaniaを代表する曲「20,novemver」やIIDXの初心者の登竜門として名高い「5.1.1.」など、数多くの名曲を制作しており、その人気は未だに衰えることを知らない。
 これだけ多くのユーザーに支持される楽曲を作っておきながら当時の本人にとって作曲活動はあくまで「おまけ」程度の扱いだったという。実際の本業は主に裏方担当だったらしく、「作曲の際は細かいことを考えずに直感だけで作曲していった」など常人にはビックリなエピソードが数多い。
 そんなこんなで実力実績共にシリーズのファンからは「神」「天才」として崇められている人物。現在も作曲活動は行っているもののコナミへは楽曲提供を行っていないため復活してほしいとの声も多い。 *7
 2000年にコナミを退職後、2003年に株式会社ユードーを設立。こちらではiPhoneのアプリを中心に制作をしており氏の手掛けた多くのアプリが総合売り上げ1位を記録する快挙を成し遂げているなど、社長やプロデューサーとしての手腕も上々のようである。
 また、iPhon用の太鼓の達人のアプリ制作を担当していたり、自社製の音楽ゲームを発売したりなど完全に音楽ゲームから手を引いたわけではないようだ。

並木 学(なみき まなぶ)

 ゲームミュージックの作曲家。NMK入社時三人目のサウンド担当だったため「三太郎」と呼ばれ、さんたるる名義で活躍する事も。
 テクノサウンドを得意とし、特にシューターから絶大な支持を得ている。というのも、高難易度シューティングで有名なNMKに作曲家として入って以降、シューティングゲームの曲を多く手がけているから。
 NMKがゲーム開発から撤退してからはライジングで『バトルガレッガ』の曲を担当。その後崎元仁、岩田匡治と共にベイシスケイプを設立。会社丸ごとではあるが事実上フリーで活躍している。
 彼の手がけた曲が使われている有名ゲームは『湾岸戦争』『バトルガレッガ』『虫姫さま』とシューティングが多いが、別にシューティング専門と言う訳ではなく、『Doki x Dokiさせて!!』『デ・ジ・キャラットでじこミュニケーション』『救急救命 カドゥケウス2』等も手がけている。
 作曲家として名高い彼だが、実は初仕事はレゾンのグラフィッカーだったという。

野島 一成(のじま かずしげ)

 ゲームシナリオライター。現在は有限会社ステラヴィスタ代表。
 かつてドラクエもどきの凡作とみられていたヘラクレスの栄光シリーズの IIIのシナリオを手掛け、その衝撃的な内容、高い完成度から注目を浴びる。
 スクウェアに移った後に『ファイナルファンタジーVII』のシナリオを手掛け、大ヒットさせるという功績を上げる。総じてシナリオの評価は高いのだが、他人のキャラクターを描くのは苦手なのかクロスオーバー物のシナリオはあまりいい評価を得ていないことが多い。
 2003年10月30日にスクエニを退社し、ステラヴィスタを立ち上げた。

野村 哲也(のむら てつや)

 スクウェア・エニックス所属のゲームデザイナー・イラストレーター。
 初期の頃は『ファイナルファンタジーV』『ファイナルファンタジーVI』で一部のモンスターデザインを行っており、トンベリ、サボテンダーといった名物モンスターを生み出した。
 『ファイナルファンタジーVII』からは天野喜孝の後を継いでキャラクターデザインに就任。
 2002年、ディズニーキャラクターのゲーム『キングダム ハーツ』でディレクターデビューとなる。本作は高い評価を受け、キャラゲーの枠を超えた人気シリーズとなった。 権利にはあまりに厳しいディズニーにて公にディズニーキャラを描いて良い数少ない日本人であり、ディズニースタッフ以外でそれが許されるのは恐らく世界で唯一であろう。

自身が関わった『キングダム ハーツII』『武蔵伝II ブレイドマスター』などは問題作として扱われやすいが、後進の育成として『すばらしきこのせかい』にてスクエニでは数少ない新規IPの立ち上げや『ディシディア ファイナルファンタジー』『クライシス コア ファイナルファンタジーVII』『ファイナルファンタジー零式』『シアトリズム ファイナルファンタジー』などの名作・良作ではプロデューサーとしても手腕を発揮した。

広井 王子(ひろい おうじ)

 作家。クリエイター集団レッド・エンタテインメント(旧レッドカンパニー)の総帥。
 ゲームでは『天外魔境』シリーズや、『サクラ大戦』シリーズ、アニメでは『魔神英雄伝ワタル』、『魔動王(マドーキング)グランゾート』、果ては特撮『魔弾戦記リュウケンドー』の原作まで手がける。以前ほど目立たないが現在も精力的に活動しており、「週刊ファミ通」で小説を連載中。自分の作品で作詞をすることもあるが、大抵の場合、これが恥ずかしいくらいド直球なアニソンであったりする。
 『天外魔境』ではDQ・FFとは別の意味でRPGのスタンダードを形作り、『サクラ大戦』ではADVの新しい形を提示するなど、革新的な作品で知られる。また、「微妙に違う歴史を歩んだ」世界を舞台にすることが多い。
 月刊PCエンジンでコラムを書いていたことがあり、PC-FXが出始めた頃は過去の天外シリーズの思い出などを話したりもしていた。この中で、『天外魔境 ZIRIA』の企画書がカンパニー引っ越し時に紛失したため、当時と同じモノが作り出せないと嘆いていたことがあるが、これはおそらく、PCEの頃に容量が足りず削ってしまったイベントなどを追加したものが制作できない、と言うことを指しているのだと思われる。
 また、そのコラム中で語った『天外魔境』をPCEで作ることに決めたエピソードがちょっとぶっ飛んでいて「天外魔境をどのハードで出そうかと迷っていたときにハドソンからのオファーを受け、同社の社長と話をした。その時、話をした場所がホテルのプールサイドであったため、悪戯心が芽生え当時のハドソンの社長をプールに突き落とした」というもの。広井自身は「これで怒るようなら、この話は無しにしよう」と考えていたとのこと。結果、ハドソンの社長にはその行動がむしろ大受けし、制作を受諾したという。
 また行動だけでなく、「『サクラ大戦』がギャルゲーとなったのは、夢がきっかけ」など、発言も変わったものがが多いことも彼の特徴である。

藤沢 勉(ふじさわ つとむ)

 UPLの名物プロデューサー&作曲者&ゲームデザイナー。
 『忍者くん 魔城の冒険』『以降ぺんぎんくんWARS』『忍者くん 阿修羅の章』『宇宙戦艦ゴモラ』などを手がけてきた。
 ラインナップを見ると戦略性やアルゴリズムなどに長け、かつ作曲能力も高かったようでBGMの評価が高い作品が多い。
 一方でゲームバランスの調整には無頓着だったのか、彼が手がけた作品は彼の地位が上がるにつれ難易度が悪化していった。
 UPL倒産以降、ソフトハウス「スカラベ」を設立しゲーム製作を続けていたが、1998年に他界。
 彼が最後に関わったとされる鋼鉄要塞シュトラールは彼の手がけたゲームラインナップ同様、斬新なアイデアの元、画期的なシステムを搭載していたがゲームバランスはイマイチであった。

桝田 省治(ますだ しょうじ)

 有限会社MARSの代表取締役。
 元々は広告業界にの人間だったが *8 、さくまあきら氏の下で『桃太郎伝説』を製作した実績が評価され *9 、ハドソンに『天外魔境 ZIRIA』の開発スタッフとしてスカウトされ *10 、ゲーム業界に本格的に関わることとなった。
 『天外魔境II 卍MARU』等の死生観を前面に押し出したシナリオと変わったシステムを持つRPGを複数開発し、90年代半ばから後半にかけて活躍した。良くも悪くも毒を含んだケレン味あるテキストが特徴であり、『リンダキューブ』『俺の屍を越えてゆけ』など、手がけた作品の項目内容が示すとおり、鬱RPGの第一人者のような存在である。
 しかし2000年代に入ると、アイディアはともかく出来が微妙な作品が目立ち、評価を落とすことに。本人も自覚しているらしく、自著「ゲームデザイン脳」の中で反省点を述べた事もある。
ゲームとしての最新作は、2011年発売のリメイク版『俺の屍を越えてゆけ』。リメイク抜きならば2007年末に携帯アプリとして出された『勇者死す。』となる。
 2010年頃から、Twitterで『俺の屍を越えてゆけ2』の企画を纏め上げSCEに提出した、と発言。その後、SCEの公式ホームページ内に『俺屍』についてのアンケートが登場し、前述のリメイク版『俺屍』の発売と『俺屍2』の制作が発表された。
 小説家としても活動しており『鬼斬り夜烏子』『ハルカ』『ジョン&マリー』『傷だらけのビーナ』等の作品がある *11
 また、ネット小説『まおゆう』の書籍版総監修などメディアミックスにも携わっている。

松野 泰己(まつの やすみ)

 元クエスト、元スクウェア・エニックスのゲームデザイナー。その後レベルファイブへと入社したことが明かされた。
 クエスト時代は『ファイアーエムブレム』に影響され『伝説のオウガバトル』、『タクティクスオウガ』といった名作シミュレーションRPGを手掛ける。
 スクウェア移籍後は『ファイナルファンタジータクティクス』、『ベイグラントストーリー』など、いわゆる「イヴァリース世界」に属する作品を次々に発表。
 独自の壮大な世界観の構築とゲームデザインを得意とし、マイナージャンルにすぎなかったSRPGをメジャーに押し上げた功績は高い評価を受けている。
 また氏の手掛けるゲームの特徴として癖のあるシステムが導入されることが多く *12 「松野節」と呼ばれるドロドロとした生々しい人間関係、『タクティクスオウガ』の「ぼくにこの手を汚せというのか」や『ファイナルファンタジータクティクス』の「家畜に神はいないッ!」、「ムスタディオをやっつけろ(はぁと)」といった嫌でも印象に残る強烈な台詞回し *13 、民族紛争や階級主義、宗教の醜い部分などをテーマにした現実主義的ストーリーテリングが挙げられる。
 前述の通り、複雑なシステムやそれに起因する難易度の高さ、鬱要素も少なくないストーリーにより人を選ぶが、シナリオの深みとインパクトの強さは並々ならぬものがあり、熱狂的なファンも多い。
 『ファイナルファンタジーXII』の開発途中で病気療養により途中降板、後にスクウェア・エニックスを退社し、しばらくの間動向が不明となっていたが、復帰作であるWiiソフト『MADWORLD』のシナリオやタクティクスオウガのリメイク作『運命の輪』を手がけ、その手腕の健在振りを見せ付ける。
 スクエニ退社以降、長らくフリーランスであったが、2011年よりレベルファイブへ所属することが発表され、『GULD01』収録タイトルで『クリムゾンシュラウド』を手がけた。
が、その直後にレベルファイブを退社し、再びフリーランスへと戻っている。
 意外な仕事としては、クエスト時代にPCEの傑作横STG『マジカルチェイス』にも関わっている。STGの苦手な氏でもクリアできるように調整されたそうである。

緑川 光(みどりかわ ひかる)

 男性声優。『スラムダンク』の流川楓や『新機動戦記ガンダムW』のヒイロ・ユイ役などで一世を風靡した。
 元々ゲームユーザーの割合が多い声優の中でも「筋金入り」として有名で、2ch掲示板住民にも『廃人』と呼ばれるほど。
 そのおかげか、家庭用ゲーム作品での出演数はとても多く、『電撃プレイステーション』でコラムを連載していたりする。
 特に『スーパーロボット大戦』シリーズはよく関わっており、2005年よりスーパーバイザーという肩書きを与えられている。またプレイする際にはヒイロ、マサキ・アンドーなど、自身が演じたキャラをとにかく優先して育て上げるそうである。この様子はスパロボ公式ブログ『スパログ』の彼の書き込みで見ることが出来る。
 『ファイアーエムブレム 紋章の謎』OVAで主人公・マルスを担当し『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズでも同役に抜擢されたが、『X』の時はオファーが無く「マルスは古い作品のキャラクターだから削られた」と凹んでいる逸話が電撃PlayStation 2008年3月28日号のコラムに存在している。

宮本 茂(みやもと しげる)

 現任天堂代表取締役専務。任天堂の看板タイトル『スーパーマリオ』や『ゼルダの伝説』などを作ったスゴイ人。「テレビゲームの父」とも。
 ファミコン初期は「ミヤホン」の名でスタッフロールにクレジットされていたため、彼をミヤホンと呼ぶ人もいる。
 ゲームの腕や老若男女問わず購入したユーザー全てが満足できるようなゲームを目指しており、「万人向けを目指している」と答えている。
 スーパーファミコンのL・Rボタンやニンテンドウ64のアナログスティックは彼が提案したものであり、他社のハードにもこのアイデアは使用された。
 『メタルギア』の小島秀夫など、彼の影響をうけたゲームクリエイターは数知れず。まさにゲーム界のゴッドマンといえよう。
 また、マイケル・ジャクソンが彼のゲームのファンであったり、ポール・マッカートニーから食事に招待されたり、E3(世界最大のゲームの見本市「Electronic Entertainment Expo」の略)でスティーブン・スピルバーグと『Wii Sports』のテニスで対決したりしている。
 海外の雑誌『TIME』では、2007年度「今年世界に最も影響力のある100人」の中の一人に選ばれている。
 ゲームファンの間では開発中のゲームを「面白くない」の一言で一からやり直しさせる「ちゃぶ台返し」で有名。『星のカービィ』や『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『メトロイドプライム』などでちゃぶ台返しが行われており、その恐怖はレトロスタジオの外国人スタッフに「パルパティーンのデススター訪問」と言わしめた。
 マスコミが報じたゲーム脳については「自分の開発したゲームで実験してほしい」と反論しており、後の雑誌での「最近一番腹が立ったこと」についてマスコミの偏向性や在り方をあげている。

安田 朗(やすだ あきら)

 フリーのイラストレーター。「あきまん」のペンネームで知られる。
 アニメーターになったもののすぐに辞め、カプコンに入社。『ストリートファイターII』等のキャラクタードット打ち込みにより、多くの関係者・ファンを虜にし「ドット職人」と形容されるほどの完成度を誇った。
 カプコン在籍中に有限会社あきまんを設立し、後に独立。『∀ガンダム』のキャラデザインを皮切りにアニメ作品も手掛けることなる。

横井 軍平(よこい ぐんぺい)

 故人。任天堂を世界のゲーム会社に成長させた立役者の一人。おそらく「ゲームクリエイター」と呼ばれる日本で最初の人物。
 大学を卒業後任天堂に就職。しかし当時まだ花札やトランプのメーカーでしかなかった任天堂において、工学部卒の彼にさしたる仕事はなく、暇を持て余しておもちゃを作って遊んでいたところを社長の山内博に見つかる。山内は怒るどころか「それを商品化しろ」と命令。こうして生まれたのが『ウルトラハンド』であり、140万個を売り上げる人気玩具となった。これを受けて山内より商品開発課長の肩書を貰い、以降『ラブテスター』『光線銃』などのアイディア商品を多数世に送り出す。
 ある時電卓で暇つぶしをしているサラリーマンを見かけ、「電卓型のゲーム」のアイディアを発案。偶然が重なって、当時電卓用資材の在庫を大量に抱えて悩んでいたシャープの協力を得ることができ、世界初の携帯ゲーム機『ゲーム&ウォッチ』が生まれ、空前のヒットとなり、横井考案の「十字キー」は、以後のゲーム機のスタンダードとなる。この経験から横井の開発哲学 「枯れた技術の水平思考」 (ある分野で当たり前になっている技術を、全く別の分野に応用することで新しいものを生み出す)が生まれた。この時のノウハウをもとに後に『ゲームボーイ』を開発。また、かつての横井と同様、工業デザイナーとして入社しながらもこれといった仕事のなかった宮本茂を抜擢し、ゲーム&ウォッチの『ドンキーコング』の開発に据え、彼がゲーム制作の道を進むきっかけを作った。
 ハードデザイナーのイメージが強いが、『メトロイド』『ファミコン探偵倶楽部』『ファイアーエムブレム』などの名作ソフトを手掛けた人物でもある。しかし華々しい経歴の一方で、「 任天堂の赤歴史 」と揶揄される『バーチャルボーイ』を開発して大失敗した経験もある。とはいえ、今でもバーチャルボーイは任天堂公式ホームページで掲載されており、任天堂にとってけっして黒歴史な存在ではない。
 更に2010年、社長が訊く E3特別編 『ニンテンドー3DS』において、3Dのチャレンジに岩田聡と宮本茂が『バーチャルボーイ』を上げている。

+ 社長が訊く E3特別編 『ニンテンドー3DS』 その1

 彼のゲーム開発における「技術よりアイディアで勝負」「ゲームにはコミュニケーション性が重要」という主義は、現在の任天堂にも受け継がれている。その思想は『ゲーム批評』1998年1月号「追悼企画・横井軍平の時代を振り返る」で「業務用・マリオブラザーズ」で「下から叩いて」のアイディアは皆が考えた末の横井氏の発案だ、という記述からも伺える。
 「50を過ぎたら好きなことをやりたい」という抱負どおり、『ゲームボーイポケット』の開発を最後に54歳で任天堂を退社。株式会社コトを設立し、携帯ゲーム機『ワンダースワン』と、そのソフト『GUNPEY』を監修するなど精力的に活動していたが、独立からわずか1年で交通事故に巻き込まれ死去。稀代の「おもちゃの天才」は、56年の短い生涯に幕を下ろした。
 日本システムサプライの河村克己氏は、ある時、横井氏が「これからのゲームはゲームでなくなるかもしれない」という言葉を漏らしていたのを聞き、その真意を聞こうと思った矢先、横井氏が鬼籍に入ってしまい聞く事が出来なかったと言う。今のゲームの状況を見ると、かなり意味深な言葉とも言える。

吉田 明彦(よしだ あきひこ)

 スクウェア・エニックス所属のイラストレーター。元クエスト所属。
 『タクティクスオウガ』『ベイグラントストーリー』『ファイナルファンタジータクティクス』『ファイナルファンタジーIII (DS)』『ファイナルファンタジーXII』などのキャラクターデザインを担当している。
 いわゆる松野ゲーをデザイン面から支えていた人物であり、独特の素朴で淡い画風を特徴としている。ドッターとしての腕前もかなりのもので、タクティクスオウガではキャラの細かい動きまで再現して高く評価された。
 独特の幻想的な世界観から根強いファンがいる反面「動きがない」という批判もあるが本人は「ゲーム内での動きや見栄えを徹底的に検討したうえでデザインを完成させている」とインタビューで答えている。

吉田 健志(よしだ けんじ)

 「ニチブツサウンド」と呼ばれる日本物産のゲームサウンドを手がけた作曲家。名前は本名ではなく芸名。
 フォークグループの「貝がら」でベースとして参加、1972年にテレビドラマの「パパと呼ばないで」の主題歌をグループとして歌っている。
 他には、後期の「ザ・リンド&リンダース」、「バンバン」、「ニュー・ファー・フライ」、「ジュピター」、「バンド of 妻三郎」などのフォークグループにも参加していた。
 グループ解散後はプロミュージシャンやCMサウンドの製作、映画「暗くなるまで待てない!」の音楽ディレクターを経て日本物産に入社。関西圏での餃子の王将CMミュージック等が有名。キャッチーでリズミカルな曲調が特徴。
 ゲームミュージックとしては当時1ループが飛びぬけて長かった『COP 01』でデビューを果たす。その後、STG史に名を残す『テラクレスタ』でニチブツサウンドを不動のものとした。
 日本物産のゲームしか手がけていないが、内半数を手がけているため、彼の曲が聴けるゲームの数は非常に多い。
 日本物産のゲーム業界撤退にあわせて退社した。


*1 飲むとお腹を壊すため。ちなみに日本人は10人に1人ぐらいの割合でミルクを分解するための酵素をお腹に持たない人がいると言われており、別に名人のお腹が特別脆いわけではない。

*2 アタリショックで壊滅的打撃を受けたのはあくまでも家庭用ゲーム市場であるのだが、PCゲーム市場でもその余波の被害を受けるケースが極僅かに存在した。ジベリソフトウェアもその内の一つである

*3 この頃の同期が河津氏と時田氏である

*4 このような事例が複数回あった。また、プログラムリストは全部暗記していたとか…

*5 事実関係は不明だが、人気の高さの割りにリメイクされず、GBA版も企画倒れに終わり、後にDSで出るまでに合わせて16年も経過しており、相当な時間を要したのは確か。

*6 ポップンミュージックの登場キャラクター「レオ君」のモデルである。

*7 退社及び彼がシリーズに提供した楽曲の大量削除に関しては諸説あり、純粋な音楽のシュミレートを志向していた南雲氏と、ゲームとしての面白さを追及したい制作側との見解や方向性の相違が大きな要因で、氏自らコナミに自分の曲を削除するよう要請したらしいとも言われているが、あくまで憶測の域を出ず詳細は定かではない。

*8 データイーストの迷コピー「ヘンなゲームならまかせとけ!」を考案。

*9 戦闘などの計算式は全て“DQをお手本に”桝田省治氏が考えたものである。

*10 作ってはみたものの思うような出来にはならず、オーソドックスなRPGに作り直すために『桃伝』の開発実績のある桝田氏に白羽の矢が立った。

*11 ちなみに『夜烏子』は元々ゲーム企画がベースで、当初は別の小説家が執筆していたが、いつの間にか連絡がとれなくなったため、仕方なく自身で書く羽目になったという逸話がある。また『ハルカ』は『天外魔境III』のボツとなったシナリオが元となっている。

*12 『伝説のオウガバトル』の「カオスフレーム」、『ベイグラントストーリー』のリスクシステム、『ファイナルファンタジータクティクスアドバンス』のロウシステム、『FFXII』の「アクティブ・ディメンション・バトル」、『タクティクスオウガ 運命の輪』の「C.H.A.R.I.O.T」など。そのほとんどは彼の発案から産まれた。

*13 語尾に「ッ」をつけ、1作品に最低1キャラは「ん」を「ン」に変えて発言するなど